第25話:腹黒皇子レオンハルトとの遭遇
「素晴らしい。見事な立ち回りだったね、ルルーティア嬢」
差し出された右手と、周囲の空気を浄化するような完璧な王子様スマイル。
第一皇子レオンハルト(10歳)。乙女ゲーム『神聖ゼムリアの輝石』において、数多のプレイヤーを沼に引きずり込んだメインヒーローが、今、私の目の前に立っていた。
「もったいないお言葉でございます、レオンハルト殿下。お初にお目にかかります」
私はスカートの裾をふわりと持ち上げ、これ以上ないほど完璧な、臣下としての礼をとった。
(出たわね、歩く腹黒トラップ……!)
表面上はうやうやしく頭を下げながら、私の内心の警戒アラートは最大音量で鳴り響いていた。
ゲームの知識がある私には分かる。この美少年の笑顔は、100パーセント計算し尽くされた「作り物」だ。
彼は、他人を「自分に有益な駒」か「排除すべき敵」かでしか見ない。今、彼が私に親しげに近づいてきたのは、私に気があるからでは断じてない。最強の敵対勢力である『オルディス公爵家』の令嬢を取り込み、父親の弱点を探るためのジャブに過ぎないのだ。
「面を上げて。そんなに畏まらなくていいよ。君の噂は聞いていたけれど、実物は噂以上に……いや、この会場のどの宝石よりも美しいね」
レオンハルトが、甘い声で囁きながら私の手を取ろうとする。
「恐れ入ります」
スッ、と。
私はごく自然な動作で一歩下がり、彼の指先が触れる前に、自分の手を胸の前で合わせた。
「殿下のお褒めの言葉、父が聞けばさぞ喜ぶことでしょう。公爵家の至宝として、恥じぬよう磨きをかけて参ります」
「……おや」
空を切った手を自然に下ろしながら、レオンハルトの青い瞳が、ほんの一瞬だけ剣呑に細められたのを見逃さなかった。
普通の10歳の令嬢なら、皇子に甘く囁かれれば顔を真っ赤にしてデレデレになるはずだ。そこから「公爵って家ではどんな感じなの?」と情報を引き出すのが彼の常套手段なのだろう。
だが、残念だったわね。
私の前世は、数々のセクハラ上司や図々しい取引先を笑顔で躱してきた、百戦錬磨の派遣社員なのだ。この程度の『甘い営業トーク』など、鼻で笑ってスルーできる。
(10歳の子供が、いっちょ前に色仕掛けなんて百年早いのよ。……まるで、覚えたての営業トークをドヤ顔で披露してくる、生意気な新入社員みたい)
「君は、とてもしっかりしているんだね」
レオンハルトはすぐに爽やかな笑顔を作り直し、少し同情するような、優しい声音を作った。
「あの氷の公爵閣下の元で育つのは、色々と苦労も多いだろう? 彼は冷酷で、他人の痛みを解さないと聞く。もし君が屋敷で辛い思いをしているなら、僕が力になるよ」
(ほう。今度は『同情を引いて味方になるフリ』作戦ですか)
本当に、どこまでも腹黒く計算高い皇子である。
私は、ニコリと、今日一番の『営業スマイル』を顔に貼り付けた。
「殿下。お心遣い、痛み入ります。ですが、そのご心配は無用にございます」
「……どうして? 遠慮しなくていいんだよ?」
「なぜなら、私のお父様は、この世界で一番優しくて、愛情深くて、素晴らしい殿方だからです」
私の即答に、レオンハルトは少しだけ目を丸くした。
「それに、殿下」
私は、広間の中央で私たちを遠巻きに見つめている、他の貴族の令嬢たちへ視線を向けた。
「殿下は次期皇帝となられるお方。私一人のような『問題のない』令嬢にかまけている暇はございませんでしょう? あちらで、殿下のお言葉を待ちわびているご令嬢がたくさんいらっしゃいますわ」
「えっ……」
「上に立つ者は、常にフロア全体を見渡し、すべての人間に等しく気を配らねばなりません。……さぁ、殿下のお仕事(ご挨拶)に戻られますよう。私のような小娘が、殿下の貴重なお時間を独占するわけにはいきませんから」
私は、これ以上は一切付け入る隙を与えないというように、再び深く頭を下げた。
『あなたは忙しいのだから、私にかまわずあっちへ行って自分の仕事(挨拶回り)をしろ』という、慇懃無礼ギリギリの完璧な追い払いである。
「…………」
レオンハルトは、数秒間、絶句したように私を見下ろしていた。
生まれてからこの方、自分の魅力と話術が通用しなかったことなど一度もなかったのだろう。ましてや、同い年の少女に、まるで「未熟な部下を諭す上司」のような態度で正論をぶつけられ、見事に遠ざけられたのだ。
やがて。
レオンハルトの顔から、あの完璧な「王子様スマイル」が、スッと消え去った。
代わりに浮かんだのは、年齢不相応な、ひどく冷たくて——それでいて、強烈な熱を帯びた、猛禽類のような笑みだった。
(うわ、本性出た。めっちゃ怖い顔してる)
「……ふふっ。あはははっ!」
彼は突然、周囲の目を気にすることなく、おかしそうに声を上げて笑った。
「君は、本当に面白いね。ルルーティア嬢」
「……」
「そうか。氷の公爵が過保護になるわけだ。こんなに美しくて、そして『手強い』宝石なら、誰にも触れさせたくないと思うのは当然だ」
レオンハルトは、一歩だけ私に近づき、私の耳元でわざとらしいほど甘く、低い声で囁いた。
「今日は、君の言う通り仕事に戻るよ。……でも、次は逃がさないからね」
そう言い残し、レオンハルトは再び完璧な王子様の仮面を被って、令嬢たちの輪へと歩き去っていった。
(……やばい。なんか、変なスイッチ押しちゃったかもしれない)
私は内心で冷や汗を拭った。
乙女ゲームの腹黒キャラあるあるだ。「俺に靡かない女は初めてだ……面白い!」という、一番面倒くさいフラグを立ててしまった気がする。
「お嬢様」
「ルルーティア様」
レオンハルトが去った後、背後に控えていたギルバートとノアがスッと近づいてきた。
二人の顔は、「なぜあの生意気なガキ(皇子)を斬らせて(消させて)くれなかったのか」と不満げだ。
「二人とも、殺気はしまって。とりあえず、一番面倒な相手はやり過ごしたわ」
私がホッと息をついた、その時だった。
広間の正面、皇帝の玉座へと続く大階段の上から、ひと際大きく、そして威圧的な声が響き渡った。
「皆の者! 本日は我が帝国の建国を祝う佳き日! そして……この場には、帝国随一の『聡明さ』を持つと噂の、オルディス公爵家のルルーティア嬢も来ていると聞く!!」
(……はい?)
私がビクッと肩を揺らして顔を上げると、大階段の上には、恰幅の良い皇帝と、その隣で意地悪く口角を釣り上げている神経質そうな男——敵対派閥のトップ、宰相アルベルトの姿があった。
さらにその後ろには、玉座の間での挨拶を終え、私を一人残してきたことに激怒して今にも宰相を殴り殺しそうな父・ディートリヒの姿もある。
(あの宰相の顔……絶対になにか企んでるわね)
「聡明なる公爵令嬢に、ぜひこの場で、帝国が抱える課題について意見を伺いたい! 前へ出よ、ルルーティア嬢!!」
広間の全員の視線が、一斉に私へと突き刺さった。
子供相手の公開処刑。
社会人時代の「抜き打ちのプレゼン要求」にも似た、悪辣極まりない罠が、ついに牙を剥いたのだった。




