第29話:容赦なき報復、社会的な完全抹殺
帝都が深い闇に包まれた、深夜。
華やかな夜会の余韻が残る貴族街の屋根の上を、音もなく疾走する複数の影があった。
「やれやれ。うちの旦那様の親バカも、ついにここまで来たか。娘に嫌味を言ったババア共を、一晩で社会的に消し去れ、ねぇ……」
夜風にはためく黒装束。月明かりに照らされたのは、飄々とした笑みを浮かべる20代の青年だ。
彼こそが、オルディス公爵家が誇る裏の目と耳——暗殺者上がりの情報部隊長、シオンである。
「ま、お嬢様の完璧な立ち回りを見せられちゃあ、俺たち裏方も気合いを入れないと男が廃るってモンだけどな」
シオンはニヤリと笑うと、眼下にある豪邸——夜会でルルーティアに最も突っかかっていたリーダー格の夫人、カルマン伯爵家の屋敷へと、音もなく滑り降りた。
公爵家の情報網は、帝国全土の裏社会にまで根を張っている。
ターゲットの弱みなど、日常的にリスト化してストックしてあるのだ。あとは、それに決定的な「物的証拠」を添えて火をつけるだけ。
数分後。
カルマン伯爵家の厳重な金庫を開け放ったシオンの手には、分厚い裏帳簿と、他国との密輸を証明する手紙の束が握られていた。
「へぇ、違法薬物の密売ルートにまで手を出してたのか。おまけに、旦那は愛人を三人囲ってて、夫人のほうも若いツバメに横領した金をつぎ込んでると。……真っ黒じゃねえか。よくこんな泥だらけの体で、うちの純白のお嬢様にマウント取ろうと思ったな」
シオンは呆れたようにため息をつき、証拠の品を袋に詰め込んだ。
「よし、野郎ども! ターゲットの家から証拠は全部抜いたな? それじゃあ、朝までに帝都中の新聞社と、皇室監査局のジジイどもの机の上に、これを『配達』してやれ。一部の隙もなく、徹底的に燃やすぞ!」
シオンの号令とともに、数十人の黒い影が帝都中に散っていく。
それは、血が一滴も流れない、しかし物理的な死よりも恐ろしい『社会的虐殺』の幕開けだった。
――そして、翌朝。
「な、なんだこれはぁぁぁぁっ!!?」
カルマン伯爵邸の寝室に、当主の悲鳴が響き渡った。
まだパジャマ姿の伯爵が、震える手で朝刊を握りしめている。
新聞の第一面には、カルマン伯爵家の不正の証拠、密輸ルートの全貌、そして夫婦のドロドロの不倫スキャンダルが、ご丁寧に証拠書類の写し付きで大々的にスッパ抜かれていた。
「あ、あなた? 朝から騒々しいですわね……って、えっ?」
眠い目をこすりながら起きてきた夫人が新聞を見た瞬間、彼女の顔からサッと血の気が引いた。
「ど、どうして……っ! 完璧に隠していたはずの帳簿が、なぜ新聞に……!?」
「貴様ッ! この愛人への送金記録はなんだ! 私の金で若い男を飼っていたのか!!」
「あ、あなただって! この三人の女はなんなのよ!!」
夫婦で醜い言い争いを始めた、まさにその時。
ドォォォンッ!! と、屋敷の重厚な門が物理的に破壊される音が響いた。
「皇室監査局だ!! カルマン伯爵、ならびに夫人! 国家反逆罪および横領の容疑で逮捕する!! 抵抗すれば容赦はしないぞ!!」
完全武装した兵士たちが、屋敷の中へと雪崩れ込んでくる。
「ひぃぃぃっ!?」
「ま、待ちなさい! 私は宰相閣下の派閥よ! こんなこと……っ」
「宰相閣下だと? 笑わせるな。閣下はすでに『このような腐りきった輩とは一切関わりがない』と、お前たちを派閥から追放する声明を出されたわ!」
「なっ……見捨てられた……!?」
夫人はその場にへたり込み、絶望に顔を歪めた。
「お、終わりだ……。我が家は終わりだ……っ」
伯爵が頭を抱えて泣き崩れる。
ふと、夫人の脳裏に、昨晩の夜会で出会った、あの恐ろしく美しく、冷ややかな目をした10歳の少女の顔がよぎった。
『もし、ご自身のマナーに自信がおありでないのなら、我が公爵家から一流の講師を派遣して差し上げましょうか?』
「あ……ああ……っ」
夫人は、ガチガチと歯を鳴らして震え始めた。
あの言葉は、単なる子供の生意気な嫌味ではなかったのだ。
『お前たちの背後にある泥(不正)など、すでに全て見透かしている。これ以上踏み込めば、容赦はしない』という、最強の公爵家からの最終警告だったのだ。
それに気づけず、子供だと侮って不快な羽音を立ててしまった自分たちは、見えない巨大な手によって、文字通り一晩で叩き潰された。
カルマン伯爵家だけではない。
昨晩、ルルーティアに少しでも嫌味を言った夫人たちの実家や、それに同調して笑っていた貴族たちは、この朝、全員が同じように致命的なスキャンダルを暴露され、一瞬にして破産と失脚へと追い込まれた。
帝都の貴族社会は、この『一夜の惨劇』に震撼した。
誰もが理解したのだ。
オルディス公爵家の真の恐ろしさを。そして、あの美しき令嬢・ルルーティアに決して敵対してはならないという絶対的なルールを。
***
そんな、外の世界で吹き荒れる地獄の嵐など、全く知る由もなく。
「ふぁぁ……よく寝たぁ」
オルディス公爵邸。
朝日が差し込むふかふかの天蓋付きベッドの上で、私は両手を大きく伸ばして背伸びをした。
「お早うございます、お嬢様!」
メイド長のマルタが、ワゴンに淹れたての紅茶と焼きたてのスコーンを乗せて、満面の笑みで部屋に入ってくる。
「おはよう、マルタ。今日はなんだか、すっごくスッキリ目覚められたわ! 気分爽快!」
「それは重畳でございます。……外の空気も、本日は不快な害虫が一掃されて、大変澄み切っておりますからね」
「ん? 害虫?」
私が首を傾げると、マルタは「いえ、こちらの話でございます」と優雅に微笑み、温かい紅茶をカップに注いでくれた。
(昨日の夜会は緊張したけど、お父様もご機嫌だったし、宰相派の牽制もうまくいったし。これでしばらくは、平穏無事なホワイト公爵家ライフを満喫できるわね!)
私は甘いスコーンを頬張りながら、能天気にそんなことを考えていた。
自分のベッドの足元から、昨晩、私のために徹夜で『お仕事』をしてくれた暗殺者のお兄さんが、コウモリのように逆さ吊りで様子を伺いに来ていることにも気づかずに——。




