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第12話:前世のスキル、異世界で火を噴く

「お、お仕事ごっこ、だと……?」


私の突拍子もない提案に、ディートリヒは目を丸くした。

周囲で死んだ魚のような目をしていた文官たちも、「ただでさえ修羅場なのに、お嬢様のお守りまで増えるのか……」と、絶望の色をさらに濃くしている。


普通なら「子供の遊び場ではない」と追い返されるところだろう。

しかし、ここは愛娘に甘すぎる公爵家の執務室だ。


「……なるほど。ルルは私と一緒にいたいのだな?」

「はいっ! お父様のお手伝いがしたいです!」

「あぁっ! なんという健気な天使……っ! 良いだろう、私の膝の上を特別席として用意しよう。書類に落書きしても構わんぞ、全て国宝として保存してやる!」


(落書きで済まされたら国が傾くわよ!)


私は内心でツッコミを入れつつ、「わぁい!」と子供らしく歓声を上げてディートリヒの膝の上によじ登った。

そして、メイドのマルタに頼んで持ってきてもらった『色とりどりのリボン』の束を机の上に置いた。


「よし。それじゃあ、お仕事スタートです!」


私は、ディートリヒの机の上にうずたかく積まれた「未分類の決裁書類の山」に手を伸ばした。

派遣社員時代、月末の経理処理で鍛え上げられた私の『事務処理速度』が、異世界の執務室で火を噴く時が来たのだ。


(えーと、まずはこれ。隣国の領主からの季節の挨拶……どうでもいいわね。はい、一番下!)

(こっちは……国境警備隊からの魔物討伐の予算追加申請。重要かつ急ぎ。一番上!)


小さな両手を使って、私は猛烈なスピードで書類に目を通し始めた。

もちろん、9歳の子供が複雑な政治文書を完全に理解しているわけではない。だが、前世の経験から「決裁印だけ必要なもの」「内容の精査が必要なもの」「期限が迫っているもの」を、書式やタイトルから瞬時に判断するスキルが身についていた。


パサッ、パサッ、パサッ。

リズム良く書類が分けられていく。


「お父様、赤いリボンで結んだ束は『今日中に絶対にハンコを押すもの』です! 青いリボンは『急がないけど、ちゃんと読んでから決めるもの』! 黄色いリボンは『他の人に調べ直してもらうもの』です!」


私は分類した書類の束を、持参したリボンでキュッと可愛らしく結び、ディートリヒの前に並べていった。


「……ルル?」


ディートリヒは、自分の膝の上で目にも止まらぬ速さで書類を捌いていく娘を見て、ぽかんと口を開けていた。


一方、文官たちはハラハラしていた。

(あぁ……公爵閣下の重要書類が、お嬢様のお遊戯でぐちゃぐちゃに……。これでまた今日の帰宅が遠のいた……)


最も疲労困憊していた文官長が、恐る恐る口を開く。

「あの、お嬢様。赤いリボンの書類、少し私に拝見させていただけないでしょうか……」


(直してやらなければ)という悲壮な覚悟で書類を受け取った文官長だったが。

その束に目を通した瞬間、彼の色を失っていた顔に、ドッ、と血の気が戻った。


「な、なんだこれは……っ!?」

「どうした、文官長。ルルの結んだリボンが何か問題か?」

「ち、違います閣下! この赤いリボンの束……すべて、本日中に急ぎで決裁をいただかなければならない最重要案件のみが、完璧に抽出されております!! しかも、上から日付の古い順(期限が迫っている順)に並んでいる……っ!?」


「「「なんだと!?」」」


周囲の文官たちが一斉にざわめいた。


「そ、それでは、この青いリボンの束は……」

「はいっ。そちらは、来月の領地開発の予算案や、貴族からの手紙など、急ぎではないものです」


私がにっこりと笑って答えると、文官たちは信じられないものを見る目で私を見つめた。


「そ、そんな馬鹿な……。我々がいくら探しても見つからなかった『東の防衛予算案』が、赤い束の一番上に……!」

「黄色い束はどうだ! 閣下、それは先ほど『調べ直せ』と仰っていた、治水工事の陳情書では!?」


大の大人が数人がかりで半日かけても見つからなかった書類が、9歳の幼女の手によって、わずか数十分で完璧な優先順位ごとに分類されてしまったのだ。


「ルル、お前は……この書類の内容が、読めるのか?」


ディートリヒが、信じられないというように私に尋ねてきた。


「難しい漢字(異世界語)はいっぱいあって、よく分かりません! でも、赤いハンコ(至急印)が押してある紙や、お父様が怖い顔で探してた紙の形は覚えてました!」


私はあくまで『賢い子供の遊び』として振る舞った。

実は異世界語の読み書きは前世の記憶のおかげでほぼ完璧なのだが、ここで「予算の配分がおかしいから保留にしました」などと言えば不自然すぎる。あくまで「直感と視覚情報で分類した」という体裁をとるのだ。


「あぁ……やはり、私の娘は女神の生まれ変わりだったか……っ!!」


ディートリヒは私を高く抱き上げ、頬ずりをして感動に打ち震えた。


「見ろ、貴様ら! 我が娘のこの圧倒的な知性と慈悲を! 9歳にして、無能な貴様らの何倍も役に立つではないか!!」

「ははぁぁっ!! まったくもって、閣下の仰る通りでございます!!」


文官長をはじめとする文官たちが、床に額を擦り付ける勢いで平伏した。

彼らの目に浮かんでいるのは、公爵への恐怖ではない。

積年の残業地獄から自分たちを救い出してくれる、一本の細い光——ルルーティアへの、熱狂的な崇拝の光だった。


「お父様、赤いリボンの書類、ここに置きますね。ハンコ、ぽんぽんって押してください!」

「あぁ、分かった。ルルがそう言うなら、いくらでも押そう!」


これまで「この書類はなんだ、探すのに時間がかかりすぎる」と不機嫌だったディートリヒが、嘘のようなハイペースで決裁印を押し始めた。

私が横から次々と「はい、次!」「はい、これも!」と、わんこそばの要領で書類を滑り込ませるため、彼は考える隙もなく(元々頭の回転は速いので、一瞬で目は通している)処理をこなしていく。


わずか一時間後。

ディートリヒの机の上に山脈のようにそびえ立っていた書類の山は、綺麗さっぱり消滅していた。


「……終わった」

「終わりましたね、お父様!」


私が満面の笑みで拍手をすると、執務室の中に静寂が訪れ——直後、文官たちの間から「おおおおおっ……!!」という地鳴りのような歓声が上がった。


「定時だ……!! 太陽が、まだ出ている時間に、仕事が終わった……っ!!」

「ルルーティアお嬢様! あなた様は、我らがオルディス家文官局に舞い降りた救世主メシアです!!」


数人の文官が、感動のあまり泣きながら抱き合っている。

私はディートリヒの膝の上から、彼らに向かって優雅に手を振った。


(ふふん、派遣社員のファイリング技術を舐めないでよね!)


こうして、オルディス公爵家の心臓部である執務室(文官局)は、私の『お仕事ごっこ』という名目のもと、完全に私の掌握下に置かれた。

今後、この文官たちはディートリヒの命令よりも先に、「これはお嬢様の赤いリボン案件ですぞ!」と自発的に効率化を図る優秀な働き蜂へと進化していくことになるのだった。

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