運命に抗う者たち
中央大陸に悠然とそびえるオリュンの山の上より、かの魔神は一人地上を見下ろしていた。
彼の背中からは、鋭い剣の翼が生えていた。飛び立つための翼ではなく、それは断つためのものである。
彼の名前をハーイアと言う。ゾドークの魔神の頂点にして、世界最強の魔神。それこそが彼である。
ハーイアは長年、その場所より世界を見てきた。そして、その時を待っていた。神を滅ぼす時を。
それが彼自身か、それとも別の誰かか、それはどうでもいい。ただ、時期が来るのを待っていた。結末が光であろうとなかろうと、神が死ぬのならばそれでいい。たとえ、自分が死すとも。
ザリ、と砂の音が背後でする。来たか、とハーイアは振り向いた。
「遅かったな、反逆者の名を冠せし者よ」
剣のように鋭く鈍く輝き翼。太陽を背に、八対の翼を広げ、魔神は彼の者を迎えた。
「ようこそ、【裏切りと真実を司るもの】よ」
「裏切りと、真実・・・・・・・・・・・・・・?」
「いや、失礼・・・・・・・・・・・・神に祝福されぬ者よ」
そう言い、ハーイアは彼を見る。
黒い髪。黒曜のように黒い瞳は、この世のあらゆる悪を象徴するかのようであった。
アンセルムス。それが、彼の名前だ。
「はじめまして、魔神ハーイア」
アンセルムスは、彼にしては珍しく緊張した様子であった。不敵な笑みも、余裕な態度も、小馬鹿にした態度もそこにはない。
純粋な畏怖。それだけがあった。
そんな彼の手には、不思議な光彩を放つ、氷柱のような剣が握られていた。
この世界においては、二つと存在しない『あらゆるものを殺す武器』。
神代、エルフに託され以後秘匿され続けてきたそれを、エルフは『魔神殺しの刃』と呼んでいた。
あらゆるもの、つまりは魔神も、神ですらも殺すことが可能、と言うことである。
たとえ、最強と言われるハーイアでさえも、この剣にかかれば、死ぬ。
かつて、神に仇名す魔神が自身の血肉と魔力を込めて作りだしたとされる、幻の武器。エルフの王によって代々秘匿されてきた、神代の時代の武器。もっとも古き時代、十二人の神々がまだ地上に姿を見せていた時代よりあるものだ。
「その刃で私を殺すか」
「お話が早くて、助かりますね」
アンセルムスはそう言うが、易々と殺させてはくれまい、と内心思っていた。今でさえ、魔神が手を少し動かしただけで、アンセルムスはすぐにその身体を塵にされてしまうのだから。
「それで、どうやって私を殺すつもりだ?最強の魔神であるハーイアを」
「・・・・・・・・・・・」
沈黙するアンセルムス。しかし、山が突然小さな揺れを起こす。「む」とハーイアが声を出す。
「この、揺れは?」
「魔神トラキア、ご存じでしょう?」
無論、ハーイアが知らぬわけはない。序列六位『帝王』トラキア。外海を彷徨い、果てを目指す最古の魔神。
「彼にご協力いただきましてね、彼の城『世界蛇』をお借りしました」
中央大陸をとりまくアウラ海。その深海深くに潜む世界蛇。その内部には、この世界のあらゆる軍隊も及ばぬ最強の軍団と武器が収められている。
「なるほどな。それを私にぶつける、か」
「はい。無限に湧き出る軍勢相手に、あなたと言えども永遠に相手はできますまい?」
「そして、それで私を殺す、か」
ときに、とハーイアが口を開く。
「トラキアはどうした?」
「彼、ですか」
アンセルムスはニヤリと笑う。
「彼は肉体的には生きていますが、その心、とでもいうべきものはすでに彼が夢見たオケアノスですよ」
「・・・・・・・・・・」
その言葉で、すでにトラキアは死んでおり、その肉体をどうにかしてアンセルムスが利用しているのだ、ということがうかがえた。
大方、彼に力を貸す「異邦人」の協力によるものか。
あの品のいい老紳士もついに逝ったか。
