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快晴の空に、虹の橋が見えた。

昨日は酷い雨に見舞われたのだが、打って変わってその日は晴天となっていた。

クィルは一人、憂鬱な面差しで自室から空を見る。

空は晴れても、彼の心が晴れることはない。何せ、周りは自分を敵視するものばかりで、心休まる暇がない。低俗なことに周囲の人間は彼に嫌がらせをしてくるし、学院側もそれを黙認していた。

これが人間か、と言う失望も、今ではばかばかしくなっていた。ここに通うようになって一か月で現実を知り、以後、彼はこうして不貞腐れ、ねじまがった様子になってしまったのだ。

虹を見たところで、心は晴れない。


「・・・・・・・・・・・・・・」


クィルはどうにも落ち着かない様子であり、気晴らしに外を歩こうと思った。



セアノ王国王立アレフレグリ魔法学院。それがここの正式名称である。今でこそ、無数の魔法学院の影に埋もれたかつての名門だが、その歴史は長い。セアノ王国の成立はおよそ700年前とされている。当時の歴史資料が大雑把なものしか残っていないため、大体になってしまうが、ちょうどその時にこの魔術大国に存在した魔術師がこの学院の始祖、アレフレグリ・ラゥス・プチャーチンであった。

アレフレグリは当時のバラル帝国との争いで功績を立て、セアノ王国王宮魔術師として任官。数年の間に、王の信頼を勝ち取った彼はこの魔法学院を建設し、後継者の育成に力を注いだという。

彼は大変な人格者であり、魔族の友人も多かったという。しかしながら、彼の高潔さを後継者たちは受け継がなかった様子である。

『広く友を作り、受け入れよ。認め合うことこそ、我らが動物とは違う点である』

これはアレフレグリの言葉であり、この学院内にある彼の銅像にも刻まれている言葉だが、果たしてそれを実践しているものがどれほどいることか。

はあ、と息をつき、クィルは遠くに見えるアレフレグリ像から目を逸らした。


学院の庭を歩いていると、学院の生徒が歩いている。いかにも貴族と言った風貌のバカ息子たち。とみに物を言わせ、同族でさえ見下す者たちが魔族を受け入れるような心があるはずはない。

それでも、人間の可能性をクィルは信じている。

他ならない、彼の母親も人間であったからだ。だからこそ、信じている。人と魔族が、いつか互いに理解できる日が来るのだ、と。


(頼むから、俺を失望させるな。俺に、希望を持たせてくれよ)


紫色の三つ編みを揺らし、クィルは心の中で唱えた。

そんなクィルに近づいてくる影が一つあった。その影はクィルに悟られないよう気配と、それに魔力も極力決して近づいた。そして、彼の肩に手を置いた。クィルが振り向くと、そこには一人の学院の上級生がいた。


「って、アンタか」


「アンタとはご挨拶だね。こんにちは、クィル。今日はいい天気だね」


飄々と普通にクィルと話したその女性とは、鬱陶しそうに長い黒髪を払い、微笑んだ。


「何か用ですか、先輩」


「挨拶をしたんだから、ちゃんと返してほしいなあ」


彼女の言葉にクィルはむっとしたが、すぐに口を開いた。


「こんにちわ、エノラ先輩・・・・・・これでいいでしょう?」


「うん、まぁ、許してあげるよ」


エノラ、と呼ばれた少女はそう言うと、満足げに頷く。

エノラ・アンスウェル、としてこの学院では通っているが、実際は彼女は隣国アクスウォードの王女である。王族の中では下から数えたほうが早い彼女だが、それでも流石アクスウォードの血をひいているだけあり、優秀である。彼女の長兄カッシートをはじめ、優秀なものが多いアクスウォード家。彼女もその一員なのだなあ、とクィルは感心したものだ。


