闇の妖精/忠誠
闇の妖精
緑豊かな森はどこか閉塞的な印象を与える。澄み切った風、循環する魔力。それは心地いいはずのものであるが、この森は酷く重苦しい雰囲気がする。ダークエルフの女はそう思った。
それも無理はない。彼女にとって、ここは故郷であり、同時に忌むべき場所であるのだから。
エルフよりも肌の色は浅黒く、その髪色は漆黒である。エルフと違い、年を取る。人間よりもそのスピードは遅いが、それでも純粋なエルフとは違う「卑しき血」。それがダークエルフである。
稀にエルフの個体の中に混ざるダークエルフは突然変異であり、何らかの魔力以上によるものとされている。その異常は、一代では終わらず、次の代にも遺伝する。故に、穢れを純潔のエルフたちにとってダークエルフの子どもは忌み子であった。
彼女も、その忌み子であり、幼いころに祖国シレンを離れ、故国のすぐそばの森で暮らさざるを得なかった。その結果、両親は魔獣に殺され、餌となり、彼女自身もそうなろうとしていた。
そこに現れたのが、彼女と同じ黒髪と黒曜石の如き瞳を持つ少年であった。年のころは彼女と同じくらいであり、お世辞にも屈強な身体ではなかった。それでも、その瞳の持つ力は強く、その奥の闇に彼女は魅せられた。
彼によって助けられ、彼の所属する傭兵団に所属した彼女は、めきめきと力を示した。身軽さを生かした潜入や暗殺を得意とした彼女は、自身を助けてくれた少年の為だけにその力を振るった。金、権力、その他のくだらない何よりも、彼女は少年のために尽くした。
たとえその両手が血に塗れようとも、まったく心は痛まなかった。
「アンセルムス様」
女、アセリアは彼の名前を呟き、夜の森から天高く浮かぶ三日月を眺めた。
アンセルムスはかねてからこの世の理不尽、そして神の不在を唱えていた。
彼はこの世界の生きとし生ける者ならば誰もが持つスキルを一切有していなかった。才能や魔力、そして環境にも恵まれなかった彼は、名前を捨て、故国も捨てた。そんな彼を、死神は離さない。
彼を襲うのはこの世の理不尽。彼は語りはしないが、彼の持つ指輪。それは誰か大切なものの形見であろう。それこそが、彼のもっとも大きな動機であろう。
何時の日か、この世界をあるべき姿に。それがアンセルムスの望みであり、野望であった。彼は夢物語とも言って言い、壮大でばかばかしい計画をアセリアに語った。それは、到底実現不可能なものであり、笑い飛ばしていいはずのものだったのに、笑い飛ばすことはできなかった。
その黒曜の瞳は成功を信じており、疑いを一切抱いてはいなかったのだ。不敵に笑い、彼は無意識に首から下げた指輪を弄っていた。
彼の計画の下準備は徹底していた。いつ来るかわからない計画のために、彼は多くの本を読み、書物をあさり、行く先々で罠を仕掛けた。数年先、あるいは数十年先でも使えるように、いくつもの罠を。
そんな彼のもとには、いつしか彼と同じように世界の理不尽を嘆く者たちが集まっていた。多くのものが最初は彼を嗤ったが、いずれ彼の本気を知ると誰もが惹かれた。
中には金目当ての物もいたが、そう言ったものはアンセルムスにいつか切り捨てられることを考えてはいなかった。何人かはアセリアやシャンクシーションクと言ったアンセルムスの腹心の部下に殺されていたし、洗脳を施された者もいた。
奇妙な一体感が彼らを支配し、その中心にはアンセルムスがいた。その場の誰よりも弱く、そして強い彼は常に考えていた。世界を終末に導く方法を。
やがて彼は伴を連れず、独りどこかへと消えた。しかし、彼は言った。必ず戻る。神を殺すために、と。
アセリアたちは静かにその時を待った。
数年が過ぎて、アセリアのもとに知らせが届いた。それはアンセルムスからの秘匿文章であった。その内容は「決起」であった。
近々、バーティマにおいて動きがある。それに乗じて、今までに世界に仕掛けた争いの火種を起こす、と。
それから間もなく、バーティマ革命がおこると、アセリアは自分の役目を果たした。エルフの国、そして故国シレンへの細工である。
シレンの王ロクシュヴァーが知っているであろう伝説の武器。それを手に入れるために、彼を生け捕りにしなければならない。しかし、シレンは強力な結界が張っており、盟約により人間が常に監視している。それらをどうにかしなければならない。
アセリアは忌々しい祖国に戻ってきた。彼女はダークエルフの姿に誇りを持っていたが、アンセルムスのためにエルフの格好に変装してシレンに忍び込んだ。
そうして、情報を集め、細工を施した。
アンセルムスの部下たちが間もなく、ここに来る。そうすれば、アセリアの仕事はほぼ完了する。
残る仕事は、ロクシュヴァーの生け捕りである。