「なるほどな。もはや、私にできることは何もない、か」
「大人しく、私に殺させていただけますか?」
アンセルムスの言葉に、ハーイアは何も答えない。
沈黙を肯定と受け取り、アンセルムスは魔神ハーイアに近づいていく。
そして、目の前に来たアンセルムスに、ハーイアは言う。
「再び同じ道をたどる、か。なるほど、それもまた、世の理、か」
「何を言っている?」
「なんでもない、だが、アンセルムスよ・・・・・・・・・・確実に神を殺せ、そして己が欲望を叶えるといい」
その言葉に、アンセルムスはき、と睨み、その左腕に持った剣を高く空に掲げる。
「言われずとも、そのつもりだ」
そして、それは振り下ろされた。
こうして魔神ハーイアはあっけなく死んだ。その身体は灰となり、オリュンの山から風に吹かれてなくなった。
刃を構え、アンセルムスは虚空を見つめた。そして踵を返すと、最後の仕上げに取り掛かった。
最後の、仕上げに。
平穏な村の中。木漏れ日の中、エノラとクィルは森の中を歩く。
クィルは慈しむように、愛おしき人の腹を撫でる。生命の鼓動はまだ感じないが、確かにそこには彼と彼女の子が宿っているのだという。
いつか、生まれてくる我が子。そんな我が子に、この荒廃した世界は見せたくはない。
だが、そうもいっていられない。彼にせめてできることは、この小さな楽園を守ること。
そして、いつか、この子も自分たちも、皆が分かり合える世界を作るのだ。
「大丈夫だよ、クィル」
きっと、と呟くエノラ。
強い、横顔。何度となく、彼女に救われただろう。
クィルは強く、強く少女を抱きしめた。
「エノラ、愛している、誰よりも・・・・・・・・・・・・・・」
「私もだよ、クィル」
抱きしめ帰すエノラ。そして、陽の光の下で、その口が重なり合った。
その様子を静かに見ていたものがいた。
リナリー・アルミオン。彼女は今、苦悩していた。
グラウキエ大宗主国より逃げてから、彼女にはある一つの記憶が蘇っており、それは陽を追うごとに鮮明になり、彼女を苦しめていた。
終わることのない悪夢。その記憶。魂が思い出す。
繰り返される世界。エデナ=アルバ。呪われし神々。裏切りの神。父なる神。知らないはずの言葉、鮮明な映像が脳裏をよぎる。気が狂いそうなほどの情報量に、リナリーは呻く。ほかの誰にも共有はできない、彼女だけの痛み。
血に塗れたとも。地に伏せる自分の姿。そして、終わる世界・・・・・・。
彼女は知っている。この先の未来を、物語の結末を。
「止めなきゃ・・・・・・・・・・」
そう言うが、彼女にはどうしていいかはわからない。いつだってそうであった。
彼女は優し過ぎた。それゆえに迷い、傷つき、そしていつだって同じ結末を迎えてきた。繰り返される輪廻を変える力を持つのに、それができなかった。そのせいで、また多くの命が失われた。
ふがいなさに、胸が痛む。
あの二人に、また同じ運命を歩ませるのか。自分に問う。
それだけは、避けなければならない。
『迷っているの?』
「・・・・・・・・・・・・誰?」
そんなリナリーに声をかけるものがいた。その存在の姿は見えない。ただ、声だけが響いていた。暖かな声は、リナリーを包むように感じた。
『あなたは優しいね。その力で、誰かほかの人に責任をなすりつけるのが厭なのね』
「そう、これは私たちの問題。ほかの人を巻き込むわけにはいかない。けれど・・・・・・・・・・・」
俯くリナリー。声は沈黙していたが、やがて口を開いた。
『けれど、あなたは選ばなければいけない。終わらせなければいけない。この狂った物語を』
「けれど、どうすればいいの?」
『あなたにはわかっているはずだよ。何をすればいいのかを、そうでしょう?レア』
「・・・・・・・・・・・あなたは誰なの?」
