第21話:10歳の誕生日と、戦場への招待状
前世の記憶を取り戻し、流行り病による死亡フラグをへし折ってから二年。
私は、無事に10歳の誕生日を迎えていた。
「ルルーティアお嬢様。本日のドレスはこちらをご用意いたしました。あぁ……なんという神々しさ。我らが公爵家の至宝、ここに極まれり、です……っ!」
朝の身支度。等身大の鏡の前に立つ私を見て、メイド長のマルタが感極まったように目頭を押さえている。周囲のメイドたちも「尊い……」と手を合わせて拝んでいた。
鏡の中に映っているのは、艶やかな黒髪を優雅に結い上げ、淡い紫色のドレスを身に纏った少女だ。
雪のように白い肌と、神秘的なアメジストの瞳。まだ10歳という幼さを残しながらも、その輪郭には将来間違いなく「傾国」と呼ばれるであろう凄絶な美貌の片鱗が、確実にあらわれ始めていた。
(いやいや、中身はただの元・30代派遣社員なんだけどね……)
私は内心で苦笑しながら、優雅なカーテシー(お辞儀)の練習をこなす。
この二年間、私は公爵家の内政を前世の事務スキルで完全に掌握・効率化しつつ、貴族令嬢としての教養やマナーの勉強も完璧にこなしてきた。
すべては、愛するお父様(と、この超絶ホワイトな生活環境)を守るためである。
その日の午後。
執務室でいつものように「赤いリボン案件」を爆速で処理していた私の横で、父・ディートリヒがバンッ!と執務机を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。
「断る。今すぐ使者を追い返せ。逆らうなら黒曜騎士団で物理的に排除しろ」
ディートリヒの顔は、完全な「冷酷無比な悪役公爵」のそれになっていた。
彼の視線の先、机の上には、皇室の紋章である『双頭の鷲』の蝋封が押された、仰々しい黒塗りの封筒が置かれている。
「閣下、そういうわけにはいきません。これは皇帝陛下からの直々の『勅命』に等しい招待状ですぞ」
報告を持ってきた文官長が、青ざめながら必死に宥めている。
「お父様、どうしたの?」
私が小首を傾げて尋ねると、ディートリヒはサッと表情を変え、泣きそうな顔で私を抱きしめた。
「ルル……! ああ、なんということだ。皇帝のジジイめ、ついに私の天使をあの泥沼に引き摺り込もうというのか……っ!」
「泥沼?」
「来月開催される、帝国の『建国記念夜会』の招待状だ。……これは事実上、ルルの『社交界デビュー』を要求する書状なのだ」
(あー、なるほど。社交界デビューね)
私は合点がいった。
貴族の子女は、おおよそ10歳から15歳の間に、皇室主催の夜会で正式にお披露目されるのがこの世界の習わしだ。
「ルルを、あの欲望と嫉妬と悪意にまみれたハイエナどもの巣窟に連れて行くなど、絶対に許さん! どこの馬の骨とも知れぬガキどもが、お前に色目を使うなど想像しただけで、この帝都を火の海にしてしまいそうだ!!」
ディートリヒの指先から、バチバチと危険な氷の魔力が漏れ出している。
どうやら冗談ではなく、本気で夜会会場(皇居)を破壊しかねない勢いだ。
(気持ちは嬉しいけど、ここで皇帝の招待を蹴ったら、あの腹黒い宰相アルベルトに「公爵は皇室を軽視している」って格好の攻撃材料を与えちゃうわね)
私は冷静に政治的リスクを計算した。
前世のビジネスでも同じだ。面倒な取引先の接待や、派閥争いが渦巻く社内パーティー。行きたくなくても、そこで顔を売り、隙を見せないことが身を守る最大の防御になるのだ。
「お父様」
私は、ディートリヒの冷たい頬に両手を添え、まっすぐに彼のアメジストの瞳を見つめた。
「夜会、行きましょう」
「なっ!? ル、ルル!? お前はあそこがどれほど恐ろしい場所か分かっていない! 他人を蹴落とすことしか考えていないクズどもの集まりだぞ!」
「分かっています」
私はふわりと、完璧な令嬢の微笑みを浮かべた。
「でも、私はオルディス公爵家の長女です。お父様の娘が、ただお屋敷に隠れて怯えているだけの存在だなんて、誰にも思わせたくありません」
「ルル……」
「私、お父様の隣で、堂々と胸を張って歩きたいです。……私を、一番綺麗にエスコートしてくれませんか?」
パチリ、とウインクを一つ落とす。
「ッ…………!!!」
ディートリヒが、胸を撃ち抜かれたように大きく仰け反った。
「か、閣下!? 息をしてください!」
「あぁ……なんという……私の娘は、なんという誇り高く美しい魂を持っているのだ……っ!」
文官長が慌てふためく中、ディートリヒは私を高く抱き上げ、涙目で高らかに宣言した。
「分かった、ルル! お前がそこまで言うなら、あの泥沼に共に赴こう! だが安心しろ、お前に近づく羽虫は、私が全て視線だけで凍らせてやるからな!」
「あはは、あまり周りの人を凍らせちゃダメですよ、お父様」
(ふふっ、これでまずは第一関門突破ね)
私はディートリヒの首に腕を回しながら、密かに口角を釣り上げた。
社交界。
それは、武器を持たない言葉と陰謀の戦場。
だが、元・30代派遣社員の私にとって、京都のぶぶ漬けのような遠回しな嫌味や、足の引っ張り合いなど、社会人時代に散々経験してきた「通常業務」に過ぎない。
(さぁ、かかってきなさい、貴族社会のハイエナども。私が現代の処世術と鋼のメンタルで、全員まとめて返り討ちにしてあげるわ!)
こうして、公爵家の最高傑作である私(と、過保護がカンストしている最凶の父親)の、社交界という名の戦場への出陣が決定したのだった。




