第22話:帝城の夜会と、美しき怪物親子
神聖ゼムリア帝国の中心、帝城『サン・ロワ』の大広間。
建国記念夜会が開催されるこの場所は、何千本もの魔石のシャンデリアが眩い光を放ち、帝国内の有力貴族たちが一堂に会する、まさに権力と欲望の坩堝だった。
広間の片隅で、派手な扇子で口元を隠したご婦人たちが、ヒソヒソと下世話な噂話に花を咲かせている。宰相アルベルトの派閥に属する、スネに傷を持つ貴族の妻たちだ。
「聞きましたこと? 今夜ついに、あのオルディス公爵がご息女を連れていらっしゃるそうですわよ」
「まぁ。公爵閣下は恐ろしいお方ですが、あのお気の毒なご令嬢は、さぞかし不作法に育っていらっしゃるでしょうねぇ」
「ええ。なにせお産まれになってからずっと、母親の教育も受けずに領地に引きこもっていた『田舎娘』ですもの。まともなカーテシーもできないのではなくて?」
彼女たちは、クスクスと意地悪な笑いを漏らした。
冷酷無比な悪役公爵の、唯一の弱点。それが「母親のいない、マナーも知らない哀れな娘」であると信じて疑わず、今夜の公開処刑を今か今かと待ち構えていたのだ。
——しかし。
『筆頭公爵、ディートリヒ・フォン・オルディス閣下! ならびに、ご令嬢ルルーティア様、ご到着!!』
広間に響き渡った近衛騎士のよく通る声に、会場のざわめきがピタリと止んだ。
全員の視線が、大階段の上のエントランスへと釘付けになる。
そこに現れたのは。
「……っ」
「あぁ……なんという……」
誰かの、ほうっと息を吐く音が、静まり返った広間に響いた。
大階段の上に立っていたのは、漆黒の正装に身を包んだ、魔王のように美しく恐ろしい覇者・ディートリヒ。
そして彼のエスコートを受け、そっとその腕に細い手を添えているのは——純白の絹と、夜空の星を散りばめたような細工のドレスを纏った、10歳の少女だった。
(うわぁ、すっごい見られてる。……前世の全社会議で、社長賞の表彰で壇上に上がった時より緊張するわ)
私は内心で冷や汗をかきながらも、表情筋には一切の焦りを出さず、口角を完璧な角度に上げた『社交用(営業)スマイル』をキープしていた。
雪のように白い肌に、艷やかな漆黒の髪。アメジストの瞳は、シャンデリアの光を受けて宝石のように輝いている。
自分で言うのもなんだけど、この二年間でマルタたちに徹底的に磨き上げられた私のビジュアルは、すでに人間離れした領域に足を踏み入れていた。
「ルル、足元に気をつけて。階段の段差は私が全て魔法で平らにしようか?」
「お父様、そんなことしたら他の皆さんが転んじゃいます。大丈夫ですよ、エスコートをお願いしますね」
私が小声でたしなめると、ディートリヒは「あぁ、私のルルは足音すら天使の羽音のようだ……」と本気で感動しながら、ガラス細工でも扱うかのような、恐ろしく優しく、過保護な手つきで私をエスコートして階段を下り始めた。
その光景に、会場にいた貴族たちは度肝を抜かれた。
「あ、あの氷の公爵が、あんなに優しげな顔を……!?」
「それに、なんだあの令嬢は! 10歳とは到底思えぬ、あの完璧な歩様! 視線の配り方一つとっても、皇族以上の気品が……っ!」
先ほどまで私を「田舎娘」と馬鹿にしていた宰相派の夫人たちは、扇子を取り落とし、顔面を蒼白にして震えていた。
無理もない。私が今実践しているのは、この異世界の一般的なマナー講師の教えだけでなく、前世の過酷な接待やクレーム対応で培った『相手を圧倒し、同時に一切の隙を見せない絶対的な所作』の究極系なのだから。
「……チッ。どいつもこいつも、私のルルをジロジロと見やがって。全員の眼球を凍らせてやろうか」
階段を下り終え、広間の中央を歩きながら、ディートリヒが不機嫌そうに舌打ちをした。
彼の冷酷なアメジストの瞳から、周囲の貴族たち(特に若い子息たち)に向けて、文字通り肌を刺すような『絶対零度の殺気』が放たれる。
「ひぃっ!?」
「め、目を合わせるな! 殺されるぞ!」
私に見惚れて鼻の下を伸ばしていた貴族の男たちが、次々と恐怖に顔を引きつらせて道を譲っていく。
モーセの十戒のごとく、私たちの歩く先だけが綺麗に真っ二つに割れていく光景は、控えめに言って異常だった。
(お父様、過保護バリアが強すぎて誰も近づけないんですけど……)
私は内心でツッコミを入れつつ、あくまで優雅に、堂々と歩みを進めた。
「お父様。そんなに怖いお顔をなさっては、せっかくの夜会が台無しですよ」
「ルルが美しすぎるのがいけないのだ。こんな有象無象にルルの姿を見せるなど、やはり帝城ごと吹き飛ばすべきだった……っ」
相変わらず物騒なことを言う父親の腕に、私はきゅっと身を寄せて微笑んだ。
「お父様のエスコートが完璧だから、私も安心して歩けるんです。今日のお父様、世界で一番かっこいいですよ」
「ッ…………!!」
私のその一言で、ディートリヒの周囲に漂っていた絶対零度の殺気が、一瞬にして『春の陽だまりのようなぽかぽかオーラ(※ただし娘にのみ向けられる)』へと反転した。
周囲の貴族たちは、そのあまりの落差と情緒の不安定さに、ただただ戦慄するしかなかった。
「……おい、見たか。あの狂犬のような公爵閣下が、たった一言で……」
「あぁ。公爵家の真の支配者は、間違いなくあのご令嬢だ。……絶対に、あの親子を敵に回してはならない」
社交界デビューからわずか数分。
私は一言も発することなく、ただ完璧に歩いて見せただけで、帝国貴族たちの間に「オルディス公爵家の美しき怪物親子」という強烈な畏怖とブランドを叩き込むことに成功したのだった。
しかし、この平穏(?)な無双状態も、そう長くは続かない。
皇帝への挨拶を終えた後、どうしても避けられない「女性特有の戦場」が、私を待ち受けているのだから。




