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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
メッザ・ボーチェの章
39/58

03:愛そのままに

「雪か――」


 と、洋瑛がつぶやいて、皆、顔を持ち上げた。洋瑛は窓の外に遠い目を向けている。床に車座になって賭博を囲む男どもは、彼の様子に笑ってしまう。


「昼間っから降ってたべさ」


 と、藤中が言う。


 菊田が洋瑛をまじまじと眺めながらトランプを引いていく。


「お前、頭がやられすぎて、とうとう痴呆症か」


「近田。引くのか引かないのかどっちだよ」


 雪村に促されて、洋瑛は思い出したようにあわてて3枚目のトランプを引いた。


 洋瑛が荒砂山から持ってきたものは唯一折り紙であったが、藤中はトランプだった。賭博をやろうと言い出したのも彼であった。


 菊田を誘ったのは雪村である。片岡と圭吾を無理やり引き入れたのは菊田である。


 最初は嫌がっていた片岡と圭吾であったが、洋瑛が口ほどにもなく博打に弱いと知って、今ではすっかり手元の数字に目を凝らしている。


 無論、現金は持ち合わせていない。誰が勝ったか負けたかだけを紙切れに記載している。勝った者は負けた者から100円ずつ。支払いは「次に天進橋に戻ってきたとき」であった。


「おーい。お兄ちゃん」


 ワイルドキャットがベッドルームのドアを開けてきて、洋瑛は眉をしかめながら振り返る。


「なんだよ」


「ちょっと来て」


「なんだよ。今、忙しいんだよ」


「いいから来てよ。一生のお願い。可愛いクルミンからの一生のお願い」


「うるせえな。とっとと失せろ」


「は?」


 ワイルドキャットの気配が怪しくなってきたので、菊田が洋瑛を促した。カモがいなくなると言って片岡が渋ったが、圭吾も促してくるので、洋瑛は溜め息をつきながら腰を上げる。片岡の頭を引っぱたいたあと、舌を打ちながらワイルドキャットのあとに付いていく。


 兵舎の外に連れ出される。外は夜闇にすっかり雪景色であった。天進橋主塔の赤色灯も降りしきる雪にまぎれてぼんやりとしている。


 肩をすぼめながら声を白い息にし、どこに行くつもりなのか訊ねる。雪の歌を口ずさんでいたワイルドキャットは、食堂棟だと答えた。


「なんでだよ」


「アリシアがお兄ちゃんとお話したいんだって」


「有島? なんでだよ」


「知らない。アリシアがお話したいんだって。だから、食堂に行ってよ。アリシアが1人でいるから。私は行かないから」


「なんでだよ」


「なんでだ、なんでだ、って、行けばわかるでしょ。私だって知らないよ。なんでだか知りたいんだったら行けばいいじゃん。いちいちうっさいなあ。トランプは私が代わりにやっといてあげるから。そんじゃ」


 ワイルドキャットは兵舎へと引き返す。鼻歌を口ずさみながら消えていった。


 洋瑛は首をかしげる。溜め息を白いものにして食堂棟へ向かう。


(いや――)


 足を止めた。食堂棟の明かりがまだら模様の雪闇の中にぼんやりと見え隠れする。


(まさか……、こくはく、か?)


 どうしよう――、と、洋瑛は視線を下ろしていった。降りしきる雪が、地表を染めた雪の一部となっていく。


 天進橋にやって来て以来、殺意に凝り固まり、今は仲間に歩み寄るためにいっぱいいっぱいである彼は、有島との淡い記憶をついぞ忘れていた。


 公衆電話の前で有島が見せてきた顔は。


「いや、まさか。有島が俺なんか。だいたい、有島が告白なんてする柄じゃねえ」


 1人で喋って1人で笑うと、再び足を運び出す。


(でも、告白しそうっちゃしそうだし。いや、でも、有島が俺なんて。いや、でも、じゃあ、なんで久留美なんか寄越して――)


 洋瑛は頭上を仰いだ。漆黒の闇から次から次に現れてくる多量の雪に向かって、大きな溜め息をつく。


「よくわかんねえよ」


 誰に対してつぶやいたかとしたら、おそらく母である。


 ブラッディレイ作戦によって自身と向き合うようになった彼であったが、まったく整理がつかないでいた。吉沢の件もそうであるし、作戦の真実が不透明であるのもそうであったし、それに、仲間の一員を努めているのは、洋瑛にはなかなか酷だった。


 本当はあらゆるものへの疑問をわめき散らしたい。ただ、その思いをぐっとこらえなければならない。言いたいことを言ってしまえば、またぞろ皆の気持ちを引っ掻き回してしまう。


