第23話:ハイエナたちの接近と、前世の処世術
「……ルル。どうしても、行かなければならないのか」
「はい、お父様。皇帝陛下からの直接のお呼び出しですから、無視したら後で文官長が胃痛で倒れてしまいます」
夜会も中盤に差し掛かった頃。
どうしても避けられない『皇帝への個別挨拶』のため、ディートリヒは玉座の間へと向かわなければならなくなった。
もちろん、本来なら私も同行するべきなのだが、今回は「当主のみ」という指定だった。おそらく、皇帝と宰相が結託して、意図的に私と父を引き離そうとしているのだろう。
「ギルバート! ノア! いいか、ルルから目を離すな! 半径二メートル以内に近づく羽虫がいたら、許可なく物理的に排除して構わん!」
「「御意!!」」
少し離れた壁際で待機しているギルバート団長とノア(正装姿で黒いオーラを放っている)が、殺る気満々で頷いた。
お父様は後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら、玉座の間へと消えていった。
(ふぅ。さて、ここからが本番ね)
私は一人、壁際のテーブルでフルーツ水が入ったグラスを手に取った。
父親という巨大な防壁がいなくなった今、私が「無防備な10歳の子供」に見えるのだろう。
獲物を狙うハイエナのように、遠巻きに様子を伺っていた一群が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる気配がした。
「まぁ、ルルーティア様。お父様とはぐれてしまって、お一人で寂しそうですわね」
ねっとりとした、香水の匂いのきつい声。
振り返ると、派手な扇子を持った三人のご婦人たちが、私を半包囲するように立っていた。いずれも宰相派の有力貴族の妻たちだ。
「初めまして。オルディス公爵家長女、ルルーティアと申します」
私はグラスをテーブルに置き、完璧なカーテシーで挨拶をした。
「ええ、存じておりますわ。ずっと領地に引きこもって、一度も帝都の社交の場に出てこられなかった『箱入り娘』様ですものねぇ」
リーダー格らしい、ケバケバしい化粧の夫人が、扇子の陰でクスクスと嫌味な笑いを漏らした。
「お可哀想に。お母様がいらっしゃらないから、夜会での立ち振る舞いや、ご令嬢としての正しい教養を教わる機会もなかったのでしょう? ドレスの着こなしも、少し……田舎臭いですわよ」
「本当ですわ。領地での泥遊びとは勝手が違うでしょうに。殿方の前で恥をかく前に、私たちがお作法を『教えて』差し上げましょうか?」
彼女たちは、私が泣き出すか、あるいは怒って癇癪を起こすのを期待しているのだろう。
周囲の中立派の貴族たちも、「あぁ、まだ10歳の子供なのに、あんなに露骨な嫌がらせを……」とハラハラしながら遠巻きに見守っている。
しかし。
(……なんだろう、この猛烈な既視感)
私は、完璧な笑みを顔に貼り付けたまま、内心で深く、深く感心していた。
遠回しな嫌味。
相手のコンプレックス(だと思っている部分)を笑顔でえぐる言葉選び。
「教えてあげる」という謎の上から目線。
(ああ、懐かしい。これ、前世の職場の給湯室にいたお局様たちのマウントの取り方と、完全に一致してるわ……!)
『ルルーティアさん、いつもお弁当自分で作ってて偉いわねぇ。私なんて主人とフレンチランチだから羨ましいわぁ』
『そのお洋服、去年の流行よね? 物持ちが良くて素晴らしいわぁ』
三十代の派遣社員として、私はそういう陰湿なマウントを何百回、何千回と浴びてきた。
それに比べれば、この貴族の夫人たちの嫌味など、あまりにもテンプレ通りすぎて、もはや実家のような安心感すら覚える。
(前世の営業部長の理不尽なセクハラ説教に比べたら、こんなの、そよ風みたいなものよ)
怒り? 悲しみ? 全くない。
あるのはただ、「面倒な業務(クレーム対応)が来たな」という、社会人としての極めてドライな事務的感情だけだった。
「おや、どうなさいました? お母様がいらっしゃらないから、お返事の仕方も分からないのかしら?」
私が黙っているのを「言葉に詰まって怯えている」と勘違いした夫人が、勝ち誇ったように一歩前に出た。
壁際で、ノアの周囲の空間がギシギシと歪み始め、ギルバートが大剣の柄を握りつぶしそうになっているのが視界の端に映る。彼らが手を出せば、それこそ宰相派の思う壺だ。
私は背中で「待て」と彼らに合図を送り、ゆっくりと、正面の夫人たちを見据えた。
「……ふふっ」
私は、銀の鈴を転がすような、可憐で、しかし一切の温度を持たない声で笑った。
「ご心配いただき、誠にありがとうございます。皆様のその『ご親切』な教え、大変興味深く拝聴いたしました」
扇子をゆっくりと開き、顔の半分を隠す。
ここからは、言葉という名の刃による、優雅な公開処刑の時間である。