リナリーが声に問うと、声は笑った。
『私は、あなたの無意識の願い、スキルが作り上げた存在。名前はギーゼラ』
「ギー、ゼラ・・・・・・・・・・・」
クィルたちの話に聞いた少女と同じ名前だ、とリナリーは思った。死んだはずの少女と同じ名を持つ声は、フフ、と笑った。
『私は物語を終わらせるために造られた。けれど、私だけでは足りないの。レア、決心して。あなたにしかできないことなのよ』
「けれど、それは・・・・・・・・・・・・・」
『あなたが迷うほど、事態は悪化するよ。時期に彼らがここに来る。そう、もう間もなく』
それでも、リナリーは決めることはできない。
クィルとエノラ、そしてお腹の中の子ども。彼らの運命を変えることなど、自分にはできない。
ツ、と唇をかむ少女。彼女の耳に、轟音が響いた。
『来た』
声はそう呟き、消えた。代わりに今度は、巨大な何かがこの集落を襲った。
リナリーはそれが何かを知っている。
『世界蛇』と、そして反逆者アンセルムス。
突如現れたゴゥレムの軍団。世界蛇の中から飛び出してきたそれは、集落の人々を、いや生命ある者も、そうでないものもすべてを破壊しだした。
それを相手にしながらクィルは人々の避難を指示した。自身は両手両足を竜化させ、人々の盾として戦い続ける。
「クィル!」
そんなクィルの側に駆け寄り、魔力で作り出した刀で敵を斬りつけ、破壊するエノラ。
「エノラ、君は逃げろ!」
「でも!」
「君の命は君だけの物じゃないんだ!だから、頼む・・・・・・・・・・」
悲痛なクィルの声に、エノラは戸惑う。愛おしむ瞳が、彼女の腹部に向けられる。
「エノラ」
「レイラ」
そんなエノラの肩に手を置くレイラ。
「クィルなら、任せておきなよ。私が責任持つよ」
だから、と言いレイラは後ろに立つセラーナを見る。セラーナが頷く。
エノラは渋渋頷き、クィルの唇にキスをする。
「約束して、生きて帰ってくる、って」
「・・・・・・・・・・・・・約束する」
そう言い、笑ったクィルが行け、とエノラを促す。
セラーナがエノラの腕を引いて、去っていく。
その姿を見て、クィルは静かに笑い、敵を見る。その横にレイラが並ぶ。
「悪いな、レイラ」
「何謝ってんだよ、無事に帰るんだろ?」
「ああ」
「なら」
鞘から剣を抜き、レイラは構える。命なき軍勢が襲いくる。
「さっさと片つけないとなァ――――!!」
命なき軍勢を率いるアンセルムスの前に、立ちはだかる者がいた。
青銀の鱗の、孤高の魚人の戦士リクター。
三つ又の銀槍を構え、敵を蹴散らし、破砕する。
「・・・・・・・・・・・・」
アンセルムスの見る中、まるで戦神のごく敵を薙ぎ払い、進むリクター。
どれほどの敵であろうとも、彼は怯むことなく進む。
「目障りだな、ハザ」
アンセルムスがそう言うと、どこからかハザが現れる。
「なんだ?」
「あれを、殺せ」
「はぁん、野郎は好みじゃねえんだが・・・・・・・まあいいぜ」
褐色の魔神はそう言うと、奇声を上げてリクターの方に向かう。
「何者であろうとも、通しはしない」
「およよ、かっこいいねえ。でも、その虚勢、何時まで続くかねえ?」
はて、というハザを見て、リクターは鼻を鳴らす。
魚人の青年は、異世界より来たものを見据える。死の恐怖などない、戦士の瞳で。ハザはそれに対し、嘲笑を浮かべていた。
「来るがいい!矜持なき、悪鬼よ!我が名はリクター!誇り高きトライトンの息子!」
そして、リクターは己の最期の戦いに向かっていった。
激戦を潜り抜け、エノラたちを追うクィルたちだったが、そんな彼らの前に無残な光景が広がっていた。
「リ、クター」
クィルは呻いた。隣のレイラも、息を吞む。
彼らの前に現れた敵が持つ首。それは、つい先ほどまで彼らとともに生きてきたリクターの物であった。