(俺はわがままを止めたんだ――)


 しかし、今もなお、想定外の出来事を予見すると尻込みする。有島にそういう類の話をされてしまったらどうしようと思う一方、それを期待している自分もいるし、そして、期待通りでなかったときの馬鹿馬鹿しさも怖い。


 だから、母に訊ねる。どうすればいいのか。


 雪は音もなく降りしきるばかりである。


(ありのままでいいか。何があっても)


 ポケットに手を突っ込むと、肩をすぼませながら食堂棟へと向かう。


 洋瑛が扉を押し開くと、食堂では片付けられる食器の鳴りが一日の終わりの調べとなって慎ましやかに響いているのとともに、暖房のぬくもりと、夕食のほのかな残り香が、冷えた洋瑛の体を包み込む。


 洋瑛は手をこすり合わせ、それに息を吐きかけながら、いつもの隅のテーブルへ視線を向けていく。


 荒砂山のころのカーキ色の軍服をまとって、ぽつねんと有島がいる。肩をこわばらせてやや伏し目がちながら、洋瑛と目が合うと、またぞろ睫毛を伏せて、申し訳なさそうにちょこんと頭を下げてくる。


 洋瑛は非常に頑張った。


「どうしたんだよ」


 と、事もなさげな朗らかな声とともに口角を上げる。揉んでいた手を再びポケットに突っ込むと、喉から飛び出てきそうな心臓の鼓動をこらえながら、


「雪がすげえ降っているよ」


 うつむくばかりの有島に笑み笑みと歩み寄っていく。


「ご、ごめんね――」


「べつにいいんだけどさ」


 有島の前を通り過ぎ、いちばん壁際の指定席の椅子を引いて、腰掛ける。有島とテーブルを挟んで斜向かいになり、だいぶ遠いようでいて、2人きりともなると、ずいぶんと近い。


 洋瑛は落ち着かないものだから、両足を投げ出して、いちいちふんぞり返る。左腕を背もたれに引っ掛け、いちいち偉ぶる。


「何か、久留美ちゃん、何か言ってた?」


 有島は洋瑛に視線を向けながらも、彼の表情を見れない。洋瑛の軍服の襟元まで持ち上げるのが精一杯である。それでいて、洋瑛もまた有島を見れない。ふんぞり返って大層ぶった姿勢でいつつも、天井と壁の角のほう、明後日の方角ばかりに視線の先を置いている。


「何も言ってねえよ。有島が話したいことがあるから呼んでいるって聞いただけだ」


 そう言って洋瑛はそっと有島に顔を向けていく。洋瑛の顔が動いたので、有島の視線はあわてて下がる。


「ごめん、急に」


「俺よ――」


 と、洋瑛の声音が脈絡もなくふいに跳ね上がったので、有島はつい顔を持ち上げてしまう。


 有島の視線の先――、洋瑛は有島を眺めるままに口許をほころばせている。目許を柔らかく緩めながら、その瞳で有島を包みこんでいる。とても洋瑛がするような顔じゃない。頼もしくも、優しい笑みである。


 洋瑛は言う。


「俺よ、有島にクリスマスのあれに誘われて良かったよ。有島がいなけりゃ、俺はホワイトシチューなんて作らなかったし、あいつらと一緒にも作らなかったから。うっかり忘れそうだったけど、今、有島に呼ばれて思い出したよ。ありがとな、有島。俺は忘れっぽいんだけど、お前のおかげで思い出した」


 有島は驚きを隠せない。瞼を開いて洋瑛に釘付けとなってしまっている。あまりにも自然でいる洋瑛に有島は声も出ない。瞳を潤ませながら首を横に振るしかない。


 そして、洋瑛は1度舌がなめらかになると、お喋りである。ホワイトシチューを作るまでのあらましなどをおもしろおかしくよく喋った。笹原少尉に頼んで宿直室でレシピを検索したことや、吉沢や杏奈と一緒に買い出しに出かけたこと、フライパンにワインを注いだら引火して驚いたこと、片岡のギターが嫌だったので部屋に帰ってしまったこと。


「片岡くん、ずっと歌っていた」


 と、それまでうなずいてばかりだった有島も、唇がほぐれてしまう。


「俺は本当にね、あいつがギターを弾いているのを見ちまったら、もう、絶対によ、あのギターで片岡を叩きのめしちまうなって思ってよ、こりゃまずいって思ってな、台無しにしちまうって思ってね、帰ったんだ」


