堕ちたもの
その昔、時期で言うと今からおよそ一万年前、地上世界に生きる人々は高度な機械文明を誇っていたとされている。魔法と機械が融合した都市は、天空に浮かび、そこにはいくつもの空駆ける乗り物があった。アルトリザリコン要塞などはその一つに過ぎず、無数に同型の要塞が存在していたとされている。
しかし、高い文明を誇ったその時代は永遠に続きはしなかった。
魔神トラキアによる世界支配を打ち取った人々はトラキアが外海に去った後、自分たち同士で争いを始めた。彼らはより相手を殺すための兵器を作り、互いの文明のすべてをさらけ出した。
機械の兵隊が大地を埋め尽くし、無数の竜機兵が空を舞いあがる。『機甲大戦』の始まりであった。
それまでは神々の戦いや魔神との戦い、それに魔物の駆除など、人間や亜人種族が直接ぶつかり合う事態はなかった。しかし、機甲大戦以後、こういった戦争は珍しいものではなくなり、常識となっていった。
さて、この戦争がもたらした結果は荒廃と文明の衰退である。優れた機械技術は失われ、魔法技術もその多くが失われた。真古代魔術はこの時に喪われ、以後その使い手は現れてはいない。僅かに残った機械技術はその恐ろしさを知ったエルフやドワーフによって破壊、もしくは秘匿された。
人は大地から空を見上げ、そして羽ばたくことを忘れていった。
中央大陸に存在した小国アズイール王国。小国ながらも資源に恵まれており、優秀な魔術学校があったことでも知られていた。かつて存在した機械文明の残骸より作られたという王都アベルには最高峰の魔術師が集い、日々研究を重ねている。失われた真古代魔術、すなわち神代の時代の魔術理論を求めるものや、魔法と機械の融合した文明を研究する者が数多くそこにはいた。
魔術学院を卒業し、研究者として現在在籍する若き秀才、フェン・アイアース・フォル・フォトンもそんな探究者の一人である。元は貴族の長男に生まれており、勉学せずとも将来は家の領地を得ることができたのだが、彼は魔術に魅せられた。家督も弟に譲り、魔術を学んだ彼はそのままこの学院に在籍する研究者の道を選んだ。
彼の専門は真古代魔術であり、その中でも飛行魔術と呼ばれる分野の研究を行っている。読んで字のごとく、空を飛ぶ魔法である。一見単純に見える魔法だが、実は様々な制約があり、人が空を飛ぶ、と言うことは難しい。秒単位で空に飛びあがる、と言う芸当はできても、自在に空を羽ばたくことはできない。そういったことは羽や翼のある魔族や魔物の特権であり、人族がその域に達することは不可能である。
もっとも、『機甲大戦』以前はヒトは空に近く、そう言った魔法もあれば機械竜が存在していた。それゆえに、空は人族の物であった。
子どもの頃、天に輝く星々に手を伸ばした。あの、輝く星を掴みたい、見てみたい。空を飛びたい。いつからかそう強く願うようになった。
人間は大地と重力に縛られ、その魂を束縛されている。故に、ヒトは未だに醜く争っている。それがフェンの持論である。
日夜研究を重ねるものの、未だ魔術の再現は出来てはいない。しかし、フェンは諦めることはなかった。彼の情熱の炎が消えることはなかったのである。
フェンのほかにも魔術の研究者は当然ながらいて、フェンが普段いる部屋にも数人の魔術師がいる。彼らも同じように魔術の研究者であり、それぞれ別々の魔術の研究を行っている。
特に、フェンと同期であり幼なじみでもある魔術師アミテリア・アーデはフェンも認める天才であり、切磋琢磨する間柄である。美しい白髪の女性であり、フェン自身何度か彼女に救われたことがある。
「理論としてはそれでいいが、実際は・・・・・・」
「ああ、なるほどな」
その日も二人は互いの魔術理論を報告し、意見を出し合っていた。二人ともそれぞれの魔術の題目は知っていたし、即座に理解できるだけの才能を持っていた。二人はあでもないこうでもない、と話し合っている。真面目な議論であるが、夫婦げんかのようにも見える。二人のことを陰で「夫婦」と呼ぶ者もいるくらいである。
二人とも独身であり、才能・容姿・家柄とどれをとっても文句はなかった。アーデ家は現国王の母方の実家であり、それなりの影響力を持つ一族であった。コネクションを求めての婚約話も多いと聞く。
だが、二人ともそう言った話は断り、現在に至る。フェンは単純に結婚生活ン縛られたくない、ということとそう言ったくだらない家の戦略で動くことが気に喰わないだけであった。アミテリアもそうなのか、と一度聞いたが彼女は明確な答えを返さず、一言「思い人がいる」と言っていた。それが誰かは未だにわかってはいなかった。
ある時、珍しく彼女が酒に酔っていた。酒に強いはずの彼女は顔を赤くし、何時もの知的な瞳はどこか憂いに揺れていた。フェンも研究がうまくいかず、また実家がうるさいため酒に付き合っていた。
