第10話:破滅の運命は、私が叩き潰す
帝都の視察を終え、公爵邸へと帰る馬車の中。
心地よい揺れと、慣れない人混みを歩いた疲労から、私はうとうとと船を漕いでいた。
「疲れたのだろう、ルル。私の膝を枕にして眠るといい」
向かいの席に座っていたディートリヒが、ここぞとばかりに自分の膝をポンポンと叩く。
前世の私なら「大の大人が誰かの膝枕で寝るなんて」と固辞しただろうが、今の私は8歳の幼女だ。遠慮なく甘えさせてもらうことにした。
「……ん。お父様、あったかい……」
コロンと横になり、最高級の生地で仕立てられた彼の太ももに頭を乗せると、ディートリヒは「ふぉっ……!」と奇妙な息を呑む音を立てた。
そして、触れれば壊れてしまうガラス細工を扱うかのように、そっと私の頭を撫で始める。
「あぁ……天使だ。私の天使が、私の膝で無防備に眠っている……。ギルバート、この光景を今すぐ帝都一の画家に描かせろ。後世に残す国宝とする」
「閣下、俺も同感ですが、今は護衛任務中ですので我慢してください」
馬車の御者台に座っているギルバートが、呆れたような声で返事をする。
平和だ。なんて穏やかで、満ち足りた時間だろう。
(……この幸せが、ずっと続けばいいのに)
私がまどろみの中でそう願った、次の瞬間だった。
——ドゴォォォンッ!!
凄まじい爆発音と共に、馬車が大きく横に揺れた。
「きゃっ!?」
「ルルッ!」
ディートリヒが咄嗟に私を抱きかかえ、衝撃から守ってくれる。
馬車が急ブレーキをかけて停止した。周囲から、何十人もの怒号と、剣を引き抜く不穏な金属音が聞こえてくる。
「何奴だ!! オルディス公爵閣下の馬車と知っての狼藉か!!」
外でギルバートが吠える声がした。
私はディートリヒの腕の中から、馬車の窓をそっと覗き込んだ。
街道を塞ぐようにして立っていたのは、黒い覆面を被った武装集団だった。ざっと見積もっても五十人はいる。全員が殺気を放ち、手には魔法の光を帯びた物騒な武器を握っていた。
『公爵は馬車の中だ! 宰相閣下のご命令通り、ここで公爵の首をとり、オルディス家を終わらせるぞ!!』
賊の一人が叫んだ言葉に、私はハッとした。
(宰相……! ゲームにも出てきた、お父様と敵対している派閥のトップね!)
数日前の執務室で処断された横領犯も、宰相の回し者だった。
どうやら、自分たちの不正の証拠を握るディートリヒを、お忍びの外出という隙を突いて暗殺しに来たらしい。
(どうしよう……相手は五十人以上。こっちの護衛は、お父様とギルバート団長の二人だけ……!)