壮絶な戦いを繰り広げたのか、顔は傷だらけでその首を持つ褐色の魔神も傷が癒えていなかった。
「まさか、再生能力を封じるスキル持ちとは、厄介な」
血を吐きながら、ハザは呟く。普段ならば治っているはずの傷も、治ることはない。少なくとも、今すぐには。リクターの戦いは無駄ではなかったが、それでもこの魔神を少々手こずらせた程度であった。
「・・・・・・・・・・・お前たちは、何のために俺たちを殺す!?なぜ、ここに来た!」
虐殺をもたらし、友を死に追いやった者に対し、クィルは怒りを抑えきれず、叫んだ。
「なんのためぇ?それはねえ、特に意味はないのさ」
ハザはそう言い、きゃは、と笑う。
「ただ、面白いから、それだけ――――――――――――っておよ?」
そう言い、彼はレイラを見る。そしてにやりと笑う。
「およよ、まさか生きていたとはねえ、レヴィア=ツィリア」
「!?」
クィルと少女が驚く。
「まさか、自分がだれか忘れているのか、まあそれでもいいさ」
ハザは、狂った笑い声をあげる。
「さぁ、狂宴の始まり始まりィぃぃぃぃ!!!」
逃げるエノラたち。だが、その前にも敵は立ちふさがる。
エノラやセラーナが敵を蹴散らす。だが、それも湧き上がる敵には意味がない。
人々が殺される。種族も何も、関係なく。
「くぅ」
「エノラ!」
転んだエノラを庇うように立ちふさがったセラーナ。その身体を、鋭い刃が貫いた。
「セラーナ!!」
セラーナを貫くゴゥレムを破壊し、エノラは親友を掻き抱く。
胸に大穴を開け、口から血を吐き出すセラーナ。弱い手で、エノラの手を掴む。
「無事、エノラ・・・・・・・・・・・」
「セラーナ・・・・・・・・・・・しっかり、しっかりして!!」
エノラの絶叫に、弱弱しく笑ったセラーナはエノラの頬を撫でる。べたりと、彼女の血が付着するが、それも気にせず、その手を握りしめるエノラ。
「生きて、生きて、エノラ・・・・・・・・・・・・・・その子を、」
そして、彼女の首ががくりと落ちる。
「・・・・・・・・・ごめん、ね。かあさ、ん・・・・・・・・・・・・・セウス」
そして、その瞳が閉じられた。
「セラーナ!!」
エノラが叫ぶ。その彼女に襲い掛かる石人形が吹き飛ぶ。
「・・・・・・・・・・・セウス?」
石人形を吹き飛ばした人物を見て呟くエノラ。
砂色の髪の魔神は、今まで見たこともない憤怒に顔を歪めていた。
そして大切なセラーナのもとに駆け寄るために、邪魔をする敵を無慈悲に葬っていく。
そして、彼女の力ない体のもとにたどり着くと、エノラの足元に倒れていたセラーナを抱く。
「また、失うのか、私は」
「セウス」
「エノラ、君は行け」
「え?」
セウスはそう言い、セラーナを抱いたまま遠くのゴゥレムたちを見る。
「私が、止める。だから君は人々を頼む」
セウスはもはや、生きる気はなかった。今はただ、腕の中の少女が守ろうとしたもののために戦い、彼女のもとに逝くだけへを考えていた。
「早くいけ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
黒い目に、涙が浮かび、そして彼女は走り出す。セウスに背を向けて。
「それでいい」
そう言って、腕の中のセラーナを見て笑う。だが、彼女は微笑み返すことはない。
「さあ、行こうか」
生きながらえてきたこの命、今こそ使おう。
魔神セウスは、剣を握りしめ、進みだす。
セアリエル、付き合ってくれ。セウス、最後の戦いに。
何千と言う時を生きた青年は、愛おしき少女を抱え、剣を振るう。群がるゴゥレムたちを切り払い、王は勇猛果敢に挑んでいく。
背後をちらりと見て、セウスは笑った。
「達者でな、エノラ」




