第18話:ノアの圧倒的な魔法の才能
公爵邸に引き取られて数日。
ノアの体力は、最高級の食事とマルタたちによる手厚いケアのおかげで、見違えるように回復していた。ボサボサだった銀糸の髪はサラサラに整えられ、赤い瞳にはかつての絶望に代わって、明確な『意志』が宿っている。
今日は、そんな彼の魔力を正確に測定するため、父ディートリヒと共に再び『ゼニス魔導工房』を訪れていた。
「おおおお! ルルーティアお嬢様! よくぞお越しくださいました!!」
工房の扉を開けるなり、工房長ザッカリアスが猛烈な勢いでスライディング土下座をしてきた。
以前訪れた時の、足の踏み場もないゴミ屋敷状態が嘘のようだ。フロアは見事に【発明の部屋】と【工場の部屋】に分割され、魔石は色や属性ごとにラベリングされた棚に整然と収まっている。
床にはチリ一つなく、白衣の魔法学者たちの顔には「探し物をしなくて済むストレスフリーな研究環境」による、清々しい笑みが浮かんでいた。
「お片付け、ちゃんとできてるみたいですね。ザッカリアスさん」
「はいっ!! お嬢様が定めてくださった『使ったら元の棚に戻す』という絶対ルールのおかげで、我が工房の作業効率は前月比で三百パーセント増しでございます!!」
「えっ、三百……(どんだけ無駄な時間使ってたのよ)」
私は内心でドン引きしつつも、表面上はにっこりと褒めてあげた。
「それで、ザッカリアス。今日はルルの提案で、このガキの魔力量を測りに来てやった」
ディートリヒが、私の背後に控えるノアを冷たい目で見下ろしながら言った。
相変わらず、父はノアに対して「私の天使に近づく薄汚れたネズミ」というスタンスを崩していない。今も、ノアが私から半径三メートル以内に近づこうものなら、容赦なく氷の槍を飛ばす構えを見せている。
ノアのほうも、ディートリヒへの恐怖心はまだあるものの、私が間に入っている時は絶対に引かず、赤い瞳でジッと睨み返していた。
「ははっ。スラムの孤児の魔力測定など、本来であれば我々が行うような仕事ではありませんが……お嬢様が拾われた子とあらば、特例中の特例! ささ、こちらの測定用魔石に手を触れてみてください」
ザッカリアスが、ソフトボールほどの大きさの、透明な『測定魔石』を台座に置いた。
触れた者の魔力容量に応じて、光の強さと色が変わるというものだ。
「……」
ノアは私を一度ちらりと見て、私がコクリと頷くのを確認してから、おずおずと魔石に手を伸ばした。
——ピシッ。
ノアの手が魔石に触れた、その瞬間だった。
魔石が、見たこともないような漆黒と銀色の光を放ち始めたかと思うと、内部から凄まじい亀裂が走り。
パァァァンッ!!
という甲高い爆発音と共に、測定魔石が粉々に砕け散ったのだ。
「「「なっ!?」」」
ザッカリアスをはじめとする魔法学者たちが、一斉に目玉を飛び出させた。
「ま、魔石が……砕けた……!?」
「あり得ない! あれは帝国騎士団の一個中隊分の魔力を流し込んでも耐えられる特注品だぞ!?」
「そ、それに今の光……! 空間を歪める銀色と、全てを飲み込む闇の漆黒……っ!!」
ザッカリアスはワナワナと震えながら、ノアの小さな体を指差した。
「こ、この少年は……! 数百年に一度、おとぎ話にしか登場しない『大賢者クラス』の魔力容量を持っています!! しかも、属性は最も希少で破壊的な『空間』と『闇』の複合!!」
工房内が、水を打ったように静まり返った。
大賢者クラス。それはつまり、一人の人間の中に、国を一つ丸ごと焦土に変えられるほどのエネルギーが詰まっているということだ。
「……ほう」
しかし、ディートリヒだけは顔色一つ変えなかった。
彼は冷ややかな目で、自分の手を見て呆然としているノアを見据えた。
「容量だけなら、私に匹敵するか、あるいはそれ以上かもしれんな。……だが、それだけだ。蛇口の壊れた巨大な水桶など、ただ周囲を水浸しにするだけの欠陥品に過ぎん」
ディートリヒの言葉は残酷だったが、事実でもあった。
ノアの魔力はあまりに強大すぎる。ほんの少し感情が揺れただけで魔力が漏れ出し、周囲の空間を抉り取ってしまう。
精密なコントロールができなければ、彼は一生『味方ごと巻き込む歩く爆弾』として生きるしかないのだ。
「オレは……」
ノアが、ギリッと唇を噛んだ。
強すぎる力。自分でも制御できない呪いのような才能。これがあるから、親にも捨てられ、路地裏で化け物と罵られてきた。
(捨てられる……!)
