行ってきます
次の日の朝、寝坊した私は大慌ててで支度する羽目になった。
もうね、何を着ていこうかとか、どんな髪型にしようとか、そんな暇は全くなかったよ。
もちろん、ずっと、コーディネイトを悩んでたし。少しでも可愛くして行きたいとか、ちゃんと思ってたんだけど、そんなの吹っ飛んだ。
朝一で迎えに行くからねって、シルビアさんに言われてたし。
私は習慣のように学園の制服を手にとって着替え、髪を一本三つ編みにして、部屋を飛び出す。大急ぎで顔を洗いに水場へ向かった。顔くらい洗わないと、シルビアさんに失礼だもんね。
水場はお風呂小屋の近くで、屋根はついてるけど壁はないの。
私がバタバタしてると、後ろで面白そうに笑う声が聞こえてきた。
「寝過ごしたのか?」
ライアンが笑いながら私を見てた。
私は緊張してる暇もなく頷く。
「そうなの。急がないとシルビアさん来ちゃうよね?」
「ああ。お前の方が先に出るからな」
「そうなの?」
「俺は、その後でグレイさんと一緒に行くから」
私は不思議に思って顔を拭きながら聞く。
「あれ? シルビアさんとグレイさん、別に行くの?」
「そりゃあな。婚約してるって言ったって、結婚前だからな。人目もあんだろ」
「……あ、そうか」
つい、日本の常識で考えちゃうけど、ここはトルアだもんね。
日本なら恋人同士で婚前旅行って、そこまで変な目では見られないけど。
婚約してるなら、なおさらね。仲いいんだねって終わっちゃうけど。
……そうやって考えれば、もしかしたら、私とライアンはダシに使われてるのかもしれないな。
というか、そうだと良いな。
少しは気が楽だもん。
そんな事を考えてたら動きが止まってたみたい、ライアンが私の腕を軽く叩く。
「リン。急ぐんだろ? 食堂でララがヤキモキしてたぞ」
「……あ」
「せめて軽食を取らせたいってさ」
私は手ぬぐいを掴んだまま慌てた。
「ま、まだ時間あるかな?」
「お茶ぐらい飲めるだろ。ほら、手ぬぐい貸せ、そのまま食堂に行けよ」
「あ、ごめん。じゃあ、あの、頼むね」
手ぬぐいを差し出すと、ライアンが私の手首を掴んで軽く引っ張った。
耳元に顔を寄せると小さく囁く。
「あっちでな」
私が目を瞬いて彼を見上げると、また、溶けそうなほど甘い目で見つめられた。
いきなり鼓動が早まって、私の心臓が悲鳴を上げそうになる。
たぶん、また、真っ赤になっちゃったに違いない。
ライアンが面白そうに私を見たもの。
彼は私の手から手ぬぐいを受け取ると、軽く背中を押した。
「ほら。急げよ」
「……あ。ごめん、手ぬぐい、よろしく」
私はそのまま小走りで食堂に行く。
ララさんが、パンケーキとお茶を用意して待っててくれた。
「荷物はお部屋にあるんですか?」
「あ、はい。ドアの横にまとめてあります」
彼女は笑って私の腕を軽く叩く。
「それなら、私がここに運びますからね。慌てないで食べててください」
「え、あ、すみません」
……ああ、もう。
私ってばさ。
そりゃ、昨日は寝付けなかったんだけど。
何もこんな日に寝坊しなくてもいいのになあ。
ララさんが戻って来て、パンケーキを頬張ってる私に言う。
「コレをポケットに入れて行って、お腹が空いたら口に入れて下さいね」
彼女は微笑んで、何枚かのクッキーを包んで私のポケットに滑り込ませる。
ララさんは本当に気遣いがお母さんだし。
「お腹が空き過ぎると、ボンヤリしますからね。時々、小さく砕いて口に入れるんですよ? 本当に気をつけて行って来て下さいまし。怪我なんかしないようにね」
私は嬉しくなって、思い切りララさんに微笑み返した。
「ありがと、ララさん。ララさんの心遣いには、いつも本当に感謝してる」
彼女は珍しく照れたみたいに首を傾げて笑った。
「いやですよ。そんな風に言われるとクスぐったいでしょ」
ララさん、可愛い。
なんとかパンケーキを飲み下して完食したところで、アイアン家の呼び鈴が鳴った。ララさんが食堂を出て玄関に向かう。
…きっと、シルビアさんだ。
うわぁ。
なんか、すごく緊張してきた。
☆
現れたシルビアさんは、気後れしそうな程の美人だった。
いつもの事だと言えばそうなんだけど。
お出かけバージョンで眩しいほど綺麗だわ。
真っ白な絹のブラウスに、淡いグレーの乗馬ズボン。ブラウスの上に青みがかったグレーのカーディガンを羽織ってる。いつも下ろしてるシルバーの髪はゆるいアップで、後れ毛が光の筋みたいに揺れてる。ミリアンやルシアよりは色の濃い青い瞳が宝石のよう。
「おはよう、リン」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
私が頭を下げると、彼女はクスッと笑った。
……はい?
「やっぱり制服なんだから。そうだろうとは思ったけど」
「あ、すみません。寝坊しちゃって、考えてる時間もなくて」
「いいのよ。あっちに行ったら、私が着替えさせるから」
「……はい?」
そこにアイアンさんとディアンが見送りに出て来た。
まあ、相手がプリンセスなわけだから。
彼女は二人に婉然と微笑んだ。
「おはようございます。アイアンさん。ディアン」
ディアンは目で挨拶を返しただけで、アイアンさんが後を引き受ける。
「おはよう、シルビア」
「リンをお借りします」
「彼女をよろしくお願いします」
「お任せ下さい」
アイアンさんが目を細めて私に笑いかける。
「リン。楽しんでおいで」
「はい。有難うございます」
ディアンは少し首を傾げて私を見た。
「まあ、気をつけて」
また、意味ありげな目をするんだから……。
でも、まあ、見送りにライアンは居ないわけだし。
仕方ないかなぁ。
私はできるだけ普通に微笑む。
「行って来ます」
シルビアさんに促されて馬車に乗り込む。
さすが王族は馬車が違うなぁ。
いつもの乗り合い馬車には、幌なんか掛かってなくて外が見えるけど。
彼女が乗って来た馬車は綺麗な幌が掛かってて、外も見えないけど、中も見えなくなってる。
中も作りがゴージャスだわ。
椅子もクッションがあって、布張りだし。
アイアンさんが私の荷物を運んで、馬車に乗せてくれた。
「あ、すみません」
「いいんだよ。リン。本当に気をつけて行っておいで」
彼は荷物に伸ばした私の手を、ポンッと軽く叩いて笑った。
もう。アイアンさん、本当に格好いい年の取り方してる。
目尻のシワに色気を感じるって、なかなか無いよね。
馬車が走り出すと、シルビアさんが私を見て笑った。
「リン。なんか緊張してる?」
……あ、やっぱり分かります?
彼女は、また婉然と微笑んだ。
「大丈夫よ。何があったって、命まで取られたりしないわ」
そう言ってウィンクした。
それは、そうなんでしょうけど。
緊張するなって言うのは、無理だよね。




