人と魔族と
「人間族が魔族を恐れるのはなぜだと思うかね?」
大宗主は茶を注いでいるリナリーに向かって唐突に聞いてきた。リナリーはポットを置き、大宗主にカップを差し出すと、少し小首を傾げて考え込む。
「人は異なるものを恐れるから、ですか?」
違う人種、種族、旗本。それだけの理由で人間は迫害し、争い、奪い合う。リナリーが現在、学校で習っている歴史もそれを物語っている。古来から存在する戦いの多くが、そう言った些細な差異や違いから起こったものである。魔物や魔神が引き起こした事件よりも、人間対人間、または魔族やエルフ、ドワーフと言った種族との争いの方が遥かに多い。
リナリーの答に、大宗主はそうだな、とうなずく。
「人はそう、異なるものを恐れる。それが自分たちにとって未知の存在であるからだ」
「でも、たったそれだけの理由で憎むことができるのでしょうか」
大宗主国のある東のクライシュ大陸は、魔族に対しても他大陸よりも寛容であったし、他大陸ほど争いもない。魔物や魔神による事件こそあれども、この大陸での争い事は、大宗主がその地位についてからはめったに発生していないはずである。
「人間は自分たちが最も優れた種族であるという。確かに、それは一理あるかもしれない。エルフやドワーフは優れた技術を持っていて、遥か昔は人間よりも勢力を持っていた。だが、今ではどうであろう。魔族の様に差別されることはなく、独立した国家も持っているが、その勢力は限られてしまっている。一方の人間はその生存圏を広げており、今やすべての大陸のあらゆる場所にいる。極寒の雪原にも、熱砂の中であろうとも。それは人間種の優秀さを示しているかもしれない」
あるいはそう信じ込みたいのかもしれないな、と大宗主は呟く。
「彼らを脅かす存在として、魔族が台頭してきた時代があった。それまでは少数であった彼らが、ある時期に増えた。それが、かつての対戦であり、それに魔族は破れ、生存圏を限られ、人権すら失った」
大宗主はそう言い、遥か遠く、魔族国のあるラカークンを見た。リナリーもそちらを見るが、見えるのは雲と空とグラウキエの街々だけである。
「それに、人間と魔族がともに暮らすようになれば、いずれ人間は人間でなくなる。そう言う恐怖があった。かつてより、人間と魔族のハーフは強い力を持っているとされた。事実、歴史に残る事例の多くはそれを証明している」
「自分たち人間種族の地位を脅かしかねない、ということですか?」
「そう。魔族と現在呼ばれる彼らには、それだけの可能性があった。本質的に受け入れられない部分もあったが、それ以上に人間としての誇りと特権意識が魔族差別に走らせた。それが歪曲され、今の今まで続いているのだよ」
大宗主はそう言い、乾いた口を潤すために先ほどの茶を飲んだ。リナリーは物悲しく目を伏せ、呟いた。
「そんなの、理不尽ですね。まるで、自分たちが神様みたいに」
「そうだね、それは愚かしいことだ。我々はこの世界の支配者でもなければ、もっとも優れた種族でもない。過ちを繰り返すどうしようもない種族・・・・・・・・・・・・」
大宗主はそう言い、目を閉じた。大宗主の口からこのようなことを聞いたことはなかった。いつもは穏やかであり、何かを悪く言うことは滅多にない人であったから。リナリーは何かあったのだろうか、とも思ったが、それを口にすることは避けた。
「そう、過ちを繰り返す。私たちは繰り返すことしかできない」
大宗主はもう一度呟くと、リナリーにもういい、と手を振る。リナリーは大宗主に礼をし、容器を片付け退室した。
リナリーは歩きながらラカークン大陸のある方向を見た。
見えるものは変わらず、雲と空だけ。しかし、南の空には暗雲が立ち込めているように見えた。
「きゃはははあっはははははははははああはははあははぁはぁあああああっ!!!」
笑い声がけたたましく響く。土煙を上げて、無数の魔力槍が吹き飛ぶ。黒い肌の魔神、ハザはその異名通り、狂った笑みを浮かべ執拗にセウスを狙う。翼もないのに空中を自在に飛び、どこからでも魔力の槍を射出する魔神に、流石のセウスも額に水滴をつけ、躱し、叩き落とすのに必死であった。セウスとて英雄の一人として知られた人物。そんな彼に攻めることをハザは許さなかった。
