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第9話:帝都視察と、世界の現実

「わぁ……っ!」


神聖ゼムリア帝国の首都、帝都。

公爵邸の馬車から降りた私は、目の前に広がる光景に思わず感嘆の声を上げた。


石畳の広い大通りには、色鮮やかなオーニングを張った商店や屋台が立ち並び、活気に満ちた人々の声が響き渡っている。空には時折、馬車を引くペガサスや、魔法の光を放つ配達用の鳥が飛び交っていた。


(ゲームのオープニングで見たCGと一緒だ……! ううん、匂いや音がある分、ずっとすごい!)


私は目を輝かせて街並みを見回した。

今日は、父ディートリヒと黒曜騎士団長ギルバートと共にお忍びでの帝都視察である。

目立たないようにと、三人とも地味な(といっても素材は最高級の)平民風の服を着ている。父の目を引くアメジストの瞳や、私の紫の瞳は、認識阻害の魔法具である伊達メガネでうまく誤魔化していた。


しかし、素材の良すぎる父とギルバートが並んで歩いているだけで、すれ違う女性たちがバタバタと振り返っていく。


「ルル、離れるな。この薄汚れた路地で、お前にぶつかるような不敬な輩がいたら、私が即座に首を撥ねて……」

「お父様、今日は『お忍び』ですから。物騒なことは言わないお約束です」


私の手をギュッと握りしめ、周囲に殺気を撒き散らそうとするディートリヒを、私はジト目でたしなめた。

ギルバートも後ろで「閣下、お嬢様が怖がりますからお鎮まりを」と苦笑いしている。


「あ、お父様! あの屋台、甘くていい匂いがします!」


私はふと、大通りの角にある、果物とクリームを薄い生地で巻いたお菓子クレープのようなものを売る屋台を指差した。

前世の記憶が刺激され、無性に食べたくなったのだ。


「おお、アレか! よし、店主!」


ディートリヒは私の言葉を聞くや否や、スタスタと屋台に歩み寄り、懐から無造作に金貨がぎっしり詰まった袋を取り出して店主の顔面に叩きつけるように置いた。


「この屋台ごと、いや、この通りにある飲食店をすべて買い上げる。今すぐ権利書を用意しろ。今日からここは私の娘の専用厨房だ」

「ひっ!? ど、どちらの貴族様か存じませんが、そんな無茶な……っ!?」

「お、お父様ーーーっ!! ストップ! ストップ!!」


私は慌てて父の腕に飛びつき、全力でぶら下がった。


「一つでいいんです! 私が食べたいのは、そのお菓子一つだけなの!」

「だがルル、お前が気に入ったのだぞ? いつでも食べられるように、店ごと公爵邸に持ち帰るのが一番確実では……」

「温かいものは、この喧騒の中で食べるから美味しいんです! ほら、ギルバート団長も止めて!」

「えっ、俺ですか? いや、お嬢様が喜ぶなら、通りごと買い占めるのもアリかと……」

「脳筋はすっこんでて!!」


結局、私が半泣きで説得し、銀貨数枚で三つのお菓子を買うことで事なきを得た。

店主のオジサンは、父の威圧感に震えながらも、私に一番大きくてイチゴがたっぷり入ったものを渡してくれた。


「ん〜っ、美味しい!」

「そうか、そうか。ルルが笑うと世界が輝いて見えるな……(拝むディートリヒ)」


平和で、呆れるほど過保護な日常。

しかし、その甘い時間は、ふと路地裏に向けた私の視線によって中断された。


華やかな大通りから一本外れた、薄暗い路地裏。

そこには、ボロボロの服を着て、痩せこけた子供たちが数人、地面に座り込んでこちらをじっと見ていたのだ。

彼らの目は、私が手に持っている甘いお菓子に釘付けになっている。


(……スラム、ね)


前世の記憶が、冷静に状況を分析する。

どんなに華やかな帝国であっても、いや、覇権国家であるからこそ、光が強ければ影も濃い。

乙女ゲームでは「ヒロインの優しさを引き立てるための舞台装置」として軽く触れられる程度だった貧困層が、ここでは確かな熱と匂いを持って存在していた。


「……ルル? どうした、あんな薄汚れた路地裏を見て」


私の視線に気づいたディートリヒが、不快そうに眉をひそめた。

彼にとって、領民など「税を納めるシステムの一部」に過ぎず、貧しい者への関心など皆無なのだ。


「あいつらが目障りか? であれば、ギルバートに命じてすぐに掃除(物理)させよう。あるいは……」


ディートリヒは、私が可哀想に思っていると勘違いしたのか、再び金貨の袋を取り出した。


「あの子供たちがいる孤児院ごと、この区画を買い上げてやろう。お前が望むなら、金などいくらでもばら撒いてやるぞ」

「ダメです、お父様」


私は、父の金貨を持つ手をきっぱりと押さえた。


「えっ……」

「お金をあげるのは簡単です。でも、一時的にお金をばら撒いても、その子たちが自分でお金を稼げるようにならなければ、ずっと貧しいままです」


前世で派遣社員だった私は知っている。一時的な支援金より、安定した雇用と、自立するための技術こそが人を救うのだということを。


「公爵家には、領地や事業がたくさんありますよね? だったら、お金をあげるんじゃなくて、あの子供たちが大きくなった時に働ける場所を作れませんか? 孤児院に職人の技術を教える学校をくっつけるとか……」

「……」


私の言葉に、ディートリヒとギルバートは雷に打たれたように固まった。


8歳の子供が、ただの同情ではなく「雇用と経済の循環」を語ったのだ。

普通の貴族令嬢なら「可哀想だからパンをあげて」で終わるところを、公爵家の権力と財力の正しい使い方を指摘した。


「あぁ……」


ディートリヒが、震える手で顔を覆った。


「やはり、私の娘は女神の生まれ変わりだったか……っ! ただ無知に情けをかけるのではなく、民の未来まで見据えたその知眼! なんて聡明で、慈悲深いのだ……っ!!」

「お嬢様……っ! 俺ぁ、アンタについてきて本当に良かった……っ!(号泣)」


(いや、ただの元・社会人の発想なんだけど……)


周囲の通行人が何事かと振り返る中、二人の大男が路地裏の前で私を拝み倒し始めた。

私は頭を抱えながら、いつか絶対にこの過剰な財力を、まともな領地経営(ブラック企業化しない健全な雇用)に回してやろうと、密かに決意を新たにするのだった。

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