第19話:敵対派閥の嫌がらせと、完璧な論破(前編)
ノアが公爵家に引き取られ、銀星魔法師団の『特別候補生』として猛特訓を始めてから数週間後。
公爵邸は、かつてないほどの平和と秩序に包まれていた。
「ルル、あーん」
「あーん……んっ、美味しいです、お父様」
よく晴れた午後のテラス。
最高級の茶葉の香りが漂う中、私は父・ディートリヒの膝の上に座り、彼の手から直接イチゴのタルトを食べさせてもらっていた。
テラスの隅では、ギルバート団長が「閣下、いくらなんでも過保護すぎませんか」と呆れ顔で立ち、その後ろではノアが「オレがルルーティア様にタルトを食べさせたかった……」とハンカチを噛んで悔しがっている。
(相変わらずカオスなメンバーだけど、幸せな時間ね)
私が執務室の書類を「赤いリボンシステム」で爆速処理しているおかげで、ディートリヒの執務は午前中で完璧に終わるようになった。
その結果、午後はずっと私にべったりである。公爵家は絶好調、領地は豊かになり、文官たちも定時退社で肌ツヤが良くなっている。
まさに、完璧なホワイト公爵家の誕生だ。
——しかし、光が強ければ影も濃くなるのが、貴族社会というもの。
「旦那様!! お嬢様!! 申し訳ございません、お止めしたのですが……っ!」
突如、テラスへと続くガラス扉が乱暴に開け放たれ、メイドの悲鳴と共に数人の男たちがズカズカと踏み込んできた。
「無礼を許されよ、オルディス公爵閣下。……いや、今は娘との茶会にうつつを抜かす『腑抜け』とお呼びした方がよろしいかな?」
嫌味な、ねっとりとした声。
先頭に立っていたのは、派手な装飾の貴族服を着た、神経質そうな痩せた中年男だった。その後ろには、帝国の紋章が入った鎧を着た兵士たちが数人控えている。
「……何奴だ」
ディートリヒの声が、一瞬にして絶対零度のそれへと変わった。
「私のルルとの神聖な茶会を邪魔するとは。その首、胴体と繋がっているのはあと三秒だと思え」
「ひっ!?」
ディートリヒから放たれた強烈な殺気に、男は一瞬ビクッと肩を跳ねさせた。
しかし、彼はすぐに懐から仰々しい『皇帝の印』が押された書状を取り出し、盾にするように掲げた。
「お、お待ちを! 私は帝国宰相アルベルト閣下より直々の命を帯びて参った、特別監査官のギメル男爵でございます!!」
(宰相アルベルト……!)
私はピクリと反応した。
ゲームの知識にもある、父・ディートリヒと帝国の覇権を争う敵対派閥のトップ。先日、執務室で血祭りに上げられていた裏切り者を差し向けたのも彼だ。
「最近、公爵閣下が執務を疎かにし、あまつさえ幼い娘に書類遊びをさせているという由々しき噂が、宰相閣下の耳に届きましてな。帝国筆頭貴族たるオルディス家の財政が適正に運用されているか、このギメルが直々に『特別監査』に参った次第でございます!」
ギメル男爵は、意地悪く口角を釣り上げた。
「もし、公爵家の帳簿に不正や、杜撰な管理の痕跡が見つかった場合……宰相閣下の権限において、オルディス家の領地の一部を没収、あるいは当主の交代を皇帝陛下に進言することになりますぞ!」
(なるほどね)
私はディートリヒの膝の上で、冷めた頭で状況を理解した。
要するに『難癖をつけて公爵家を失脚させるための嫌がらせ(監査)』だ。
おそらく宰相は、ディートリヒが私を溺愛しているという噂を聞きつけ、「娘にかまけて領地経営がズタボロになっているはずだ。今なら帳簿の粗探しをして叩ける」と踏んだのだろう。
前世の派遣社員時代にもいた。
現場の事情も知らないくせに、重箱の隅をつつくようなコンプライアンス違反を探して、マウントを取ってくる本社の嫌味な監査役。
「……ほう」
ディートリヒは、ギメル男爵の言葉を聞いて、ひどく冷たく、残酷な笑みを浮かべた。
「領地の没収。当主の交代。……この私に向かって、そのような寝言を吐くために、わざわざこの屋敷の敷居を跨いだと?」
「なっ、寝言とは……! これは宰相閣下の……っ!」
「宰相がなんだ。あんな古狸の首など、私が本気になれば今夜にでも皇居の門に飾ってやれる」
ディートリヒの指先に、チリチリと青白い氷の魔力が集まり始める。
ギルバート団長も、音もなく大剣の柄に手をかけ、ノアに至っては「ルルーティア様の邪魔をするヤツ、空間ごと消す……」とブツブツ呟きながら黒い魔力を立ち昇らせている。
公爵家の武闘派三トップが、完全に『物理で排除する』モードに入ってしまった。
(待って待って! ここで監査官を皆殺しにしたら、それこそ宰相の思う壺じゃない!)
「暴力はいけません、お父様」
私は慌ててディートリヒの腕に抱きつき、その殺気を強引に封じ込めた。
「ルル? だが、このゴミは私とお前の平穏を脅かそうと……」
「ダメです。ここで彼らを怪我させたら、お父様が『悪いこと(不正)をしているから口封じをした』って言われちゃいます」
私が言うと、ギメル男爵は「そ、その通りだ! 手を出せば反逆とみなすぞ!」と強気に出た。
監査官という立場を利用した、典型的な小物ムーブである。
私は、ディートリヒの膝からゆっくりと降りた。
そして、純白のドレスの裾を少しだけ持ち上げ、ギメル男爵に向かって、完璧な貴族令嬢のカーテシー(お辞儀)をして見せた。
「ようこそおいでくださいました、ギメル男爵。オルディス公爵家長女、ルルーティアと申します」
「……は。子供はすっこんでいなさい。私は遊びに来たわけでは……」
「監査、ですよね?」
私はふわりと、この上なく優雅で、そして前世で身につけた『絶対に定時で帰る時の営業スマイル』を浮かべた。
「お父様は武力に優れた方ですが、私はそうではありません。……ですから、こういう輩は、書類で殴るのが一番効くんです」
「書類で殴る……?」
ディートリヒがポカンとする中、私はテラスの入り口に控えていた文官長に視線を送った。
文官長は私の意図を即座に察し、ニヤリと……そう、日頃の激務から解放され、完璧な自信に満ち溢れた『社畜の極み』のような凶悪な笑みを浮かべて頷いた。
「文官長。ギメル男爵に、うちの『帳簿』をお見せしてあげて?」
「御意! ルルーティアお嬢様!!」
数分後。
テラスの巨大なテーブルの上に、ドスンドスン! と、凄まじい音を立てて『それ』が積み上げられた。
「な、なんだこれは……っ!?」
ギメル男爵が、目を見開いて後ずさる。
それは、月ごとに完璧に色分けされた背表紙を持つ、数十冊に及ぶ重厚な帳簿のタワーだった。
インデックスシール(私が作らせた付箋)が規則正しく貼られ、一目でどの項目の支出か分かるようにファイリングされた、芸術的なまでの決算書類。
「さぁ、特別監査官様」
私は、書類の山の前に立ち、氷のような冷たい微笑みで彼を見据えた。
「オルディス公爵家の過去十年間、一円のズレもない完璧な帳簿と裏付け資料です。どうぞ、気が済むまでお調べになってくださいな」
異世界に持ち込まれた現代の経理システムによる『書類無双』が、今、幕を開けた。




