38 戸惑い
室内に漂うのは草をすり潰した匂い。そして僅かに感じることの出来る刺激臭。嗅ぎ慣れたその匂いにを前に、ただ黙々と作業をこなしていく。
「…ん……」
同じ動作を淡々とこなして行くその作業に、少しだけ肩が重くなってきた。その凝りをほぐすように腕を上へと伸し、同時に手首も返し伸ばしていく。
「…ん…」
そしてまた同じ作業。
窓から入る日差しが部屋を明るく照らす。その日の高さからそろそろ夕刻に差し迫る時間帯なのだと気付かされる。長く作業をしていると、時間の感覚がズレる。
もう既にそんな時間であったか。ソフィアは額にかかる汗を手の甲で拭い、ふぅと一息つく。
「もうこんな時間だったんだ……」
ソフィアはシルビァーナの元で治療院にて薬剤調合の手伝いをしていた。これは心身ともに衰弱していたソフィアのことを考え、シルビァーナとキースからの提案であった。それを彼女は断ることが出来ずに受け入れていたのだ。
調合した薬剤を小分けして入れ物に詰めていく。仕分けされた薬剤が次々と棚の上に並べられていく。作業時間の割にはその数は少ない。それは作業速度が遅いのではなく、それだけ薬剤を調合するのに時間がかかるということだ。
集中して作業をしていると本当あっというまに時間が過ぎていく。並べ終えた薬剤を眺めならが、ソフィアは先日の事を思い出していた。
あの時も今日と同じように薬剤調合の作業をしていた。治療院での手伝いをするため、治療に使う薬剤の調合をシルビァーナから任され、それをこなしていた。調合自体はこれまでの生活で幾度となく行ってきたので慣れたものであったので作業自体はなんの問題もなく行えていた。
そんな単純な作業を淡々とこなしていた時、ソフィアに突如変化が訪れた。
胸をざわつかせる、心をかき乱される、言いようのない魂の揺らめぎ。
それが何を意味するのか、ソフィアは即座に理解した。
気付いた時には走り出していた。
作業を放り出し、恥も外聞も気にせず、ただひたすら走り出す。
向かう先は町の外、森の奥深く。
その目的の場所は手にとるように分かった。
しかし日頃あまり激しい運動などしない身体では、長く走ることなど出来ようはずもなかった。飛び出した勢いが続くのは町の中を少し動いた程度の距離、そこですぐに息切れを起こし足取りが遅くなる。ノロマな自分の身体が呪わしい。だが文句を言っている暇は無い。足を動かさねば、早く赴かなくては。
そんなソフィアの元に近づく影が一つ。
シルビァーナだ。ソフィアが治療院を飛び出したことに驚いて後を付けてきたのだ。そんなシルビァーナにソフィアはすがりつく。言葉にならない言葉で彼女に説明する。しかし要領を得ないその言葉、ソフィア自身自分で何を言っているのか、わからなくなってしまうぐらいだ。
そんなソフィアの言葉を黙って聞いてくれていたシルビァーナは、ただ肯いてソフィアを抱きかかえて走り出した。その細身の身体のどこにそんな力があるのだと思えるほど、力強い走りで町を、森を、駆け抜ける。
シルビァーナに抱きかかえられ移動する事しばらく、ソフィアの中で変化が訪れた。これまで細かった繋がりが、太く芯が通ったような感覚に変化したのだ。即座にソフィアは己が内に力を込める。己の中にある別の魂に、自分の生命力を流すような、そんな感覚で。
魂が激しく揺らぐような感覚が何度も訪れる。その度にソフィアは力を込め続ける。激しく精神力を持っていかれる感覚にめまいを覚えるが、それでもソフィアは力を込めるのを止めなかった。
そして森の奥深く、目的地のすぐ目の前にまで差し掛かった所でシルビァーナに降ろされ、その場で待っているように言われる。
残された場所でソフィアは、ただひたすら己の中にある魂の存在を感じとり、力を込めていく。
そしてその魂のざわめきが収まり、静かに安定したその時、ソフィアにゆっくりと近寄る人物、彼は笑顔でソフィアへ_______
あの時は夢中で駆け出した為、その後の事など何も考えていなかった。だから彼__キースを前にして、何も言葉を発することが出来なかった。
自分は取り返しのつかないことをしてしまった。その事がいつまでも消えぬ罪悪感となってソフィアを苦しめていた。
キースは気にするなと言ってくれたが、そんなはずがない。自分の魂を奪われたのだ。きっと本心ではソフィアのことを___
薬剤調合中は作業に身を置くことに集中できるので、無駄なことを考えないですむ。だが、ひとたびそれを終えると、考えなくても良いことが頭の中を埋め尽くす。
謝罪して済む問題ではない。だからといって他に何が出来るのかと言われると、ソフィアには何もすることが出来ない。
そう、何も出来ない。そのことがさらに重しとなってソフィアの心を罪悪感の海に沈め、そして負の感情が心を黒く染め上げる。
「……」
窓から入る日差しを、なんの感情もない瞳でぼーっと見つめているその様子は、親しい知人がいれば、心配し声をかけるだろう。しかしソフィアにはそんな知人などは居やしない。
「………はぁ……」
ため息をつき、そっと目を閉じる。
今日の仕事はもう既に終えたのだ。いつまでもここにいる必要はない。自分の部屋に戻ろう。そう思いソフィアは重い腰をあげる。その時ふと気配を感じそちらに視線を向ける。部屋の入口、そこにまだ幼さが残る顔立ちの少年が立っていた。
「ソフィアさん」
「……テトくん」
ソフィアと同じように治療院で働いている少年テトである。いや、同じようにというのは語弊がある。ソフィアは一時的に働いているに過ぎず、テトは正式にシルビァーナの元で働いているのだ。同列に扱っては彼に失礼であろう。
「テトくん、どうかしたの?」
「えっと、ソフィアさんにお客さんがお見えになってます。」
「……え?」
自分に客……それがソフィアには理解出来なかった。ソフィアには親しい知人などは存在しない。そんな自分に誰がなんの用があるというのだろう。もしかしたら薬剤関係で何か。いや、それならば自分ではなくテトに振れば良い。彼も、いや、彼はソフィア以上に薬剤調合に精通しているのだから。
「私に……? いったい何の用かし___」
部屋の入口に立っているテト、その後ろから姿を現した人物を目にし、ソフィアは言葉の途中で息を呑む。
「ソフィア、少しいいか。」
「……キース…さん…。」
突然のキースの訪問に、ソフィアはただただ戸惑いを見せるのであった。
次の投稿は2~3日後になるかと思います。




