第8話:黒曜騎士団長ギルバートの驚愕
執務室での惨劇から数日後。
すっかり血の匂いのトラウマも(前世の図太さのおかげで)克服した私は、父ディートリヒに連れられて、公爵邸の敷地内にある広大な演習場を訪れていた。
「いいか、ルル。奴らは剣を振ることしか能がない野蛮な獣の集まりだ。少しでも怖かったら、すぐに私に言うのだぞ。一秒で全員の首をはねてやるからな」
「お父様、自分のところの騎士団になんて物騒なこと言うの……」
相変わらずの過保護っぷりを発揮するディートリヒに手を引かれ、私たちが演習場のバルコニーに姿を現すと、空気を切り裂くような怒号と剣戟の音がピタリと止んだ。
演習場にいた数百人の屈強な騎士たちが、一斉にこちらを向き、地響きのような音を立てて片膝をつく。
「公爵閣下!! そして、ルルーティアお嬢様!! 黒曜騎士団一同、お出迎えいたします!!」
先頭で声を張り上げたのは、真っ赤な髪の豪快な青年——黒曜騎士団長、ギルバートだ。
数日前の血まみれの執務室で会った時は「気のいいお兄さん」という印象だったが、甲冑を身にまとい、数百の屈強な男たちを従える姿は、まさに『帝国最強の武力』を束ねる猛将そのものだった。
「……ギルバート。今日は娘の社会見学だ。お前たちの普段の訓練を見せてやれ。ただし、娘の美しい目に泥一つでも跳ねてみろ。貴様らを全員、領地の北の果てで雪かき要員にしてやる」
「はっ! 肝に銘じます!!」
ディートリヒの理不尽な命令に、騎士たちは一糸乱れぬ動きで演習を再開した。
木剣が激しくぶつかり合う音。
砂埃が舞い上がり、男たちの汗と熱気がバルコニーまで伝わってくる。
時折、魔法の爆発音すら混じる実戦さながらの凄まじい訓練風景だ。普通の8歳の令嬢なら、その暴力的な迫力とむせ返るような男たちの匂いに、泣き出して逃げ出してしまうだろう。
実際、ギルバートはチラチラとこちらを盗み見ながら、(お嬢様が怯えて泣き出さないだろうか……)とハラハラしているのが分かった。
しかし。
(……すごいわね。あの連携、どうなってるのかしら)
私は身を乗り出すようにして、騎士たちの動きに釘付けになっていた。
前世の私は、スポーツ観戦すらあまり興味のないインドア派だった。だが、30代の社会人として『組織の動き』を見る目はそれなりに養われている。
前線で派手に剣を振るう者たちだけでなく、後方から絶え間なく指示を出し、魔法で援護し、常に陣形を整え直す者たちがいる。個人の武力だけでなく、組織としてのシステムが完璧に機能しているのだ。
(これだけの大人数を、あんなに統率された動きで動かせるなんて。……ギルバート団長、脳筋キャラかと思ってたけど、ものすごいマネジメント能力の持ち主じゃない!)
一時間の演習が終わり、騎士たちが汗だくになって整列した。
ギルバートが、少し緊張した面持ちでバルコニーを見上げてくる。
「……お、お嬢様。いかがでしたでしょうか。むさ苦しいものをお見せして申し訳ありません」
彼はおそらく、「野蛮で怖い」と言われるのを覚悟していたのだろう。
私はバルコニーの手すりから身を乗り出し、満面の笑みで彼らに向かって拍手を送った。
「素晴らしい演習でした! ギルバート団長、皆さん!」
よく通る子供の甲高い声が、静まり返った演習場に響き渡る。
騎士たちが、驚いたように顔を上げた。
「最前線の方々の剣さばきは本当に力強くて、見とれてしまいました。でも、私が一番すごいと思ったのは、全体がひとつの生き物みたいに動いていたことです!」
「え……?」
「後方で指示を出している方々の声が、隅々まで届いている証拠ですね。最前線が安心して戦えるのは、後ろのサポートと、団長であるギルバートさんの統率力があるからこそだと思います。……皆さん、お父様とこの領地のために、毎日こんなに厳しい鍛錬をしてくださって、本当にありがとうございます!」
前世の経験上、現場で働く人間が一番言われて嬉しいのは「見えにくい地味な仕事や、連携の苦労を評価されること」だ。
私は、感謝の気持ちと労いの言葉を、心の底から真っ直ぐに伝えた。
しん、と。
数百人が集まっているとは思えないほどの沈黙が、演習場に降りた。
騎士たちは全員、ぽかんと口を開けて私を見上げている。
やがて、ギルバートの大きな目から、ボロボロと滝のような涙がこぼれ落ちた。
「お、お嬢様ぁぁぁ……っ!!」
ギルバートは、兜をかなぐり捨ててその場に両膝をついた。
「俺たちの……俺たちのような荒くれ者の、泥臭い連携や裏方の動きまで見ていてくださったなんて……っ! しかも、あのような天使の微笑みで労ってくださるとは……!!」
「うおおおおおっ! お嬢様バンザイ!!」
「俺は……俺は今この瞬間から、オルディス公爵家ではなく、ルルーティアお嬢様の剣となる!!」
数百人の騎士たちが次々と膝をつき、大地を揺るがすような号泣と歓声を上げ始めた。
むさ苦しい男たちの『大推し活大会』の開幕である。
(……うん、この世界の人たち、感情のブレーキ壊れてる人が多すぎるわ)
私は内心で冷や汗をかきながら、引きつる笑顔のまま優雅に手を振り続けた。
ふと隣を見ると、ディートリヒが「ふはははは! 見たか、うちの娘は世界一の天才だろう! 貴様らにはもったいないお言葉だぞ!」と、なぜか自分の手柄のようにドヤ顔で高笑いをしている。
『黒曜騎士団の心臓は、もはや公爵ではなく娘のルルーティアが握っている』
後に帝国の歴史書にそう記されることになる、私と最強の私兵団との、運命的な(そして少し胃の痛くなる)絆が結ばれた瞬間だった。




