第30話:情報部隊長シオンの忠誠と、絶対安全圏の確立
「はぁ〜、お日様がポカポカして気持ちいいわねぇ……」
朝食を終えた私は、公爵邸の広大な中庭にある東屋で、食後のハーブティーを楽しんでいた。
帝都の朝の空気は澄み切っていて、小鳥のさえずりが心地よく耳に響く。昨夜の社交界という名の戦場を乗り越えた後の休日としては、最高のシチュエーションだ。
「……うん、いい天気。まさに完全週休二日制の土曜の朝って感じ」
私がティーカップを置き、のんびりと伸びをした、その時だった。
「お嬢様、昨日の夜会は最高にロックだったぜ」
「……ぶふっ!?」
頭上から突然降ってきた男の声に、私は思わずむせてしまった。
驚いて上を見上げると、東屋の横に生えている大きな樫の木の枝から、黒装束を着た青年がコウモリのように『逆さ吊り』になって、こちらを見下ろしているではないか。
「なっ、だ、誰!?」
「おっと、驚かせちまったなら悪りぃ。俺はシオン。公爵家の裏の目と耳……情報部隊の隊長を任されてるしがない下働きさ」
シオンと名乗った青年は、ひらりと軽い身のこなしで枝から飛び降り、私の前に音もなく着地した。
銀色の短髪に、飄々とした笑みを浮かべた、どこか忍者やアサシンを思わせる身軽な出で立ち。20代前半くらいだろうか、態度はひどく軽薄だが、その目の奥には一切の油断がない、プロのそれだ。
(公爵家の情報部隊長……! ゲームの設定資料集の隅っこにだけ載ってた、ディートリヒの裏稼業のトップじゃない!)
私は内心で驚きつつも、表面上はすぐに令嬢の顔を取り繕った。
「シオン、ですね。お父様の命令で動いている方が、私に何かご用かしら?」
「いやいや、ご用ってほどの用じゃねえんだが」
シオンは頭の後ろで腕を組み、ニカッと笑った。
「昨日の夜会での立ち回り、遠くから護衛がてら見させてもらったけどよ。いやぁ、マジで痺れたね! あのクソ宰相のジジイが、手も足も出ずに顔を真っ赤にしてるのを見た時は、腹抱えて笑いそうになったぜ」
「……見ていたのね」
「ああ。旦那様は『俺の天使が自ら手を下すなど野蛮だ! 害虫は裏で俺が消す!』って息巻いてたけど、俺たち情報部隊の人間からすりゃ、お嬢様のあの『笑顔での言葉の暴力(論破)』こそが一番エグくて、最高だったって話さ」
シオンは、本気で私を称賛するような目を向けてきた。
「武力だけじゃねえ。頭脳と度胸で敵を完封する。……あんたは間違いなく、あの旦那様の血を引く、公爵家の真の跡取りだ。俺たち裏の連中も、お嬢様になら喜んで命を預けられるぜ」
「……ふふっ、ありがとう。でも、私一人で勝ったわけじゃないわ」
私はクスッと笑い、手元の新聞に視線を落とした。
実は先ほど、マルタが持ってきた今朝の朝刊の一面を見て、私は全てを察していたのだ。
『カルマン伯爵家、不正と横領の罪で一家一斉逮捕! 宰相派閥から相次ぐ失脚者!』
見出しに躍る、昨晩私に突っかかってきた夫人たちの実家の名前。
一晩でこれだけのスキャンダルが、ご丁寧に完璧な証拠付きでマスコミと警察にリークされるなど、どう考えても偶然のわけがない。
「シオン。昨日の夜、あなたたちがお仕事をしてくれたのね?」
「おや、バレてたか」
「ええ。マルタが『害虫が一掃されて空気が綺麗になった』って言ってたから」
私は小さくため息をつき、お茶を一口飲んだ。
「お父様ったら、本当に過保護なんだから。私が論破して終わったことにすればよかったのに、わざわざ実家ごと社会的に抹殺しちゃうなんて……やりすぎよ、お父様」
言葉ではそう言いながらも、私の口元は自然と緩んでいた。
前世で、一人で残業を抱え込んで泣いていた私を、誰も助けてはくれなかった。
でも今、私には、私が少しでも嫌な思いをしただけで、国家権力を動かしてまで敵を排除し、絶対的に守り抜いてくれる最強の家族がいるのだ。
「まぁ、旦那様の親バカは今に始まったことじゃねえしな。……で、お嬢様。俺たち情報部隊は、これからお嬢様の手足としても動く。誰の弱みを探りたい? 宰相の愛人の居場所か? それとも、あの生意気な第一皇子の裏金ルートでも洗うか?」
「物騒な提案はやめてちょうだい。……でも、そうね」
私は、ニヤリと極上の『事務職スマイル』を浮かべた。
「せっかく情報網があるなら、帝都の市場の『特産品の相場』と、各領地の『未開拓の特産品』のリストを集めてきてくれないかしら?」
「……は? スキャンダルじゃなくて、市場調査?」
「ええ。せっかく皇帝陛下から、昨日のご褒美で『免税特権』をもらったんだもの。これを使って、公爵領の特産品を帝都で売り捌いて、もっともっと領地を豊かに(ボロ儲け)するわよ!」
私の野望に満ちた言葉に、シオンは一瞬きょとんとした後、おかしそうに吹き出した。
「はははっ! 最高だぜ、お嬢様! 暗殺部隊に市場調査をさせるたぁ、前代未聞だ!」
「できる?」
「当然だ。明日の朝までに、完璧なリストを提出してやるよ」
シオンは恭しく一礼すると、再び木々の間へと溶け込むように姿を消した。
(よし!)
私は、誰もいなくなった中庭で、密かにガッツポーズをした。
執務を完璧に回す文官たち。
身の回りを支えるマルタたち使用人。
最強の武力を持つギルバートの黒曜騎士団。
魔法の盾となるノアとゼニス魔導工房。
そして今、帝国の裏を支配するシオンの情報網。
お父様という絶対的な後ろ盾に加え、これら全ての手駒(優秀な部下たち)を手に入れた私は、ついにこの異世界において『絶対に破滅しない安全圏』を完成させたのだ。
「さてと! 社交界での名声も手に入れたし、これからは本格的に公爵領の経営に乗り出すわよ!」
死亡フラグを叩き割り、ブラックな公爵家を完全ホワイト化した10歳の令嬢(中身は三十代の事務の鬼)。
彼女の次なる野望——『領地経営による莫大な富の構築』という名の第4章が、今、高らかに幕を開けたのだった。




