桜、桜。
ライアンは結局、町を歩いている間に、三人の女性に眉を吊り上げられ、二人の女性に足を蹴られてた。
……大丈夫かな、この人。
「女性を誘うなら、せめてかぶらないようにしないと」
「だからさ、覚えてないんだってば」
「誘ったことをですか?」
彼は困ったように笑った。
「癖になっちゃってんだ。声を掛けちゃうんだよな。まあ、たいがいは誘っても家で寝てるし」
「……どういう癖なんですか」
「だからかな、よく家に怒鳴り込まれる」
なるほど。
ディアンが素行うんぬん言うわけだ。
この甘いマスクと甘い声で誘われたら、その気になる女性がいて当然なのに。
自分の魅力とか、あんまり分かってないのかな。
「で、アクセサリーもいらなきゃ、化粧品も、小物もいらない。リンは何が欲しいんだ?」
ライアンが不思議そうに首を傾げる。
「……紙とペン。あとインクがあったらと」
彼はキョトンとして目を瞬かせて私を見る。
なぜ、そんなに驚くのでしょうか。
「女の子が欲しがるもんなのかな、それ」
「そう言われても、それが欲しいんです」
「……それなら、家にあったのに」
「え?」
「一応、仕事してると書類仕事もあるからな。そういう物の在庫くらいある」
「ごめんなさい。先に聞けば良かった。そしたら、ライアンも休めたのに」
彼は甘く笑って私を見る。
「いや、俺は休んでるよ。リンと歩くのは面白い」
面白いですか……。
微妙な感想だなぁ。
………まあ。
「それなら、良いんですけど」
ライアンは少し思案げになって。
「じゃあ、飲み物だけ買って少し歩こうか」
そう言って、屋台でジュースを買ってくれた。
柑橘系の百パーセントジュース。
けっこう美味しい。
そのまま町を離れて林の中に入って行く。
少し人混みを外れるだけで、ホッとするのは性分かな。
私の手を引くライアンも、くつろいで見える。
それにしても、こっちの人はすぐに手を繋ぐんだろうか。
ディアンもそうだし。
慣れない私は、少し恥ずかしいんだけど。
「ほら、ここ。俺は気に入ってる場所なんだよね」
ライアンが笑って小さな岩場を指差す。
そこは小さな泉が湧いていて、透明度の高い水がサラサラ流れ出していた。
「綺麗ですね。うわっ。冷たい」
思わず泉に手を浸して笑うと、彼は岩場に座り込んで微笑んだ。
「やっと笑ったね」
もしかして、彼は私がヘコんでいるから町に連れて来てくれたのだろうか。
私が伺うように見つめると、彼は私を見つめ返した。
ディアンより少し垂れた目、瞳は同じように黒いけれど、長い睫毛が彼の目を縁取っている。
通った鼻筋と、ふっくりした唇がどこか色っぽい人で——。
なんか、恥ずかしくなって目を逸らす。
ライアンはそんな私を見てクスクスと笑った。
「女の子は笑ってる方が可愛いいよ」
そう言って空を仰いで目を閉じた。
私もつられて空を仰ぐ。泉を囲うように、ぐるりと新緑が見えた。
ああ、確かに、ここは気持ちがいい。
「君の居たところってさ、歌はあるかい?」
「歌ですか?」
「そう。俺は歌を覚えるのが得意なんだ。何でもいいよ、歌ってみて」
そう言われても——。
ううん。
「下手ですけど」
「俺が上手いから大丈夫」
そうですか。
歌かぁ。
私は無難に桜を歌うことにした。私がここへ来た時は、もう夏になっていたけど。高校を卒業した頃には桜吹雪だったっけ。
私が歌いだすと、ライアンが後を追うように歌ってくれる。
本当に、この人の声は甘くて……胸にしみるようだ。
満開の桜。
もう見ることはできないのかな。
気づくと、私の視界は滲んでしまって、涙が溢れだす。
諦観したつもりでも……。
あの世界には、きっと、もう戻れない。
ごめんね、お父さん。お母さん。
ポロポロ涙が止まらない。
ライアンは私が泣いている間も、ずっと、桜を歌ってくれた。
そして、おもむろに立ち上がって私を抱きしめた。
「我慢しなくていいのにさ。周りを責めたって良かったんだよ。君にはそうする権利がある。知らない所に突然呼び出されて、怖かったろ」
彼は、しゃくり上げて泣く私の背中を優しく撫でてくれた。
なんだろう。この人、すごく優しい。
ここに来てからの緊張が、涙と一緒に流れ出していくみたいだった。
自分では気づいてなかったけど、相当に無理してたんだね。
涙は止まる気配がない。
しばらくライアンに背中を撫でられ、だんだんと私の涙も収まっていく。
感情が落ち着いてくれば……。
はっきり言って、すごく恥ずかしくなった。
あんまり知らない男性の胸で泣いてしまうなんて。
何をしてるんだろ、私は。
「あ、あの、ありがとうございました。もう大丈夫です」
私が照れながら身を引くと、彼は小さく微笑んで、また岩場に座り込んだ。
「俺が聞いた話だとね。ディアンは君を召喚したあと、もう一回、召喚魔法を成功させてる」
「そうなんですか?」
「そう。だからね、あいつには、ちゃんと他のガーディアンがいるんだよ。リンが無理して魔法を覚える必要はない。ディアンに付き合って討伐にまで行くこたないんだぜ?」
ああ。
なんか、心配してくれてるんだな。
「………ありがとうございます。シルビアさんも、私が選んでいいんだよって、そう言ってくれました。途中で辞めても責めないとも」
ライアンが面白そうに笑った。
「へえ、あのシルビアがそう言ったんだ」
「はい。だから……やれる所まで、やってみようかと思って」
彼はふうっと溜め息をつく。
「女の子を討伐に送るの嫌なんだけどね。怪我でもしたら大変じゃん。ほら、俺は女の子大好きだから」
その言葉で私が笑うと、ライアンは目を細めた。
「ほらね。女の子は笑ってる方が、ずっといい」
アイアン家に戻ってすぐ、ライアンが紙とペンとインクを渡してくれた。
「そんな物で何をするんだ?」
「ディアンに借りた本の図案を模倣してみようと思って」
「図案を?」
私は貰った道具を大事に抱きしめて頷く。
「そういう事をするのが好きなんです」
ライアンが面白そうに笑った。
「へえ、やっぱり、リンは変わってるな」
「そうですか? ここに来る前の世界では、そういう学校に通っていたんです」
「なるほどね。ふぅん」
彼は私の頭をポンッと叩いた。
「出来たら見せてよ。紙の代金として」
「……上手くできたら、で、いいですか?」
「リンなら上手くできるだろ。楽しみにしてるよ」
彼はそう言って微笑んでくれた。