『魔神殺しの刃』は、アンセルムスの計画になくてはならない道具である。森羅万象を殺す、神代の武器。神を殺し、魔神ハーイアでさえ殺す唯一の武器。それがあれば。
たとえ、自分が死すとも、アンセルムスにもたらさなければならない。それが彼女の忠誠であり、愛であった。
俺が死ぬまで。先に逝くな。出会った当時、彼にはそう言われていたが、その約束は守れそうにもない。そんな気がした。
フ、と笑い、アセリアは森を見渡す。
一つだけ、神や運命に感謝することがある。彼女はアンセルムス同様、神も運命もくそ喰らえ、と思っているのだが、これだけは例外であった。
「あの人に逢わせてくれて、ありがとう」
その結果、地獄に堕ちようとも後悔はない。アセリアは生きた。彼女らしく。そのことに、後悔などあるはずはない。
さあ、夜が明ける。戦いは近づいてきた。
彼女は身を翻し、森の闇の中に溶けていく。
忠誠
闇に葬り去られた闇の末裔、ファーレンハイト一族。それが彼の所属した一族の名前である。
その歴史がどれほどに遡るかは不明であるが、一族は代々どの国にも、どの大陸にも属さぬ独立した存在であり、多くの国家や権力者から使われる道具であった。
殺しの技術に長けた一族であるが、その身分は低い。古の邪心に仕えたという彼らの一族は呪われており、魔族や無能力者と同等の扱いをされている。一族には必ず目に見えるところに刻印が刻まれている。それは決して消えることのない、神による烙印。罪の印。消すことは赦されない。たとえ、一時的に化粧で消せてもほんの数時間でそれは現れる。魔力による偽装も意味がなく、一族のものは皆、人前に出るときは黒頭巾で隠していた。その様子で、彼らが忌み嫌われる「呪われし一族」と皆がわかってしまうのだ。
青年、スヴェイル・ファーレンハイトも一族の出身であり、若き暗殺者であった。一族の若者は少なく、彼を含めても十数人しかいない。いずれは一族もろとも滅びを迎える。そう大人たちは言っていた。
一族の伴侶は無理やり連れ去った名もなき奴隷や魔族が主である。真っ当な人間と結婚することは、呪いでできない。神による恩恵「スキル」はあるが、呪いが消えることはなかった。
一族のものが無理やり奴隷や魔族以外と結婚しようとすると、刻印が大きくなり、命を蝕む。最終的に、ヒトの姿を失い、魔物とかして死んでいく。
これが、一族に課せられた十字架であった。
見も知らぬ先祖の罪。それを肩代わりさせられる理不尽。けれど、その怒りをどこにも向けることはできず、ただただ悶々としていた。
こき使われ、用済みになれば命を脅かされる。そのような経験を彼は何度も体験していた。
光に生きることはなく、底深い闇の中、一生を終える。そのために、彼もほかの物も生まれてきたわけではないはずだ。
スヴェイルは雨に打たれながら、顔を上げる。雨に打たれる彼の顔の右半分には、大きな黒い文様が描かれている。それこそが烙印であった。渦巻く炎のようなそれは、決して消せない。
スヴェイルは黒頭巾を被り、目元以外を覆い隠した。そして、ナイフを抜き、仕事に取り掛かる。
その日の仕事は簡単であった。要人の暗殺。訓練を受けたスヴェイルにとって、難しいことは何一つなかった。
依頼主のもとに生き、報告をしてなけなしの金を受け取る。まるで犬のように頭を下げ、金を施される。
ああ、惨めだ。人間扱いもされず、こうして汚泥を啜る。これでいいのか。
スヴェイルは自問するが、答えなどすでに諦めている。
これでいいもなにも、それ以外に道はないのだ。仕方がない。仕方がないのだ。
自分を偽り、スヴェイルは言う。誰も彼もが幸せな世界など存在しない。自分は運が悪かった。そう思わないと、気が狂いそうだった。
とある仕事で、一族の暗殺者たちが伝染病をもらってきた。それが一族に広がり、一族の半数以上が死に、残る半数も危ないところであった。
彼らは独自の医術も発達させていたが、それだけでは足りない。どうにかして、医者に診せようとしても彼らを受け入れる医者も神官も魔術師も見つかりはしない。
人間は彼らを忌み、魔族も受け入れようとはしない。遺された道は、滅亡のみか。
一族で唯一、病を逃れたスヴェイルが項垂れていた。
一族の老人や子供たちに、医者を連れてくると言った。救ってやると約束した。なのに、と。
口惜しさに唇をかむ。地が零れ、大地を濡らした。白い短髪を揺らし、嗚咽する。
そんな彼の前に、その人は現れた。
「救いがほしいか?」
スヴェイルは面を上げた。声をかけてきた人物を見る。
相手は青年であった。スヴェイルと年は同じくらい。黒い髪に、黒い瞳。とても医者には見えないし、魔力もほとんど感じられない。
「救いがほしいか?」
もう一度、その人物は問うた。スヴェイルは、藁にもすがる思いで頷き、言った。
「我が一族は滅びようとしている。どうか、救ってほしい」