セウスはスキルのおかげでまず死ぬことはない。首が落ちるか、身体が原子レベルまでバラバラにされるか。しかし、気を抜けばすぐにセウスもそう言う目に遭う。それほどまでにハザは油断ならない強力な相手である。
『狂笑』ハザ。そのほかの魔神たちと比べ、その情報量は少ない。一桁ナンバーでありながら、名前以外は一切不明なのだから、対処の使用がない。
「貴様の目的はなんだ、魔神よ」
セウスは剣を振るいながら問う。傷は瞬く間に再生する。そんなセウスをまるで新しいおもちゃを見るかのようにハザはニタニタとみていた。
「目的、ねえ。壊し、犯し、奪う!・・・・・・・・・・・・・しいて言えば、そんなところかなァ」
「刹那の快楽のために、全てを巻き込むというのか?」
王として国を統べ、民をすべて来たセウスにはその気持ちがわからなかった。王であるがために、全てをセウスは投げ売り、身を粉にした。その結果がトローアの破滅であったとしても、そのことに一片の悔いはなかった。
「そんなだから友人にも妻にも逃げられ、息子には反逆されたんだ!!」
「っ!」
しかし、その一言が忘れ去っていたはずの傷を抉る。セウスの動きが一瞬鈍くなり、彼の右脚を槍が貫く。
「ぐあぁ!!」
「不死身に近いと言っても、痛覚がねえわけじゃねえ!お前が肉体的に死なねえなら、精神的に殺すまでェぇ!!」
ハザはそう言うと、より早く、より強力な槍を放つ。
「そらそらそら、王サマァ、踊ろうぜェ!!」
「く、ぅ」
セウスは剣でそれを叩き落とす。だが、剣も彼の精神も限界であった。
腰のセアリエルを抜こうとし、それが折れていることを思い出す。
このまま負けるのか。また、失うのだろうか。セウスの胸の中に、弱気な言葉がよぎる。
血に塗れた子供の姿。燃える王国。去りゆく友の姿。死した父王の姿。約束。
そして、オレンジ色の髪の彼女の顔―――――――――。
「いい加減飽きたな、そろそろ死ねや」
そう言ったハザが槍ではなく、自身の爪でセウスに止めを刺そうと迫った時、紫色の閃光が二人の間に入り込んだ。
「!?」
「!!?」
セウスとハザが驚く。セウスは自身を助けてくれた存在を、ハザはいいところを邪魔した厄介者を見る。
紫色の編んだ髪を風になびかせた少年。その両腕両脚は、不自然な姿であり、まるで竜のそれであった。鋭い爪と、紫色の鱗に覆われた、歪な四肢。それはハザの攻撃を受け止めていた。
本気ではないとはいえ、このような攻撃を受け止められるものがそうそういるはずがない。ハザは少年を、クィルを見て、真っ黒な目に怪しい光を浮かべた。
「貴様、ハーフか・・・・・・・・・!?」
「何者かは知らないが、ここから先は通さない」
クィルはそう言うと、ハザを吹き飛ばす。ハザは空中で姿勢を整えると、セウスとクィルを睨む。
「すまない。助けられた」
セウスはそう言い、横にいるクィルを見る。クィルはちらりとセウスを見る。
「あんたは人間っぽいが、敵ではないと見た。それに、俺の本能があれが危険だと言っている。放っておけなかっただけだ」
クィルはそう言い、竜化した四肢を見る。
「とはいえ、両腕がしびれている。さすがに、あれを相手に長期戦はきつい」
セウスも言葉にはしなかったが、同意見であった。
そんな二人の前で、ハザは舌打ちをして空を見る。
「あーあ、くそ。時間切れ、かな・・・・・・・・・・・・・」
そう言ったハザは二人を見て、作り笑顔をした。
「お前ら助かったなあ。俺サマにも用事があってなあ、その時間が来ちまった。そう言うわけで、御遊びは終わりだ」
そう言いハザの姿が、徐々にかすれていく。空気に溶けながら、ハザは耳障りな笑い声を上げた。
「次に会ったときは、殺し合おうぜェ。もっとも、その時まで生きていたら、の話だがな」
バイバ~イ、と手を振り魔神は消えた。
死すら覚悟していた二人は安どのため息をつくとともに、まだ危機が去っていないことを認識する。ハザが消えたから、問題が解決したわけではない。
人間の兵士たちは、アルトリザリコン目指して徐々に進んでいた。
「・・・・・・・・・・・・とりあえず、いったん後ろに下がろう」
セウスはそう言い、少年を見る。クィルは頷き、両手両足を元に戻した。
「クィル・アルゲサスだ」
