折檻
アイアン家の近くで乗り合い馬車を降りて、屋敷に戻るとライアンが馬屋の方から歩いて来た。
私の荷物を見て軽く眉を上げる。
なんとなく、居心地が悪いような気がして、目を逸らしてしまう。
でも、逃げたらもっと変だよね?
ちょっと立ち往生みたいになってると、近くまで来ちゃった。
ええっと。
「お帰りなさい」
「ただいまっていうか、お前もどっか行ってたんだろ?」
「町まで買い物に……」
ライアン、半眼になってる。
何だろう。
視線が痛いな。
「一人で?」
もう。
私ってば目が泳ぐし。
「一人で出かけたに決まってるでしょ?」
出かけた時は一人だったから、嘘は言ってない。
うん。言ってない。
私を見つめたライアンが、軽く眉根を寄せて腕を掴んだ。
「ちょっと来い」
彼は薔薇の茂みまで私の腕を引っ張ってく。
ああ、なんか……怒られるんだよなぁ。
別にやましい事なんかしてないはずなのに。
ライアンは腕を組んで軽く首を傾ぐと、キュッと私を睨んだ。
「で、一人で町まで行って誰に会ったんだ?」
……なんで分かるんだろ。
というか、なんで詰問されてるんだろ。
「……ダインさんに会ったけど?」
彼の目が剣呑になる。
甘い顔にムッとした表情が浮かんだ。
「待ち合わせでもしてたのか?」
「ち、違うよ。偶然に会ったんだよ。私、道に迷っちゃって、画材屋さんまで案内してくれたの」
「それで、誘われて断れないで茶でも飲んできたわけか?」
……だから、なんで分かるのよ。
私が答えないでいると、凄く怖い目で睨まれた。
だから、どうして睨むのよ。
「誘われも断って帰って来いって言わなかったか?」
「え? そ、それって、工房の時の話だよね?」
「違げぇよ」
「な、なんで?」
ライアンが苦い顔で私を見つめる。
「……分からないのか?」
「だって、そんなこと言われたら、私、どこにも行けないじゃない」
「出かけるなって言ってんじゃねぇよ。他の奴に誘われても断れ」
命令口調だし。
睨んでて怖いし。
ライアンは団長補佐だから、命令し慣れてるのかもしれないけど。
でも、なんか、おかしいじゃない。
「私、ライアンの部下じゃない。命令しないでよ」
彼は私の言葉で完全に眉を吊り上げた。
雰囲気がピリピリしてる。
ああ、もう。
怖いなぁ。
私は、たぶん、拗ねたみたいに彼を睨んでたと思う。
彼もそんな私を苛つきながら睨んでた。
どのくらい、そうやって睨み合ったんだろ。
ライアンの表情が急に変わった。
なんだか、痛いような顔になって、私の胸までキリッって痛む。
「命令じゃない。……頼んでるんだよ」
彼はそう言うと私の腕を掴んで引っ張り、首を捕まえて引き寄せた。
私の麦わら帽子が勢いに飛ばされて落ちてしまった。
……え?
唇に柔らかな感触が重なって、ライアンの息が私の中に入って来た。
頭が真っ白になって、心臓の音だけが聞こえる。
私の目には瞼を閉じた、彼の長い睫毛が見えてた。
身を引こうとしたけど、彼は私の腰を抱きしめて、首を掴んだまま離さない。
クラクラして、体の力が抜けてしまいそうだった。
ライアンは唇を離すと、そのまま目を伏せて、私の首に唇を這わせた。
自分でも感じたことのないような感覚に襲われて、頭はパニック状態なのに体に力が入らない。
……こ、これ、なに?
彼が私を抱いていなかったら、きっと倒れてる。
心臓がばくばくして、息まで苦しい。
彼の唇が動くたび、全身が痺れるようで。
ライアンが軽く歯を立てて首に噛み付いた。
小さな痛みを感じたけど、それ以上にゾクッとする。
「……あっ」
まるで全身が鳥肌だっていくみたい。
足の力が抜けそう。
彼の腕に力が入って、強く抱きしめられた。
体の熱が伝わってくるみたい。
ライアンの匂いを強く感じる。
呼吸が上手くできない。
こ、こんなのは……。
「や、やめて、ライアン」
混乱したままで、私がそう言うと。
彼は私の両肩を掴んで、バッと体を離し、そのまま項垂れて動かなくなった。
柔らかそうな黒髪が私の目のすぐ下に見えてる。
「声……出すから……。止めらんないかと思った」
小さな声で、そんな事を呟く。
顔を上げると、彼は首まで真っ赤に染まっていた。
潤んだような甘い目が私を見つめる。
私は動けなくて、彼の瞳に捕えられたまま、ただ見つめ返してた。
どうしよう。
本当に立って居られなくなってきた。
彼は、そのまま、そっと私を抱いて耳元で囁いた。
「お前が他の男と二人で居るは嫌なんだよ。頼むから、誘われても断って欲しい」
私は答えることができないで、ただ、小さく頷いた。
ふうっと息を吐いたライアンは、赤く染まった顔のまま、心臓が壊れそうなくらい甘い目で私を見つめた。
「折檻するって言ったろ。約束は守れよ。次は……止めらんないと思うからな」
そう言って私を離し、茂みから出て行った。
私は彼が居なくなった途端に、足の力が抜けて、そのまま座り込んでしまった。
頭が過飽和状態で思考が追いつかない。
どのくらい座ってたのか、一体どうやって自分の部屋に戻ったのかも覚えてない。
ただ……部屋に戻って鏡を見たら、首に噛み付かれた小さな跡が残ってて。
そこに手を置くと、感覚がフラッシュバックして。
私はベッドに座り込んで大きく息を吸い込んだ。
自分の唇に、そっと触れる。
どうしよう。
他のことが何も考えられない。
私、ライアンが好きだ。
自分の胸がギュッって詰まるのが分かった。
でも、だって、彼はアイアン家の人で。
ディアンのお兄さんで……。
頭がボウッとしてきた。
本当に思考回路がショートしてる。
しばらく、そうしてたけど。
襟の立ったブラウスを選んで着替えることにする。
噛み跡は隠しておかないと……。
ボンヤリしたまま、それでも夕食を取って、お茶を飲んでた時だった。
私はカップを持ったまま、フリーズしていたようだ。
目の前で手を振られるまで、自分が何をしていたのかも忘れてた。
「リン? 大丈夫?」
「……え?」
顔を上げるとディアンが不思議そうに私を見てる。
「動かないからさ。どうしたの?」
「……どうもしない」
「なんか、食事の時から変だよ? 動きがぎこちない。具合悪い?」」
私はふうっと息を吐いた。
「そうだね。……なんか、変みたい。もう寝るね。おやすみ」
「あ、うん。おやすみ」
ディアンが不思議そうに見つめる中、カップを置いて立ち上がり、ボンヤリしたまま食堂を出ようとした時。
「ライアン。リン、変だよね?」
「え? あ、そうだな」
「……ライアンも変じゃない? いつもなら、凄く心配するくせに」
「心配はしてるよ」
そんな会話が聞こえてきた。
ライアンの声を聞いた途端に、自分の唇と首が熱を持つのが分かった。
彼の事しか、考えられなくなってる。
どうしよう……。




