発熱
私はリイドさんの所に泊まるというディアンを置いて、一人で乗り合い馬車に乗った。リイドさんは、いつまでもトルア国に留まっているわけじゃない。
私の知ってる言葉で言うなら、彼は民俗学者という立場に近いと思う。
いろいろな国や地域を旅し、魔法に関わる伝承や資料を集め、魔法を一つの体系にまとめる仕事をしてる。
叔父さんが大好きなディアンだから、彼がまた居なくなる前に、たくさん話しをしておきたいんだろう。
気持ちは分かるし、そんな風に尊敬できる大人がいる彼を少し羨ましく思う。
一人で景色を眺めながら、不思議な気分になる。
新緑が勢いを増して淡い緑の葉が風にざわめく。
空は微かに紅を帯びて雲が光彩を映す。
もうすぐ夕暮れが始まる。
巣に戻るのか、鳥達が影を落として飛んで行った。
本当に綺麗な世界だな。
この世界と親和性が高まったら……精霊とコンタクトが取れるようになる。
リイドさんは、そう言ってたよね。
私は少し手前で馬車を降りて、歩いて帰ることにした。
なんだか、ふわふわした気分だった。
目をあげると、木々の葉が笑ってるように見える。
緑のざわめきも、意味のある言葉のように聞こえてくる。
夕方の日差しが、キラキラ煌めいて、まるで星の中を歩いているようだ。
柔らかい風が髪を撫でていく。
まるで、風が囁いているようで。
私は足を止めて目を閉じた。
ふわっと風が起こって、私を撫でるように吹き上げて行った。
……あ、目眩がする。
体が揺れてる。
「リン」
甘い声に振り返ったら、馬に乗ったライアンが私を見てた。
なんだか、彼の姿が揺れる。
ライアンは私を見て軽く目を細めた。
「お前、大丈夫か?」
ヒョイと馬を降りて私のそばに立ち、腕を掴んだ。
私は、そこに居るのがライアンだと思ったら、気が抜けたようで。
どうにも立っていられなくて、彼の肩に額をつけて目を閉じた。
「ごめん。目眩がして」
「……馬に乗れるか?」
「少し、このまま」
彼は気遣うように、私の背中に腕を回して支えてくれた。
寄りかかって呼吸を整えていく。
少しづつ目眩が収まってきた。
「うん。大丈夫。ありがとう、ライアン」
見上げると、彼の甘い目がじっと私を見つめてる。
私は少し微笑んで、彼の体を離れようとした。
「もう少し、こうしてろ」
ライアンがそう言って、私を抱き寄せた。
体に力が入らなくて、そのまま彼に抱きしめられる。
ライアンの腕の中で彼を見上げると、額に冷んやりした手が当てられた。
「リン。熱があるな」
その時の私は、そんな彼を不思議な気分で見てた。
耳の奥で、また、いろんなモノが囁いてるのが聞こえてくる。
彼は目を細めて眉を寄せた。
ゾクッとするような甘い声で、
「お前の目、今、不思議な色をしてる」
そう言った。
彼の手が私の髪を避けて首に当てられる。
「やっぱり、熱がある」
ライアンは私を抱き上げて馬に乗せると、そのまま自分も馬に乗って私の体に腕を回して支えた。
「落ちんなよ」
そう言って手綱を引くと、この間よりずっと早い速度で馬を走らせた。
アイアン家につくと、彼は私を馬から下ろしたけど、抱き上げたままで地面に降ろさなかった。
「ガイン! ガインいるか!」
ライアンが叫んでる声をボンヤリ聞いてた。
「マロンを戻してくれ。こいつ熱を出してる」
「お嬢さんが? 大丈夫ですか?」
「ララに伝えてくれると助かる」
「わかりました」
私はライアンに抱きかかえられたまま、ボンヤリ、やり取りを聞いていた。
その後のことを、よく覚えてない。
