浄化魔法
今のところ、ニコラとの訓練は、額の目を開いたり、閉じたりすることに費やされてる。
だんだん、訓練の時間も短縮できるようになってきてて、午前中いっぱいかける必要もなくなってきてた。
「まあ、後は個人で魔法訓練しても大丈夫なくらいになってきたね。そろそろ訓練の回数は減らしてもいいかもしれないな」
などという、お墨付きまでもらえた。
まあ、魔法の発動率は、まだ五分五分を抜けられてないんだけど。
気を良くして、シルビアさんの手伝いや清掃作業ににも気合が入る。
というか……。
詰所の荒れ具合がね。
私が掃除を請け負う前って、一体、誰が掃除してたんだろう。
いや、思い出してみれば、仕事を始めた頃はけっこう汚れてたかも。
毎日、掃除するようになって、少しづつ普通になった気もする。
私が訓練で清掃できないと、掃き掃除をしたり、ゴミを捨てたりっていう簡単な作業は、ルシアが手伝ってくれてた。けど、彼女は魔法騎士としての仕事もある。
魔法騎士は日報や報告書類といった事務仕事もあるし、学園の課外授業にも行かねばならない。
忙しいんだから、彼女に負担を回したくない。
出来る時にガッツリ掃除しておけば、後のメンテも楽になる。
私は重曹とお湯を使って床の拭き掃除をしていた。
モップを開発した人は偉大だと思う。
この世界は靴のまま日常を送るから、床も結構な汚れ方をする。
雑巾で拭き掃除をしていては、ラチが明かないんだよ。
掃き掃除して、モップで拭き掃除して、最後に出がらしの紅茶を使ってふきあげれば、板敷の床も少しは綺麗でいてくれる。匂い的にも紅茶の良い匂いするしね。
私が重曹での拭き掃除を終えた時だった。
ダインさんが、血相を変えて飛び込んで来た。
「リン!」
引きつった顔で私を見ると、有無を言わさずに腕を掴んだ。
こんなダインさんは見たことが無い。
「ディアンの意識が戻らない」
……え?
「プチュラに襲われて……体は回復魔法で治療できてる。けど、意識が戻らない」
ダインさんに引っ張られて走りながら、私は血が下がって行くような気がした。
プチュラは魔性の蜂で、刺されれば命取りになる猛毒を持ってる。
肉食で、群れて襲い、毒で獲物を仕留めてから喰いちぎって巣に持ち帰るんだと習った。
格騎士団の詰所とは別に、負傷した騎士や発病した騎士を受け入れる救急施設がある。魔法使いが常に待機していてくれて、巡回や討伐、訓練などで負傷、発病すると連れて来られるんだと聞いている。
ダインさんは私を救急施設の一室に連れて来た。
ベッドに寝かされたディアンの横で、ルシアがディアンの手を握っていた。
ディアンは青い顔をして瞼を閉じたまま、ピクリとも動かない。
私はダインさんの手を払って、ディアンに駆け寄る。
「ディアン。ディアン!」
ルシアが泣きそうな顔で私を見つめる。
「……リン」
ダインさんが私に簡易の椅子を持って来て言った。
「君なら、何とか出来るかもしれない。ディアンを診てくれないか?」
私は無言で頷いて、ダインさんが用意した椅子に座る。
……ディアン。
彼の額に手を置いて、私は集中していく。額の目を開く。
いつもなら感じる、ディアンから来る電気的な刺激が来ない。
私は目を閉じて、自分から彼の方へ意識を向かわせる。
閉じた瞼の奥で、すぐにディアンのガーディアンが見えた。真っ白な鷲は金色の瞳で私を見ると、ガシッと足で私の肩を掴んで宙を舞う。何処かへ連れて行くらしい。
そこは不思議な空間で、上も下も、右も左も、全てが夜空のようだった。
幾つもの星、星雲、煌めきと静けさの支配する空間。
その中でディアンが横たわって浮いている。
見た事のない、赤い大きな豹がディアンを気遣わしげに守っている。
たぶん、もう一体のガーディアンだ。
豹は燃えるようなオレンジの瞳で私を見上げ、のっそりと立ち上がるとディアンから距離を取った。
白鷲が私をディアンのそばに下ろす。
「……ディアン」
私は横たわるディアンの額に、もう一度、手を置く。
意識がないってことは、脳の損傷も考えられる。けど、ダインさんは回復魔法で身体の修復をしたと言ってた。
あとは……。
白鷲の金色の目が、物言いたげに私を見つめる。
……ああ。そうか。
プチュラの毒が、どんな毒なのか、まだ、この世界では解明されていない。
私にも猛毒だという知識しかない。
回復魔法では、解毒が出来ないのかもしれない。
次の方法は浄化魔法だ。
魔物を消し去る、光魔法の上位魔法。
私は額の目を思い切り開く。
ディアンの額の目が瞑ったままなのが分かった。
私はそこにエネルギーを注ぎ込みながら、浄化魔法の古語を唱える。
低く、高く、高く、低く。
自分の中で細胞が震えだすような気がした。
ディアンの額に触れた手から、私のエネルギーが流れ込んで行く。
セーブはしない。ディアンが目覚めるなら、枯渇したってかまわない。
彼の全身が真っ白に光を放ち、身に抱えた魔性の気を放出させてゆく。
どす黒いような蒸気が、ディアンの体から吹き上がって、白い光に消えて行く。
夜空が真っ白な光に包まれる。
白鷲が一声鳴いた。
赤い豹がゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえる。
私は朦朧とした意識のまま、彼の名を呼んだ。
「ディアン」
私が呼ぶと……彼の目が、ゆっくり開く。
「……リン?」
思わず微笑むと、彼も微笑み返してくれた。
私は彼を抱きしめる。
流れ落ちた涙が、玉になって上に登っていった。
本当に……不思議な空間。
ここが、精霊たちの住む世界なんだろうか。
ルシアの声が私を現実に引き戻す。
「気づいた。ディアン!」
背後で部屋に飛び込んで来たライアンの声がした。
「ディアン!」
私は目眩を起こして意識を失った。