「いつになったら、彼は気づくのだろうか」
彼女はそう言い、酒を煽る。フェンは少しばかり冷や汗を流しながらそれを見ていた。
「あまり飲みすぎるな。君らしくない」
「君らしくない、ね。いったいあなたは私の何がわかっているのかしら」
なぜか突っかかる口調で語りかけてきたアミテリアにフェンは少しむっとする。心配して言っているのに、と口を開こうとした彼に、白髪の美女は畳み掛けるかのように言った。
「だいたい、あなたはいつも、いつも・・・・・・!!」
わなわな震えながら言った彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
フェンは動揺した。魔術に関しては彼は確かに天才であったが、人付き合いに関しては非常に不得意であり、幼なじみである彼女にどういえばいいのか、わからなかった。
彼を罵倒するアミテリアは、真っ赤な顔で叫ぶ。
「いつになったら、私のことを見てくれるの」
きょとんとした顔のフェンに、真っ赤な顔のアミテリアはつい言ってしまった、と言う顔で両手で顔を覆う。だが、すでに遅かった。
思い人、と言うのが自分だと知ったフェンは動揺した。そうしている間にアミテリアは紅い顔のままその場から立ち去った。
数日間、彼らは気まずい時間を同じ部屋で過ごした。その間、フェンはアミテリアのことを考えていた。
幼なじみの彼女のことは好きであった。だが、それが友人としてか、女としてかはわからなかった。半端な気持ちでは彼女に失礼だ、と。
幾晩か彼は考え、アミテリアを呼び出した。
沈痛な面持ちの彼女を前に、フェンは言った。
「君の気持は嬉しい。だけど、私は君に対して友愛を抱いてはいるが、女としての愛を抱いてはいないと思う。それに、私は空に焦がれている。それでも、私のことが好きかい」
「ええ。もちろん。そんなあなただからこそ、私は」
フェンとアミテリアは単なる同僚ではなくなった。婚約者、という肩書に変わったのだ。フェンは未だ明確な思いを見いだせてはいなかったが、それもすぐに変わった。改めてアミテリアと時間を共にし、自分と釣り合うパートナーは彼女以外には存在しないと知った。
一年後、二人は結婚した。周囲からすれば、遅すぎたくらいであった。アミテリアのフェンへの想いは本人たち以外は知っていたし、フェンと釣り合う女性はアミテリアくらいのものであった。仲間たちは祝福した。
結婚後も二人の生活が劇的に変わることはなかった。魔術の研究に関しては、二人が合同で飛行魔術の研究をするようになった。アミテリアは自身の研究を完成させたため、夫の夢の実現のために協力をするようになった。二人係でも研究は困難を極めたが、夫婦は互いに支え合った。
そうして数年が過ぎ、二人はついに念願の飛行魔法の再現に成功した。重力制御と、空気・魔力抵抗を防ぎ、上昇できる魔術。未だ魔力消費の点では実用的ではないが、理論上は完成した、と言うことであった。
ハネムーンなどは全く行わず、夫婦らしいことは何一つしてこなかった。そのこともあり、フェンはアミテリアとともに空に行こうと思っていた。二人でたどり着いた道だからこそ、達成する光景を見るのは二人でなければならない、と。アミテリアはそれを了承した。
二人は飛行魔法を使った。まるで、羽のように体は軽く、空へと浮かんでいく。やがて飛ぶ感覚に慣れてくると、二人は手を取り合って空へと向かっていく。透き通る青い空と、その向こうの幾千幾万もの星々の海に向かって。
「綺麗」
呟くアミテリアと感激で声が出ないフェン。かつて、古代の人々はこんな光景を見ていたのか、とフェンは感無量であった。このために生きてきたと言っても過言ではない。
二人はそのまま空へと向かい、かつて神々が住んでいたという宮殿や機械文明時代の空中都市の残りでもないものかと見て回った。真古代魔術が失われて以降、誰も足を踏み入れていない未開の領域。それが空であった。
雲を掻き分けていくと、深い魔力の渦を感知した。二人はそれに近づいてみると、そこには空間のひずみがあった。
「なんだ、これは?」
「フェン、触らない方がいいと思うわ」
そうだな、と言いフェンは手を引っ込める。異世界とつながる門。それは偶然できるものであるという。これがそうなのかもしれない、と思い、彼は周囲の捜索に戻った。
そこからやや離れたところに、黄金の城が存在した。そこは強力な結界に守られており、二人も気を付けていなければ見過ごすところであった。周囲に溶け込んでいたそれは、結界が破れるとその巨大な姿を二人にさらした。
遥か宇宙に近い空の果てに、それはあった。フェンとアミテリアは息をのんでそれを見る。
「神々の居城『焦がれの聖域』・・・・・・!!」
