もう一つの好き
詰所からアイアン家に戻って、私は少し考えてしまった。
ニコラの口にした言葉が気になる。
——魔法の発動条件が異なる。
どういう意味だろう。
毎晩のように光魔法にチャレンジしてるけど、全然発動しないのはそういう事なのかな。
やり方が間違ってる?
始めからお浚いしてみたい。
私は一人で本小屋を訪ねてもいいんだろうか……。
他の男性と二人きりにならないっていう、ライアンとの約束を破った事にならないかな。
……あ。
また。
思い出したら泣きたくなってきた。
ダメだ。
私は頭をブンブン振った。
違う事を考えよう。
自分の気持ちが落ちつくまで、違う事に集中しよう。
私は窓の外を見る。
まだ夕暮れには遠い。
夏の陽は長いし、夜ってわけじゃないし。
訪ねてもいいよね。
うん。魔法書を借りてこよう。
私は部屋を出てディアンの本小屋へ向かった。
本を借りるために時々は訪ねてたけど、ここの所は色々あって足が遠のいてたから久しぶりだ。
昼間の事を考えると、少し気不味いけど。
魔法についてなら、ディアンに相談もできるし。
扉をノックすると、少ししてディアンが扉を開けてくれた。
彼は私を見ると驚いたように目を見張って、視線を逸らすように軽く目を伏せた。
あらためて、ゆっくり目を上げて私を見る。
なんだか、少し、いつもと様子が違う。
「リン。どうかした?」
「あ、初歩魔法の本を貸して欲しくて」
ディアンは扉を開いたまま、体をずらして聞いた。
「……入る?」
なんでだろう。
私は少し躊躇してしまった。
彼と二人きりになるのが、少し怖い気がした。
ディアンなのに……。
私は軽く息を吸ってから頷いた。
半身になってる彼の横を通って、本小屋へ入る。
インクと油、古い紙の匂い。
ああ、やっぱり、好きな匂いだな。
床にはクッションと読みかけの本が置いてある。
ディアンは本当に勉強家だよね。
「初歩魔法の本って、どの辺りが読みたいんだ?」
「できれば始めの方から。少しお浚いしたくて」
ディアンは、光沢のある白いシャツブラウスの腕を捲って、黒いタイトなズボンも捲り上げて脛まで出してる。ここは窓が少ないし、本の為にカーテンも引きっぱなしだから暑いのかも。
立ち上がって本棚を見てるディアンは、本当に背が伸びたと思う。
それに、骨格が変わってきてる。
なんだか、幼さが抜けてきた。
この時期の男の子は本当に成長が早いんだな。
ディアンは二冊の本を持って戻って来た。
私に差し出そうとして、ふっと手を止めてしまった。
「……ディアン?」
彼は、また、目を軽く伏せる。
「リン……」
何かを言おうとして、ふうっと飲み込んで本を差し出す。
本当に……なんか、いつもと様子が違うみたい。
「ありがとう」
私が本を受け取って軽く頭を下げると、ディアンは少し笑って。
「そうだ。リンに渡そうと思ってた本があるんだよ」
そう言って、読みかけの本のそばに置いてあった薄い冊子を取る。
珍しいな。
この世界で本といえば、キッチリ製本されてるのしか見た事なかったけど。
彼が差し出した冊子は、本の図案を、部分ごとに大きく描きとったモノだった。
私は思わず目を開いて魅入る。
……すごい。
「この間、本を整理してたら見つけたんだ。こういうの、好きなんだろ?」
「大好き。ありがとう」
顔を上げてディアンを見ると、彼は私を真顔でジッと見つめてた。
少したじろいでしまう。
「えっと?」
ディアンは、また、ふっと目を伏せてから言った。
「リン。俺が好きだって言ったら驚く?」
……え?
あ、ちょっと。
走って逃げたいかも。
「えっと。ディアン。私もディアン好きだよ?」
笑ってごまかそうとしたら。
ディアンは手を伸ばして私の腕を掴んだ。
「そういう意味じゃないの、分かってるだろ」
そんな、怖い目で見ないで欲しい。
なんて答えればいいのよ。
私が困って目を伏せると……。
「リン。目を逸らすなよ」
私の腕を掴んでる手に力が入った。
これは、逃がしてもらえそうもない。
私は意を決して答えた。
「ディアン。私は本当にディアンが好き。ただ、それはアイアンさんや、ルシアを好きなのと同じ好き」
彼は瞼を閉じて、ふうっと息を吸った。
「俺の好きは違う」
目を開いたディアンは、痛いように顔を歪める。
「リン。ライアンが好きか?」
……ああ。
本当に、どうしてだろう。
「好き」
「その好きは……俺を好きなのとは違う」
私は、ただ、頷いた。
ディアンは、もう一度、ふうっと息を吐いた。
「俺が言っていいかわかんないけど。昨日、夕食の後で……ライアンに言われたんだよ。リンに惚れたって」
私が軽く目を見張ると、彼は小さく笑った。
「俺には言っとかなきゃならないってさ」
ディアンは私を見つめて、静かに溜め息をつく。
「二人が好き合ってるのは、見てれば分かるけどね」
「……ディアン」
「ただ。やっぱ、どうしてライアンなんだって思うよ」
どうして。
それに答えられたらいいのに。
「リン。一度だけ……抱きしめていい?」
ディアンの目が切なくて。
私は泣きそうになってしまう。
両手を広げると、ディアンは私を痛いほど抱きしめた。
その腕は思うよりずっと長く、胸も広い。
私をスッポリ包む。
胸が詰まる気がして、私もディアンを抱きしめる。
彼の顔が私の髪に埋もれる。
ディアンは絞り出すような声で言った。
「……好きなんだ」
……ディアン。
あなたに、どれだけ助けられたか。
どれだけ、安心できてたか。
あなたが望む形とは違うけど、本当に大切に思ってる。
……大好きだよ。
その言葉は、全部、飲み込む。
今、口に出せば、ディアンを傷つけてしまうかもしれない。
私は堪えきれずに、泣き出してしまった。
どうして……。
その答えは、自分にも分からない。
どのくらい、そうしていたのか。
ディアンが私を離して、優しい目で笑った。
「なんで、リンが泣くんだよ? 泣きたいの、俺だろ?」
「……ご、ごめ、ごめん」
「リンが謝ることないだろ? ちゃんと答えてくれたじゃないか」
彼はギュッと目を閉じて、もう一度、私を強く抱きしめ、そっと、私の体を押しやって自分から離す。
「リン、ありがとう。これ以上はダメみたいだ。俺、期待しちゃいそうだ」
そう言って笑った。
すごく、綺麗な笑顔だった。
「魔法……使えるようになるといいな」
私も精一杯、笑った。
「使えるようになったら、ディアンに回復魔法かけてあげる」
「楽しみにしとくよ」
彼に借りた本を抱きしめて、本の小屋を出た。
辺りが薄紫に変わってて、まだ明るい空に星が瞬いてる。
私は、ここに呼び出されてすぐ、貴方が、必ず帰してやるって言ってくれたこと。絶対に忘れないよ。
大きく息を吸い込んで、暮れてゆく空を見上げた。
昼間の熱気を少し残した風が、私を撫でてゆく。
……夏が過ぎていく。