ノアの赤い瞳に、恐怖と絶望がよぎる。
せっかく神様に拾ってもらったのに、自分が『役に立たない危険なだけの化け物』だと知られれば、今度こそ見捨てられてしまう。
ノアの周囲の空気が、不安に呼応してジリジリと歪み始めた。
「待って、お父様」
私は、ノアの前にスッと立ち塞がり、ディートリヒを見上げた。
「ノアは欠陥品なんかじゃありません。ただ、正しい使い方を教わったことがないだけです」
「ルル……だが、魔法の制御というのは一朝一夕で身につくものではない。これほど強大なら尚更だ。こいつに魔法の訓練をさせれば、間違いなく周囲の人間が死ぬぞ」
ディートリヒの懸念はもっともだ。
私は振り返り、不安で押しつぶされそうになっているノアの元へ歩み寄った。
「ノア」
「……お嬢、さま」
「あなた、自分の力が怖い?」
私の問いに、ノアは小さく頷いた。
「怖い。……この力が勝手に溢れて、オレの大切なものを、全部壊しちゃうのが……怖い」
「なら、大丈夫よ」
私は、彼の手を両手で優しく包み込んだ。
「自分が『壊してしまうかもしれない』って怖がれる人は、絶対に優しい魔法が使えるようになるから」
私は、自分のポケットから、一枚の白いハンカチを取り出した。
そして、それをノアの小さな手のひらに乗せた。
「ノア。私のために、魔法の練習をしてちょうだい」
「……練習?」
「ええ。あなたの『空間』の魔法は、敵を削り取るためだけのものじゃないわ。空間を切り離して、大切なものを『守る』こともできるはずよ」
私は、ディートリヒのほうを振り向いた。
「お父様。ちょっとだけ、氷の粒をノアに向かって投げてもらえませんか? 当たったら痛いなー、くらいの強さで」
「はぁ!? 私の氷の魔法を、ルルの近くで使うなど……!」
「お願いです、お父様!」
私の真剣な瞳に根負けし、ディートリヒは渋々指先から小さな、しかし当たれば確実に大怪我をする鋭い氷の礫を生み出した。
「ノア、いい?」
私はノアの手を握ったまま、彼の目を見つめた。
「私は今から、ここを一歩も動きません」
「っ!? ダメだ、お嬢様に当たったら……!」
「だから、あなたが守って」
私の言葉に、ノアは大きく息を呑んだ。
「私を傷つけないように。私のドレスの裾一つ、髪の毛一本揺らさないように。……あなたの中にある強大な力で、私の周りの空間だけを、優しく切り取って、守って」
ノアは震えていた。
もし失敗すれば、大好きな神様が傷つく。
でも、もし自分が逃げれば、彼女を守れない。
「……っ」
ノアの赤い瞳が、スゥッと細められた。
彼の中の恐怖が消え、ただ一つの『絶対に彼女を守る』という強烈な意志へと置き換わっていくのが分かった。
「……来い」
ノアが低く呟いた瞬間。
ディートリヒの指先から、目にも止まらぬ速さで氷の礫が放たれた。
パキンッ!!
鋭い音が、工房に響き渡る。
氷の礫は、私の顔のわずか数センチ手前で、まるで『見えない壁』に衝突したかのように粉々に砕け散った。
いや、違う。壁ではない。
私の周囲数十センチの空間だけが、ノアの魔法によって完全に世界から『切り離され』、絶対的な防御結界として機能していたのだ。
「……ほう」
ディートリヒが、驚きに目を見開いた。
「私の氷が防がれたことではない。あの暴走寸前だった空間魔法を、ルルという『対象』に一切の負荷をかけず、ミリ単位の精度で折りたたんで結界にしたのか……。たった一度の助言で、ここまで完璧に……?」
それは、大賢者クラスの魔力を持つ天才が、人生で初めて明確な『守るべき目的』を与えられ、覚醒した瞬間だった。
工房の学者たちも、そのあまりにも高度で緻密な魔力制御に言葉を失っている。
「……できた」
ノアは、自分の両手を見つめ、そして私を見て、へにゃりと。
出会ってから初めて、年相応の、純粋で嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「できたよ、ルルーティア様! オレ、ルルーティア様を守れた……っ!!」
「うん! すごいわノア、本当にすごい!」
私が満面の笑みで彼を褒めると、ノアはポロポロと涙をこぼしながら「オレ、もっと練習する。ルルーティア様を、誰にも傷つけさせないために、世界で一番強くなる……!」と誓いの言葉を口にした。
(……よし、これで公爵家の魔法戦力(チート枠)の確保と育成ルートに乗ったわね)
私は内心でガッツポーズを決めながら、ノアの銀髪を撫でてあげた。
しかし、その和やかな空気を、冷たい咳払いが引き裂いた。
「……コホン。ルル、あまりその薄汚……いや、その少年に触れすぎるな。お前の美しい手が荒れてしまう」
ディートリヒが、ツカツカと歩み寄ってきて、私をノアから強引に引き剥がし、自分の背後に隠した。
そして、ノアを見下ろして、ひどく不機嫌そうに、しかし確かな『評価』を含んだ声で言い放った。
「ノア、と言ったな」
「……」
ノアは再び警戒した目つきになり、しかし私の手前、ディートリヒに一礼だけはした。
「その異常な魔力と、異常な学習速度だけは認めてやる。……貴様を、我が銀星魔法師団の『特別候補生』として公爵家に正式に迎え入れよう」
「!」
「私の娘が、貴様のその力を買っているからだ。感謝しろ。……だが忘れるな」
ディートリヒは、絶対零度の声でノアを威圧した。
「貴様が存在を許されるのは、あくまで『ルルの役に立つ盾』としてだ。少しでもルルを危険に晒す、あるいは……ルルに馴れ馴れしく近づこうものなら、私が自ら貴様の心臓を凍りつかせる。分かったな?」
「……言われなくても。オレの命は、ルルーティア様のものだ。あんたの指図なんか受けない」
「なんだと貴様、もう一度言ってみろ。やはり今ここで始末して……」
「お父様! 子供相手にムキにならないの!」
火花を散らす帝国最強の悪役公爵と、未来の大賢者。
二人の間を取り持ちながら、私は「これ、将来的に一番胃が痛くなるポジションじゃ……?」と、前世の中間管理職のような悩みを抱き始めるのだった。