レグ・パラス。十二人の神々が住んだとされる、神代の時代の建造物。天高くに存在する黄金の城では、常に花が咲きほころび、歌に満ち、光があふれ出ており、世界をすべて照らしつくしていた。この世のあらゆる悪を見逃さず、大いなる力で世界を安定させた。
「まさか、実在したとはな」
フェンはそう言い、中に入っていく。アミテリアも夫に続いた。
内部は荒廃していた。誰もいないその城の中は酷く寂しく、かつての栄光はない。
この世界の神々はすでにいなくなった、と考えるものがいるが、これはそれを証明するようなものだ。
神代の時代から、数万年の間、神話でも歴史でも空白の時代が存在する。果たして、神々はどこに行ったのか。世界に何があったのかは謎である。
「アミテリア?」
ふと気づくと、妻はいなかった。先ほどまで、そこにいたのに、と思うフェンが妻を探して歩く。だが、妻の姿は見えなかった。
きゃあ、と言う悲鳴が響く。アミテリアの声だった。フェンは奔りだした。悲鳴のした方向に。
そこは、神々の父がいるとされる主神の間であった。
巨大な扉を開け、中でフェンが見たものは形容しがたき闇であった。
神々の城には似つかわしくない闇の数々が、主神の間に存在する穴の中からあふれ出ている。
「なんだ、これは!?」
叫ぶフェンは、闇に呑まれようとしている妻を見つけた。
「アミテリアっ!!」
「!?フェン、来ては駄目・・・・・・これは」
その時、彼女の姿が闇に消えた。蠢く闇どもが彼女を攫って行ったのだ。
蠢く闇の中、一体の闇が立ち上がり、フェンを見た。
『ほう。もう一人の片割れか』
「貴様、アミテリアをどこに連れて行った!」
『あの女のことか。安心するがいい。彼女の魂と肉体は我らのものとなる。そう、我ら神の物とな』
意味の分からないことを言うそれに、フェンは魔術を発動させる。フェンは実戦経験こそ少ないが、高レベルの魔術師だ。人を殺す魔術くらい、とっさに出せる。
だが、その魔術は闇に届く前に消えてしまった。
「何故だ」
『この世界の理で我を殺すことはできぬ。我こそはG.O.D・・・・・・このエデナ=アルバの神にして、全知全能の父なる神』
神を騙る影は蠢きながらフェンを見る。
『卑小な人間よ、貴様に祝福を与えよう』
「な、に・・・・・・・・・ッ!?」
グン、とフェンの身体は弾かれ、彼の身体は神々の居城から堕ち、空へとはじき出された。
フェンは咄嗟に魔法を展開しようとしたが、それは不可能だった。
『貴様から翼を奪ってやった』
心身ともに、と神は嗤った。
「貴様ァぁァァァア!!!」
『その代わりの翼を与えよう。我に感謝するがいい』
背骨が痛む。フェンの背中から、金属のように輝く硬い突起が皮膚を突き破って出てくる。激痛。血が空中に飛び散る。鋭い先端が突き出て、フェンを痛める。
身体は無理やりに変容させられていく。背中だけではない。全身に激痛が走る。身体からは魔力が暴走してあふれ出る。ノイズが奔る。
アミテリア、アミテリア、アミテリア。遠のく天の城を見て、彼は手を伸ばす。今すぐ飛んでいき、彼女を取り戻したい。けれど、それはできなかった。フェンは飛ぶことができない。おそらく、一生。
背中から生えてきた金属のような重いそれは翼のようであった。だが、それは飛ぶためのものではない。飛ぶにはそれは重すぎたし、鋭すぎた。剣のように鋭利な翼であった。
「アミテリアァぁ――――――――――――!!!」
叫びながら、彼は中央大陸オリュン山に堕ちた。
墜落した彼は、激しい激痛に襲われた。体にできた傷が再生し、彼の容貌を変化させていく。異様に巨大な翼、膨れ上がった筋肉。魔力の暴走により、彼は意識をなくし、獣と化していた。
涙を流す獣は咆哮し、自分が生まれ育ったアズイールに向かった。そして、正気を失くした獣は破壊衝動に任せた。その鋭い剣は一振りで数百人を切り殺し、二振りで数千人を殺した。八対の翼は破壊をもたらした。
彼が正気を取り戻したのは、アズイールを崩壊させた後であった。かつての故国は彼自身の手で破壊され、彼の最愛の翼は失われた。
二度と、あの空に飛ぶことはできない。喪失感と絶望に、フェンは嘆いた。
神を名乗ったあの影。あの影が妻を奪い、自分をこんな風に変えた。ただ、絶望を与えるためだけに。そんなことが赦されるだろうか。
その時、彼は誓った。神への復讐を。自分から奪って言った、あの闇に対する復讐を。
剣閃の魔神ハーイアがこの日、誕生した。この後ハーイアは当時世界を震撼させていた魔神クラウギレスを下し、その名を世界に知らしめることとなる。天より落ち、剣の翼を手に入れた彼は自らを『堕天』のハーイアと名乗った。魔神たちと協定を結び、いつか来るであろう神との決戦に備え、彼は天に最も高き山の上で今日も空を見上げる。そのまなざしは強く、復讐に燃え上っていた。