「その代償に、お前が地獄に導かれようとも?」
「構わない」
スヴェイルの言葉に、青年は沈黙し、数秒が過ぎた。そして、しばらくして青年は微かに頷くと、スヴェイルに症状について聞きだした。スヴェイルは思い出せる限りの症状と、青年の質問に答えた。
青年はしばらく考えると、スヴェイルにその場所まで案内するように言った。
一族の秘密である村に、他人を招くことは禁忌である。だが、なりふりは構っていられなかった。
結界に包まれたその集落は、みすぼらしい小屋が立ち並んでいた。
明日の食事さえも満足に喰えない一族。仕事をするはずの男も女も今は病に倒れている。
村の様子は最悪であった。また数人の死者が出た様子であり、あたりには腐臭が漂っている。
「酷いものだな」
死臭にも慣れている様子で青年は言った。スヴェイルは青年を見る。
無感情な顔、しかし、その瞳はどこか黒い炎を浮かべている。その炎に、なぜか見入ってしまう。
青年は一人の感染者に近づく。スヴェイルが「あんたも感染する」と言うと、彼は笑って答えた。
「俺は神に嫌われている。死神にも、な」
だから大丈夫だ、と言った彼は感染者を見る。
何人かを見終わると、彼はスヴェイルに言った。
「アンタの血液を採らせてくれ。艦船の根本的な解決にはならんが、あんたの血の中にある抗体で少しは食い止められる」
「だが、それでは問題の先送りではないか?・・・・・・・・・・・不可能なのか、治すのは」
スヴェイルの言葉に、彼は首を振る。
「この手の病に詳しいものを知っている。そいつに俺の見たもの、採取したものを伝える。薬が完成するのに時間はかかるが、お前の一族が滅亡するまでにはいかぬだろう」
そう言った青年は集落を出ようとした。スヴェイルは青年に声をかけた。
「待ってくれ、アンタの・・・・・・名前は?」
青年は振り向くと、ポツリと呟いた。
「アンセルムス」
青年が去って一週間がたった。あれからさらに死者は増えた。
あの青年も、やはり我らを見捨てたか、とスヴェイルは目を覆う。
ついに、神は我らに命で罪を贖えと言うのか。スヴェイルは嘆き、病に伏せる妹を抱いた。
妹はまだ九歳。死ぬには若すぎる。ただでさえ、辛い運命を背負ったのに、何もいいこともなく、このまま終わるのか。
「世界とは、どうしてこんなにも理不尽なのか」
そう言ったスヴェイルに応える声があった。
「そうだ、世界は理不尽だ。だからこそ、抗え」
その声に振り向いたスヴェイルが見たのは、あの青年であった。彼の後ろには黒い衣に包まれたネクロフォンドの魔術師がいた。不気味な面妖の魔術師を引き連れた青年はスヴェイルに近づくと、いくつかの便を渡した。
「これで、病はどうにかなるであろう。さあ、早くしろ。死人が増える前にな」
彼のもたらした薬で、一族は滅亡を回避した。スヴェイルの妹も回復に向かっている。一族は半数いじょが死んだが、それでも滅亡は避けたのだ。
スヴェイルはアンセルムスに礼を言った。
「この命を懸けて、あなたに忠誠を誓う。たとえ地獄の業火の中であろうとも、命尽きるまで」
「ふん、律義な奴だ。だが気に入った。お前ならば、俺とともに理不尽な世界を壊せるだろう」
「世界を、壊す?」
「そうだ」
オウム返しに呟いたスヴェイルに、アンセルムスは頷いた。
「世界は平等と神話で神は言った。なのに、実際はどうだ。一部のものが肥え、罪なき者が不当な扱いをされる。これが正しいあるべき世界か、それは違う。俺はそんな世界を認めない。ならばいっそ、世界を壊し、神を殺し、俺がこの世界の神となる。そして、救われなかった多くの魂に、安寧を与える。・・・・・・・・・狂人の空想と笑うか、スヴェイル・ファーレンハイト」
問いかける青年の目は、真剣であった。彼の中の絶望、怒り、嘆き。それがスヴェイルには視えた。スヴェイルたち以上の地獄。それを見てきたからこそ、彼の言葉は強く、重い。その言葉に、一切の偽りはない。
どうせ、滅びの運命にあった我ら。今更、何を戸惑うか。汚泥をそそり、ただただ生きているだけの日々が、果たして生きていると言えるだろうか。
否。
ならば、賭けて見るのもいいかもしれない。この青年に。
スヴェイルは自然と彼に対し、主に取る礼をする。それはいつもの仕事の時のように、渋渋するものではなく、本心から出た行動であった。スヴェイルは顔を上げ、彼を見る。
アンセルムスはスヴェイルの烙印を撫でると、言った。
「今日この時より、お前はシャンクシーションクだ。闇を自在に駆け巡る、伝説の生物の名前だ。今日より、俺の影として働け」
「御意」
スヴェイル、いや、シャンクシーションクは頭を下げ、彼の言葉を受け入れた。
一族は失った誇りを取り戻し、彼に対し絶対の忠誠を誓った。彼らの祖先が邪心に対し、忠誠を誓ったのと同様に。




