第20話:敵対派閥の嫌がらせと、完璧な論破(後編)
「ば、馬鹿な……っ! なんなのだ、この帳簿は!!」
テラスに運び込まれた巨大なテーブルの上。
特別監査官のギメル男爵は、額から滝のような汗を流しながら、パラパラと狂ったような勢いで帳簿のページをめくっていた。
「ここだ! この先月の東部領の治水工事! なぜこんなに安く上がっている! 不当に平民から労働力を搾取したのだろう!!」
「ギメル男爵様。そちらの項目につきましては、青いインデックスの『付属資料3』をご覧ください。ゼニス魔導工房が新開発した土木用魔導具を導入したことによる、人件費削減の正確な試算表と、領民への適正な報酬支払い証明書(サイン入り)が添付されております」
文官長が、まるで獲物をいたぶるような極上のドヤ顔で、すかさず別のファイルを差し出した。
「な、ならばこの魔石の購入記録はなんだ! 数が合わんぞ! 闇に横流ししたに決まっている!」
「そちらは、先週発生した魔物討伐における『黒曜騎士団への一時支給分』です。消耗品管理台帳のB列、日付と部隊長の受領印を照合していただければ、一円、いや石ころ一つのズレもないことがお分かりいただけるかと」
文官たちが次々と完璧な証拠を突きつけるたび、ギメル男爵の顔は青ざめ、やがて土気色に変わっていった。
(ふふん、甘いわね)
私は紅茶を優雅に啜りながら、内心でほくそ笑んだ。
前世の派遣社員時代、私は経理部で「一円のズスレ」を探すために深夜まで残業させられる地獄を何度も味わった。その経験と現代の複式簿記の概念を叩き込まれた我が公爵家の帳簿は、もはや芸術の域に達している。
他人の粗探ししか能のない古狸の部下ごときに、突破できるようなヤワな防壁ではないのだ。
「……くっ、ふざけるな! そもそもこんな子供の落書きのような表(エクセル風のシート)など、正式な書類として認められるか!!」
ついに反論できなくなったギメル男爵が、強引な難癖をつけ始めた。
彼は懐から、帝国の紋章が押された分厚い書類の束を取り出し、バンッ! とテーブルに叩きつけた。
「いいか! 宰相閣下のもとにある国税局の記録では、オルディス公爵家からの今年の納税額は『一千万ゴールド』足りない計算になっているのだ! 貴様らがいくら誤魔化そうと、この帝国の公式な記録が、貴様らの脱税の証拠だ!!」
(あーあ。やっちゃった)
私は、思わずため息をついた。
自分の陣地(帳簿)が破れないと見るや、捏造した証拠を持ち出して権力で押し切る。三流の悪役がやりがちな手だ。
ディートリヒが「……やはりゴミはゴミだな。話すだけ時間の無駄だった」と氷の魔法を展開しようとするのを手で制し、私はギメル男爵が叩きつけた書類を手に取った。
「まぁ、帝国の公式な記録ですか。それは大変」
「そうだ! 今すぐ脱税を認め、当主の座を……」
「……あら?」
私は、書類の3ページ目を開いたところで、小首を傾げた。
そして、自分の手元にあった公爵家の帳簿と、ギメル男爵の書類を並べて置いた。
「ギメル男爵。この国税局の書類、今年の『4月』に作成されたものですね?」
「それがどうした! まぎれもない本物だぞ!」
「おかしいですねぇ。この3ページ目に記載されている『帝都から公爵領への復興支援金・三千万ゴールド』という項目……」
私は、書類の文字を細い指でトントンと叩いた。
「我が公爵家が実際に受け取ったのは、帳簿にある通り『二千万ゴールド』です。……残りの一千万ゴールドは、一体どこに消えたのでしょうね?」
「なっ……! そ、それは貴様らが着服して隠しているに決まっているだろうが!」
「いいえ」
私は、冷ややかな笑みを浮かべて彼を見据えた。
「この支援金の受け渡しが行われたのは、今年の『2月』です。しかし、この国税局の書類に押されている宰相閣下の承認印……これ、よく見ると『春の叙勲式(3月)』以降に新しく作られた、飾りが少し多い新しいデザインの印章ですよね?」
「っ!!?」
ギメル男爵の喉から、ヒュッと息を呑む音がした。