そう言い手を差し出してきた少年に、砂色の髪の青年は口元に笑みを浮かべ、握り返した。
「トローアのセウスだ。よろしく頼む、クィル」
ヨトゥンフェイム率いるインヴァテールの精鋭たちも、その半数が鬼籍に入ってしまっていた。
ゴゥレムの第一陣を潰したものの、人間は新兵器を大量に作っていたらしい。生命のないゴゥレムに自爆の魔術方程式を組み込み、突撃、自爆。これによる無差別攻撃を防ぐ手立てはなく、多くの勇士が苦戦し、死亡した。
卑劣な攻撃にヨトゥンフェイムは憤る。そうまでして滅ぼしたいのか、人間たちは、と。
理解すら放棄し、戦争をけしかける種族が、もっとも優秀な種族とは笑ってしまう。
ゴゥレムに隠れ、陰から攻撃する人間たちに向かって彼は嘲笑した。
「どうした!私はここだぞ!私一人倒せないとは、人間は他愛ないものだな!!」
ヨトゥンフェイムは敵の注意を惹きつけるため、あえて挑発をした。今戦っている相手は、彼にとって幸いなことに誇りだけは高いアクスウォード貴族の十進者であり、挑発に易々と載ってきた。
ゴゥレムをけしかけ、自分たちも前線に出てくる。ヨトゥンフェイムを数で押す考えだが、甘い。伊達に彼は魔族国の守護者ではないのだから。
ゴゥレムは巨大で、堅牢だ。しかし、どこかにある魔法基盤さえ叩けばあっけなく崩れる。
攻撃を避け、横を通るその一瞬でヨトゥンフェイムはその場所を見抜き、斬りつける。二刀で二体を同時に切りつける。泥と石で作られた魔力人形は音を立てて崩れる。その後ろにいた人間たちは、ヨトゥンフェイムの怒りの剣劇を避けることは出来なかった。
数個の肉片に分断されたアクスウォード貴族は惨めに泥にまみれ、事切れた。
インヴァテールの長は戦場を見る。燃え盛る魔族国。中央にそびえるアルトリザリコン要塞以外は、もはや無事な建物はない。
昨日までの人々が行きかう街の姿はもはやない。
故郷を、楽園を壊したものへの怒り、悲しみが溢れる。
「トライトン、トロント、グラール」
今も戦っている友人たちの名を呟くヨトゥンフェイム。当然ながら、彼がトロントとグラールの死を知る機会はなかったし、それが訪れることは永久になかった。
何故なら、彼はもうすぐ死ぬのだから。
人間の軍勢を蹴散らしたヨトゥンフェイムが戦場を移動しようとした時、強い魔力の波動を感じた。
彼は剣を構え、その相手の姿を探した。
瓦礫と死体の山の向こうで、何か蠢く影を見た。
その瞬間、氷の刃が飛んできた。避ける間もなくそれはヨトゥンフェイムの右肩を骨ごと貫いた。激痛が走る。ヨトゥンフェイムはすぐさまそれを抜き放ち、剣を構える。
その時にはそれは目の前に迫っていた。それに彼は驚いた。
それは少女であった。エルフの少女。長い金髪と、感情のない緑色の瞳。光のないその瞳が、無感動に彼を見る。彼女の片手からは、溢れんばかりの魔力が流れ出している。背中には氷柱の塊が無数に飛んでいる。
ヨトゥンフェイムは彼女を見た時、一瞬でも迷ってしまった。まだ子供であった。クィルやエノラ、それにギーゼラ。彼女たちとそう離れていないはずだ、と。そのために、判断が鈍り、彼に死を招いたのだ。
ゴッ。
ヨトゥンフェイムが最期に聞いた音は、自身の心臓が少女に貫かれる音であった。右手を血に染め、心臓を貫いた少女はそれを抜くと、倒れた男の身体には一眼もくれずに歩いていく。しかし、途中で気でも変わったのか、回れ右をして、戦場を離れていく。
がは、と男は血反吐を吐く。もう喋る気力もなかった。命の輝きは一秒ごとに喪われていく。流れる血は止まらない。
思い浮かべるのは、息子と妻の姿。
家族そろって、ともに過ごせる世界。そんな優しい世界を、かつて彼は夢に見た。
けれど、それは儚い夢であった。
無情な世界。こうして楽園の最期を見ることになろうとはな、と彼は心の中でつぶやいた。
(クィルよ、お前は生きろ。そして、自分を貫き通せ。私たちができなかった夢を・・・・・・・・・・)
目を閉じ、ヨトゥンフェイムは息を引き取った。
死の間際、彼が見たのは笑う彼女の姿であった。
『行こう、サーシャ』
微笑む彼女は、手を差し出す。暖かく、優しいその手を握り、二人は歩き出す。遥かな光の向こうへと。
もう誰も、彼らを阻むことができる者はいなかった。
彼の魂は、ついに楽園に至ったのだ。