「それで、何か用ですか」


「ちょうどレポートと研究も終わってね、暇をしていたら君の姿が見えたんだ。君、今暇だろう?少し付き合わないか?」


エノラがそう言い、笑う。クィルは顔を少し顰め、「どこに行くんですか」と問いかける。


「少し、近くの山に行こうか。そこなら、もう少し綺麗な虹が見えるよ。ここは、空気が悪いからね」


君にとっても、私にとっても。エノラは周囲に聞こえない声の大きさでクィルにだけ言った。

どういうことか、この先輩だけはクィルをいい意味でも悪い意味でも特別視しない。クィルは嫌がっている様子であるが、実際は彼女といるとだいぶリラックスできる。

半ば強引な誘いであったが、クィルがそんな人物の誘いを断るはずはなかった。



学院の外にある小高い山。学院から出る場合、外泊ならば許可がいるが、そうでない場合は許可は必要ではない。エノラに連れられ、クィルは歩く。

山の中は穏やかである。魔術用の素材や小動物しかいないため、危険もない。山頂までつくのはあっという間である。


「ほら、ここからなら学院からよりは綺麗だろう」


「確かに」


クィルは素直に同意した。空気が澄んでいて、魔力も清らかである。周囲の視線も気にせず、ここでなら羽を伸ばせる。

虹の七色も、心なしか空に栄えている。


「私も、たまにここには来るんだ」


たまにあるだろう、独りになりたい時が、とエノラは同意を求める。クィルは頷いた。


「そう言う時に来るんだ」


「・・・・・・・・・・・・・」


クィルは空を見ながらも、横目でエノラを見た。

どこか悲しそうな瞳が虹を見ている。その瞳が見ている先にある者は一体何なのだろうか。


「ん、どうかしたかい?」


クィルの視線に気づいたエノラがクィルに問いかけた。クィルは顔を逸らし、いいや、と返した。まさか、見惚れていた、とは言えない。クィルはそのことを自分の中に押し込み、空を見る。


「綺麗だな」


「そうだね」


そのあとは、沈黙して二人、虹を見ていた。

不思議とその時間は苦ではなかった。

やがて、空は紅に染まり、虹も消えていった。二人は踵を返すと、学院に戻っていった。

学院に戻るのは憂鬱だが、それでも先ほどまでよりは気持ちが晴れていた。








娘の虹色の髪を撫で、エノラが思い出したのはどうと言うことのない彼との思い出の一つ。あの時は格別、いい思い出があったわけではないが、それでも彼とともに時間を共有できた場面は多々あった。

彼は死んでしまったが、今なお、思い出の中でクィルは生きているし、娘の中にも彼の想いは生きている。

眠っている幼い娘を愛でるエノラに、レヴィア=ツィリアが声をかける。


「クィルを思い出しているのか」


「ええ」


髪を撫でるのはやめずに、エノラは頷く。

少女から大人の女性になった彼女は、さらに綺麗になった。母親となったことで、より強く、美しくなった。娘への責任感が、彼女を強くした。気丈にも彼女はクィルや仲間のことで鳴きはしなかった。常に、娘の前では強くあった。

しかし、レヴィアは知っている。彼女が平気そうな顔をして、その実、心の中で泣いていることを。


「辛いなら、泣いてもいいんだぞ」


「辛くはないわ。だって、私にはこの子やあなたがいるのだから」


泣くのは何時だってできる。エノラはそう言った。


「いつか、聞かせてあげるのよ。クィルがどれほど、あなたのことを大事に思っていたかを、世界がどれほど美しかったかを」


エノラはそう言い、空を見た。

あれから、あの日から世界は色を失った。虹という現象も。

けれど、彼女は知っている。いつか見た虹の色を。希望の色を。

娘の七色に輝く髪を撫で、エノラは目を閉じ、子守歌を歌う。



虹はまだ、消えてはいない。

絶望の底で、希望はその輝きを増す。


「この子に、祝福を」


亡き友を思い出して、彼女は言った。





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