「2月に行われたはずの取引の記録に、なぜ3月以降に作られた新しい印章が押されているんでしょうか。……これ、公爵家をハメるために、男爵たちが『最近になって慌てて捏造した書類』だからじゃないですか?」
「ば、馬鹿な……印章のわずかな装飾の違いなど、なぜ子供のお前が……!」
「さらに言えば」
私は畳み掛けるように、書類の数字を指差した。
「この支援金の手数料計算。帝国法では『5%』の控除が認められていますが、この書類の計算式は、なぜか『8%』で計算して辻褄を合わせています。……計算がガバガバすぎますよ。まさか、この差額の3%(数十万ゴールド)、宰相閣下の派閥で懐に入れているなんてこと、ありませんよね?」
沈黙が落ちた。
完璧な論破。日付の矛盾、印章の偽造、そして敵の横領の尻尾。
前世で「領収書の不備」を絶対に許さない経理のお局様の下で鍛えられた私の観察眼は、異世界の杜撰な捏造書類など一瞬で見破れる。
「あ、あ、ああ……っ」
ギメル男爵は完全にパニックに陥り、後ずさった。
自分の捏造がバレただけでなく、逆に自分たちの派閥の横領の証拠を、公爵家の本陣に自ら持ち込んでしまったのだ。
「き、貴様ら……謀ったな!! ええい、こうなれば力尽くでも……!!」
監査官という立場を忘れ、ギメル男爵が腰の剣に手をかけようとした、その瞬間だった。
——ドンッ!!
ギメル男爵の体が、見えない力によって床に叩き伏せられた。
「がはっ!?」
「ルルーティア様に、汚い手を向けるな」
テラスの隅にいたノアが、赤い瞳を冷酷に光らせながら、ギメル男爵の周囲の空間だけを数倍の重力で押し潰していたのだ。
さらに、首筋にはギルバートの大剣がピタリと当てられ、男爵が連れてきた兵士たちは、ディートリヒが放った無数の氷の刃に取り囲まれ、一歩も動けなくなっていた。
「……ギルバート。このゴミとその手下どもを、地下の特別牢へ放り込め。決して殺すなよ。宰相派の横領の証拠を、骨の髄まで吐かせるからな」
「御意!!」
ディートリヒの絶対零度の命令に、ギメル男爵はついに泡を吹いて気絶した。
黒曜騎士団によって、男爵たちはゴミのように引きずられていく。
嵐が去ったテラスで、文官長がワナワナと震えながら私に跪いた。
「お、お嬢様……! 完璧です! あの宰相派の捏造を一瞬で見抜き、逆に奴らの横領の証拠を掴むとは! あなた様は、やはり知の女神の化身であらせられる!!」
「ルルーティアお嬢様、万歳!!」
文官たちが歓喜の声を上げる中、ディートリヒは私を抱き上げ、頬に何度もキスを落とした。
「あぁ、私の愛しいルル! なんという聡明さ、なんという美しさ! あの古狸の宰相の顔が青ざめるのが今から楽しみで仕方がない! すぐに皇帝陛下にこの書類を叩きつけて、宰相の首を物理的に……」
「お父様、物理的にって言わない」
私は父の頬をペチッと軽く叩きながら、ふふっと笑った。
「でも、これでしばらくは、誰も公爵家に文句を言えませんね」
「あぁ、お前のおかげだ、ルル。我がオルディス公爵家は、今や帝国内で最も強固で、最も豊かな無敵の家となった」
ディートリヒの言う通りだった。
内政は文官とマルタたちが完璧に回し、武力はギルバート率いる黒曜騎士団が誇り、技術はゼニス魔導工房が支え、そしてノアという最強の魔法の盾が私を守っている。
(ふふっ。乙女ゲームのシナリオなんて、もうどこにも入り込む隙はないわね)
私は、青く澄み渡る帝都の空を見上げた。
破滅の運命(死亡フラグ)を回避するどころか、前世の事務スキルと大人のしたたかさをフル活用した結果、私はこの異世界で「絶対に揺るがない最強の居場所」を完成させてしまったのだ。
「さぁ、ルル。冷めてしまったな。新しいお茶を淹れさせよう」
「はい、お父様!」
最強の悪役公爵の膝の上で、世界一甘やかされる日々。
幼女(中身は三十代)の、完璧に掌握された公爵家での優雅な無双ライフは、いよいよ社交界という新たな舞台——『第3章』へと続いていくのだった。




