子守唄
手を繋いで並んで歩いていると、ライアンが言った。
「リン。今日、可愛い格好してるよな。けど、それじゃ、頭が撫でられない」
そう言って小さく笑った。
私は褒めてもらえたのが少し嬉しくて、思わず赤くなってしまった。
けど……。
「いつも気にしないで髪をクシャクシャにするじゃない」
ちょっと憎まれ口を叩いてしまう。
「町中で髪がクシャクシャは嫌だろ。これでも気を使ってんだぜ? 本当は撫でくり回したいけどな」
「な、撫でくり回すって。犬じゃないんだから」
彼は揶揄うように私を見た。
「似たようなもんだろ?」
「酷いなぁ」
そんなふうに話しながら、けっこうな距離を歩いたと思う。
彼が手を引いて連れて来たのは、初めて町に来た時に教えてくれた泉だった。
私は少し懐かしくなって目を細める。
ライアンがふうっと息を吸う。
「少し休んで行こう。なあ、さっきのカラス見せて?」
ライアンが岩場に座ったから、私も隣に座ってカバンからスケッチを出す。
「ああ、良く描けてるな。これを元にして図案を作るのか?」
「そのつもりだけど。まだ、どんな装飾にするか決まってないんだ」
私はふっと自分の手に目を落とす。
「ねえ、ライアンの箱はビーズで装飾されてるよね」
彼は私にスケッチを返しながら、
「アレはお前にやったんだよ。俺の箱じゃない」
そう言って私を見つめる。
私は目を逸らしてスケッチをカバンにしまった。
「でも……あの箱は大事な物でしょう? ライアンのお母さんが作ったんだから」
彼の動きが少し止まった。
顔を上げると、目を瞬かせて驚いてる。
「……よく分かるな。親父に聞いたのか?」
私は小さく微笑んだ。
「聞かなくても分かるよ。あの箱は作った人の思いが伝わってくる。それに、中に入ってるのが絵の道具だし」
ライアンはふっと空を見上げて、懐かしそうに目を細めた。
「お袋の事は、あんまり覚えてないんだよな。ディアンを生んで一年も経たないで逝ったからさ。俺も小さかったしな。ただ、あの箱を貰った時、嬉しかったのは覚えてるよ」
彼は優しく笑って私を見つめた。
「お袋は絵を描くのが好きだった。いつも、画板を持って歩いてたよ。顔とか覚えてないんだけど、あの人の手だけは覚えてるんだ」
「……手?」
「ああ。手。お前と一緒で器用な手だったよ。リン。お前が作業してる時の手を見てると、お袋を思い出す。そばに寄ると絵を描いてる手を止めて、よく、俺の頭を撫でてくれたよ」
なんだろう。
私は胸の奥がピリピリと痛む気がした。
「だから、リン。あの箱はお前に持ってて欲しいんだ」
ライアンは、ただ、懐かしそうに微笑んでるだけなのに。
私は彼の前に膝立ちになって、彼の頰に手を当てて瞳を覗き込む。
「きっと、優しい手だったんだね」
彼は私を見つめ返して、頰に当てた私の手に自分の手を重ねる。
「ああ、柔らかくて、暖かい手だったよ」
黒目がちの甘い瞳が、胸を締め付ける。
寂しさと哀しみが、静かに流れ出すような色を浮かべているから。
一番、甘えたい時期だったんだろうな。
抱きしめて欲しかったろうな。
何度でも、頭を撫でて欲しかったはず。
幼いライアンを思うと、なんだか涙が出てしまいそう。
できるなら、その場に行って、小さなライアンを抱きしめたい。
涙が溢れそうになってきて、両腕で彼の頭を抱きしめる。
彼はそっと私の背中に腕を回した。
柔らかな髪が頰に当たる。
その髪を撫でながら、私は小さく言う。
「……大好きよ」
ライアンの腕が私の体を強く抱いた。
甘えるみたいに胸に顔を埋める。
しばらく、そうしてたと思う。
ライアンが小さな声で子守唄を歌い始めた。
懐かしいような、優しい旋律の歌だ。
彼の声は甘いから、胸の奥がグッと切なくなってくる。
「……トルアの子守唄なんだ。なんだか、思い出しちまったよ」
ライアンは子供のように私を見上げて笑った。
私は彼の頭を離して、隣に座り直す。
彼が思い出を話してくれたのは、初めてなんだよね。
この人、ディアンの前では絶対に母親の話をしないってララさんが言ってたし。
「ねえ、ライアン。その歌を私に教えてくれない?」
「いいよ」
私は彼の後について、ゆっくり、トルアの子守唄を歌う。
何度も、何度も、繰り返し。
この国の緑、空、風、町の風景や人々の暮らしに思いを巡らせながら。
最後にはライアンが黙って、私の歌を聴いていた。
私が歌い終わると、照れ臭そうに笑った。
「ヤバい。リンに歌われると泣けてくる。俺、お前の声、好きなんだよな」
そう言ってクスクス笑った。
本当に、少し目が潤んでるし。
「私だって、ライアンに桜を歌われると泣けちゃうよ?」
彼は甘く私を見つめた。
「聞きたいか?」
「……うん」
ライアンが桜を歌ってくれる。
私は目を閉じて、満開の桜に思いを馳せた。
もう、見ることのできない風景が、まるで映像のように目の前を過ぎてく。
胸がギュッと詰まって、せり上がってくる思いを噛みしめる。
この世界は大好きだけど。
……やっぱり、私の故郷は日本なんだよね。
ジワっと涙が滲んで来る。
「あはっ。ほら、やっぱり、泣けちゃう」
彼は微笑んで、涙ぐんだ私の頭を撫でた。
「お前の育った所も、見てみたかったな」
「そうだね。私もライアンに見せたかったよ」
私の住んでた所は近くに川が流れてて、よく白鷺や川鵜が魚を取ってるのを見た。
都心の方まで通学してたから、私は朝早くに家を出なくちゃならなかったんだ。
早朝の川沿いを歩いて駅に向かってると、中洲の木の周りで、起き出した鳥達が鳴いてた。
朝焼けに染まってシルエットになった光景は、すごく、綺麗だったな。
都心に出るには不便な場所だったけど。
その分、自然が残ってた。
……ずっと、忙しくて。
もっと都心に近ければ通学が楽なのにって、そんな事しか考えてなかった。
けど、今になって思い出してみると。
「トルアに負けないくらい、綺麗な所だった」
私がそう言って笑ったら、ライアンが頷く。
「いつか、描いてくれよ」
「え?」
彼は静かで優しい目をして微笑む。
「時間が出来たら、リンの故郷をお前の絵で描いて見せてくれないか?」
「……絵で?」
「ああ。そうしたら、俺にもリンの故郷が少し想像できるだろ」
……そうかぁ。
満開の桜を描くことも出来るんだね。
私の記憶を彼と共有することが、できるようになるのかな。
「そうだね。いつか……ライアンに見せるよ」
そう言ったら、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
彼は私の故郷を知りたいって思ってくれるんだね。
……なんか。
ジンと胸が熱くなる。
「休み過ぎたかな。日が暮れる前に帰らないと、ララにどやされるもんな」
ライアンは立ち上がって私を見ると、甘く微笑んで手を差し出す。
「帰るか」
「……はい」
私はライアンが差し出した手を握る。
大きくて、暖かい手。
私は、この手を離したく無いなって思った。