☆
目を開くとランプに照らされた部屋が見えた。
私は自室のベッドで眠ってたみたい。
寝返りを打とうとして、ライアンに気づいた。
ベッドの横に椅子を置いて、彼は私のベッドに伏せて眠ってる。
熱があるって言ってたのを思い出す。
私を気遣って、ついててくれたんだろうか。
量の多い少しクセのある黒髪が彼の顔にかかってる。
閉じた瞼、長い睫毛。
男性とは思えない綺麗な顔してる。
私はそっと手を伸ばして、彼の髪に触れる。
とても柔らかくて、しなやかな髪だ。
彼がゆっくり目を開いた。
深くて黒い瞳が私を見つめる。
「……リン。大丈夫か?」
この人は、いつも私にそう聞く。
ライアンは手を伸ばして私の額に触れた。
「だいぶ、下がったな」
そう言って、ホッとしたように笑う。
「ライアン。ずっと、ついててくれたの?」
「ずっとじゃない。途中までララがついてた。代わったんだよ」
「ごめん。……心配させたんだね」
彼はふっと甘く笑う。
「ほんとだよ。お前、すごく高い熱が出てたんだぞ。今夜に限ってディアンもいないから、回復魔法ってわけにいかないし。大丈夫だから呼びに行くなって、ララが薬を飲ませてくれたんだ。起きたら礼を言っとけよ」
それから首を傾いで聞いた。
「水飲むか?」
私が頷くと彼は立ち上がって、水差しからグラスに水を注いだ。
「起きられるか?」
彼は私の体を抱えて半分起こすと、グラスを持って隣に座った。
そのまま、私の口元にグラスを運ぶ。
「え? 自分で飲めるよ?」
「いいから、このまま飲めよ」
私は仕方なく彼の手の上から自分の手を添えて水を飲んだ。
水は乾いた体に染み渡っていくようだ。
「ありがとう」
「もういいのか?」
「うん」
ライアンは体を戻してグラスを置き、私を寝かせて、布団をかけ直した。
なんだか、すごく甘やかされてるみたい。
「私、大丈夫だから、ライアンも眠って」
「お前が眠ったら眠るよ」
椅子に座ったライアンは、私の手を取って布団に伏せて笑う。
「ちゃんとベッドで眠ってよ」
「リンが眠ったらな」
優しく笑う彼を見ていたら、すごく甘えたくなって。
「……ライアン。甘えていい?」
小さな声で、そう聞いてた。
彼は少し戸惑ったように私を見つめる。
大きくて、少し垂れた彼の目に不思議な色が浮かぶ。
模写を見せた時と同じ色だ。
「いいよ」
私は彼の手を引っ張って頭を乗せた。
しなやかな腕に私の髪がかかる。
「歌、歌って欲しい」
「え? 歌?」
「子守唄」
「ガキかお前は」
そう言いながら、彼は小さな声で、桜を歌ってくれた。
その声は、本当に甘くて染みる。
ふっと歌うのをやめたライアンが、不思議そうに聞く。
「なあ、さくらって何?」
「木。私の故郷には、よく桜並木がつくられてた。春になると、一斉に花が咲くの。薄いピンクで白に近い花がね」
「お前、その花が好きなの?」
「うん。好き」
私は目を閉じた。
満開の桜が見えてくるようだ。
「花が散り始めるとね。まるで雪みたいに降り注いで、すごく綺麗なんだよ。ここって雪は降る?」
「ああ。降るよ」
ライアンは布団に伏せたまま、私の髪をゆっくり撫でて、眠るまで桜を歌ってくれた。私は彼の歌を聴きながら、眠りに落ちていった。
深い眠りの中で、赤い獣に出会った。
燃えるような立髪を持つ、オスのライオンだった。
金色の瞳は彼が普通の獣ではないことを感じさせる。
逞しい体躯、美しい毛並み、私は不思議に親しみを覚えながら、ライオンを見つめていた。