前世の常識に囚われている私は、数の暴力に血の気が引いた。
しかし、私を抱きしめているディートリヒは、焦るどころか、この世の全ての汚物を前にしたかのように、冷たく、酷薄な瞳で外を見つめていた。
「……ルル」
「は、はい」
「少しだけ、耳を塞いで目を閉じていなさい。虫が湧いた。すぐに掃除してくる」
ディートリヒは私を馬車の座席にそっと下ろすと、音もなく立ち上がった。
そして、馬車の扉を蹴り開け、夕闇の街道へと降り立つ。
「ギルバート」
「はっ。準備はできております、閣下」
「馬車に血を飛ばすな。十秒で終わらせろ」
「御意」
その後の光景は、もはや「戦闘」と呼べるものではなかった。
ただの『蹂躙』である。
「死ねぇっ! 悪逆公爵!!」
襲いかかってくる賊たちに向かって、ディートリヒは一切の詠唱なしで右手を振り抜いた。
その瞬間、大気が凍りつき、無数の巨大な氷の槍が地面から突き出した。悲鳴を上げる間もなく、賊の半数が一瞬にして氷塊に閉じ込められ、絶命する。
「な、なんだこの魔法は!? ば、化け物……っ!」
残りの賊が恐怖で逃げ出そうとした背後に、今度は赤い髪の猛獣——ギルバートが回り込んでいた。
彼の振るう大剣が一閃するたびに、数人の賊がまとめて吹き飛ばされ、宙を舞う。
(……すごい)
窓からこっそりとその惨劇……もとい、圧倒的な力の蹂躙を見つめながら、私は恐怖よりも強い「感嘆」を覚えていた。
乙女ゲームでは、彼らはあくまで「主人公が乗り越えるべき強大な壁」として描かれていた。
しかし、現実の彼らは次元が違う。帝国最強の武力と、最強の魔法。それが束になって、私というたった一人の幼女を守るために振るわれているのだ。
文字通り「十秒」後。
街道には、五十人の賊がチリ芥のように転がっていた。
ディートリヒの服にも、ギルバートの剣にも、一滴の血すら跳ねていない。
「終わりました、閣下。……お嬢様を怖がらせていなければ良いのですが」
「あぁ。全くだ。ルルの機嫌を損ねた罪は重い。背後の宰相ごと、明日には物理的に消し飛ばしてやる」
物騒な相談をしながら馬車に戻ってきた二人は、私を見てビクッと肩をすくめた。
私が座席の上で、じっと彼らを見つめていたからだ。
「ル、ルル……」
ディートリヒが、またしても「嫌われた父親」の顔になってオロオロし始める。
「ご、ごめんなさい、お父様。こっそり見ちゃいました」
「あぁっ! すまない、あんな野蛮な光景を……! やはり私の娘にはふさわしくない……っ!」
「違います!」
私は、ふるふると首を横に振った。
そして、彼ら最強の二人に、真っ直ぐに微笑みかけた。
「すごく、かっこよかったです。お父様も、ギルバート団長も」
「え……」
「私を守ってくれて、ありがとうございます。お父様たちは、世界で一番強くて素敵な騎士ですね」
その瞬間、二人の大男の顔が、ボンッ! と限界まで赤く染まった。
「せ、世界で一番……っ!」
「素敵な騎士……っ!!(号泣)」
完全にノックアウトされた二人が、馬車の外で謎のガッツポーズを取りながら感涙にむせぶ姿を見下ろし、私は密かに、しかし強く拳を握りしめた。
(ゲームのシナリオ通りなら、10年後、このお父様はヒロインたちに討たれて死ぬ。公爵家は没落して、ギルバート団長たち騎士団も壊滅する)
それは、彼らが『孤独な悪役』であった場合の歴史だ。
誰も愛さず、誰からも愛されず、ただ力を振りかざすだけの存在だった場合の未来。
けれど、今は違う。
彼らは私を愛してくれている。私のために笑い、泣き、怒り、そして最強の力で守ってくれる。
前世で何も持っていなかった私が、神様からもらった「最高の家族」だ。
(この人たちを、絶対に死なせやしない)
10年後にヒロインが来ようが、皇子が来ようが関係ない。
私には、前世で培った「大人の知恵」と「組織を回すマネジメント能力」、そしてこの規格外の公爵家の力がある。
父親の破滅フラグ(死亡フラグ)は、私が全て、一本残らずへし折ってやる。
「ルル、どうした? 怖い顔をして」
ひょっこりと顔を出したディートリヒに、私はとびきりの笑顔を向けた。
「ううん、なんでもないの! お父様、大好き!」
「ぐふっ……!(クリティカルヒット)」
この異世界で、私は悪役公爵の「本来いないはずの娘」として生き残った。
甘やかされて、愛されて、そして時にはしたたかに暗躍して。
最強の味方たちと共に、最高に幸せな人生を勝ち取るための、私の新しい物語が今、幕を開けたのだった。




