第15話:ゼニス魔導工房の改革
帝都の郊外。小高い丘の上に建つ巨大な石造りの施設、それが公爵家が誇る最高峰の技術拠点『ゼニス魔導工房』だった。
馬車から降りた瞬間、鼻をつくのはツンとした薬品の匂いと、微かに焦げたようなオゾンの匂い。
ギィィ、と重たい鉄の扉が開かれると、そこには異様な光景が広がっていた。
「……っ」
私は思わず息を呑んだ。
広大なフロアには、巨大なフラスコや複雑な魔法陣が描かれた黒板が所狭しと並んでいる。
だが、それ以上に凄まじいのが『ゴミ』……いや、書類や素材の山の惨状だ。
貴重な魔石、羊皮紙の束、得体の知れない液体の入った瓶などが、文字通り「足の踏み場もない」ほど床に散乱している。
その中を、煤で顔を汚した白衣姿の魔法学者たちが、ブツブツと何かを呟きながら徘徊していた。
「ルル、ハンカチで鼻と口を押さえていなさい。空気が汚れている。……おい、工房長はどこだ!!」
ディートリヒが不快そうに顔を顰め、怒声を張り上げた。
その圧倒的な覇気と殺気に、フロアにいた学者たちが「ひぃっ!?」と悲鳴を上げて道を開ける。
奥のゴミ……いや、素材の山から、髪の毛が爆発したような初老の男が這い出してきた。
ゼニス魔導工房の長、ザッカリアスだ。
「こここ、公爵閣下!? なぜこのようなむさ苦しい場所に……っ!」
「なぜだ、だと? 貴様らが魔法師団への魔導具の納品を滞らせているからだろう。私の大切な騎士や魔法使いたちに、ポンコツの装備で戦えと言うつもりか?」
ディートリヒの冷酷な見下ろしに、ザッカリアスはガクガクと震えながらも、職人としての意地を見せて反論した。
「そ、それは……っ! 我々は今、威力が従来の三倍になる画期的な『新型の炎魔石』の開発に没頭しておりまして……! 既存の通信魔導具を毎日毎日百個も同じように作るなどという退屈な作業は、我々のような天才のやる仕事では……っ」
「言い訳は聞かん。今日中に納品できなければ、貴様らの研究費を全額カットし、全員を北の鉱山送りにする」
「ひぃぃぃっ!! そ、そんな殺生な!!」
ザッカリアスが床に崩れ落ち、他の学者たちも絶望の表情で頭を抱えた。
(あー……完全にパターンが読めたわ)
ディートリヒの後ろに隠れて様子を見ていた私は、内心で深い、深いため息をついた。
天才肌のクリエイターやエンジニアに、「単純な量産作業」を強要しているのだ。
彼らのモチベーションは「新しいものを作ること(研究開発)」であり、「同じものを規定数作る(生産)」ことではない。しかも、この凄まじく散らかった職場環境。道具を探すだけで一日の半分が終わっているに違いない。
『R&D(研究開発)』と『工場(生産ライン)』の機能が、完全に一つにごちゃ混ぜになっているのが全ての原因だ。
私は、ディートリヒの背中からちょこんと顔を出し、ザッカリアスの前に歩み出た。
「あの、ザッカリアスさん」
「えっ? お、お嬢様……? いかがなさいましたか、このような埃っぽい場所で……」
煤だらけの顔を上げるザッカリアスに、私はにっこりと笑いかけた。
「ザッカリアスさんたちは、新しい魔法を考えるのが大好きなんですね。でも、同じものをいっぱい作るのは、つまらなくて嫌なんですよね?」
「う……はい。お恥ずかしながら。新しいひらめきを形にするのが我々の喜びでありまして……」
「なら、お部屋を二つに分けちゃえばいいじゃないですか!」
私はフロア全体をぐるりと見渡して言った。
「こっちの半分は、ザッカリアスさんたち『天才』が、新しい魔法を考えるための【発明のお部屋】です。そして、もう半分は、決まった魔導具をいーっぱい作るための【工場のお部屋】にするの」
「わ、分ける……?」
「はい! 天才の皆さんは、発明だけをしてください。そして、工場のお部屋には、新しく『魔法が少しだけ使える見習いさん』や『魔導具を組み立てるだけの人』を雇うんです」
いわゆる、労働力の分業(専門化)だ。
「ザッカリアスさんたちは、新しい魔導具ができたら『作り方の説明書』だけを書いてください。あとは、工場の人が説明書を見ながら、毎日同じものをいっぱい作ってくれます。そうすれば、皆さんはずっと大好きな研究ができますよね?」
私の提案に、ザッカリアスをはじめとする魔法学者たちが、ポカンと口を開けた。
これまでは「魔法に関わることは全て魔法学者がやる」という固定観念があったのだ。設計と量産の分離という、現代では当たり前の工業システムは、彼らにとってまさに青天の霹靂だった。
「せ、設計と……量産を、別の人間に……っ!?」
「はい! あとね、もう一つだけお約束です!」
私は、足元に転がっていた『赤と青の魔石』がごちゃ混ぜに入った木箱を指差した。
「新しいお部屋を作ったら、魔法の材料は、絶対に『赤い石の棚』『青い石の棚』って名前を書いて、分けてしまってください! 使う時はそこから出して、終わったら必ず同じ場所に返すの。……これ、絶対のお約束です!」
前世の職場で徹底的に叩き込まれた『5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)』の基礎である。
散らかった職場は、生産性を著しく低下させる。それを防ぐためのルールだ。
「そうすれば、ザッカリアスさんたちが『あれ? あの特別な石、どこに置いたっけ?』って探す時間がなくなって、その分、もっとたくさん新しい発明ができますよね?」
「あ……」
ザッカリアスの目から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なんという……なんという合理的なシステムだ……っ!」
「工房長……! これなら我々は、量産のノルマに追われることなく、一日中研究に没頭できますぞ!!」
「しかも、探し物の時間が減れば、研究効率は飛躍的に上がる……っ!!」
学者たちが、次々と膝をつき、ワナワナと震え始めた。
彼らはディートリヒの武力に屈して嫌々従っていただけだった。だが今、目の前にいる9歳の少女は、自分たちの『研究への情熱』を理解し、それを最大限に活かすための道を示してくれたのだ。
「お嬢様……! ルルーティアお嬢様!!」
ザッカリアスが、床に額を擦り付ける勢いで平伏した。
「あなた様は、我々技術者の女神だ!! 公爵閣下の命令よりも、今後はあなた様のご指示を最優先とさせていただきます!!」
「「「ルルーティアお嬢様、万歳!!」」」
むさ苦しい白衣の集団が、一斉に私を崇め奉り始めた。
後ろで見ていたギルバートが「またか……お嬢様、今度は工房を陥落させちまったよ」と呆れたように笑っている。
「る、ルル……私の愛しいルル。お前はまた、こんな短時間で奇跡を……っ!!」
ディートリヒも感動のあまり震えており、もはや私が何をしても全肯定するマシーンと化していた。
(よし、これで公爵家の生産ラインも確保できたわね)
私は内心でガッツポーズをした。
執務室の文官たち。
公爵邸の裏方を支える使用人たち。
最強の武力である黒曜騎士団。
そして、最高峰の技術を持つゼニス魔導工房。
わずか数ヶ月のうちに、オルディス公爵家を構成する全ての組織の心が、完全に「私」の元へ掌握された瞬間だった。