「近田くんいなかったから、どうしたのかなって思った。やっぱり、嫌だったのかなって心配になった」


「片岡のせいだ」


 有島はくすくすと笑う。あらゆる意味で破裂しそうでいた胸のうちの彼女の心が、今は軽快におどっている。しんとして静まり返った食堂も、有島にとっては夢見心地の雲の上のようである。


 思い慕う洋瑛とこんなにも会話をしたのは初めてだった。


 そして、洋瑛は笑う。古馴染みの友人のような懐っこい笑みで、もしくは誰かのお兄さんのような優しさで、あるいはどこかの父親のような頼もしさで、ひいては有島が昔からあこがれていた人のように。


 ところが、洋瑛はふいに卑怯になった。


「もう消灯30分前か――」


 と、壁時計に振り返っていた。


 有島の胸がざわつく。ひとたび現実に戻されてしまったかのようにして、狂おしさが沸き上がってくる。洋瑛といるこの時間を手放したくなければ、伝えようとしていた自身の思いをひとつも伝えていない。


(でも――)


 と、有島は思ってしまう。いいか、と。


 有島のこころは満たされていないわけでもなかった。洋瑛と話せたことで夜は眠れそうかもしれなかった……。


 しかし、有島は首を小さく横に振った。


「まだ、あと30分――」


 言ったあとで、唇を結んでつぼませ、潤んだ瞳で洋瑛をいじらしく見つめる。


 厨房から食器の鳴りも聞こえてこず、切れかかった蛍光灯の1本がゆっくりとながら点滅している。消えかかろうとして、また点灯し、しばらくするとまた消えかかろうとし。


 また点灯する。


 有島は洋瑛を見つめて離さない。


「お、おう……」


 洋瑛が戸惑いながら答えると、有島はすぐに視線を下ろす。彼女はみるみるうちに顔を赤くしていく。


 洋瑛も洋瑛でそそくさとうつむいてしまう。偉ぶって背もたれに掛けていた左腕も戻してしまう。手持ち無沙汰に太ももを握り始める。


(やばい……)


 と、洋瑛は思う。


(好きになっちまう……)


「私、近田くんに話したいことがあって」


 洋瑛はちらりと有島をうかがう。有島はぎゅっとしてうつむいている。


「お、おう……」


「その、近田くんはお父さんやお母さんは嫌いなの?」


「えっ――」


 と、洋瑛は顔を持ち上げた。口をぽかんと開けて有島を眺めた。てっきり恋の告白をされるものだとし、どう返答しようかと先走っていたから、有島が急に何を言っているのだろうと不可思議でたまらなかった。


「いや、す、好きとか嫌いとかないだろ」


「私、近田くんのこと昔から知っていたんだ」


 有島は洋瑛をうかがうようにして見つめる。洋瑛は口を開けて何もわかっていない。


「あの、私のお父さんね――、こういう字を書くの」


 有島はメモ用紙に書いて見せると、洋瑛の反応を震えるような心持ちで待つ。


 洋瑛はしばらくメモ用紙を眺め、思わず笑いを含ませてしまう。


「嘘だろ」


 有島は眉根をすぼませたまま、髪先を揺らして首を振る。


「ほんと――」


 彼女は今まで洋瑛に伝えたかったことを、ときに鼻をすすり、ときに瞼のすそを指先でなぞりながら、伝えた。


 5歳のときに両親をともに失い、祖父母に預けられたものの兄弟姉妹もおらずに寂しい思いをしてきたこと。そして、母親が残していったフォトアルバムに面影を探し求め、「ヒロくん」を見つけたこと。兵学校に入るときまでずっと「ヒロくん」に会えるのを楽しみにしていたこと。やがて、洋瑛が自分の父親の名を一字取っているのに気づいたこと。


 有島にとって、洋瑛とたった2人だけでしか共有できない「情」だった。話すことで、彼女の思いは洗われていった。ぽろぽろと涙の玉をこぼすことで、彼女の「情」の器は満たされていった。


 果たして彼がどんな受け止め方をしようと、有島は構わなかった。


 有島は掌で顔を覆いながら嗚咽まじりに言う。


「だから、私、近田くんに折り紙を貰ったのが嬉しくて――」


「そっか」


 黙って聞いていただけの洋瑛は、テーブルのどこか一点に釘付けになったまま、そう言葉をついた。


 洋瑛は有島が泣き止むまでただただじっとしていた。ただただ呼吸をしていた。瞼をうっすらと細めたまま、蛍光灯の光に照らし上げられるテーブルを眺めていた。ひたすら長い時間のように。長い長い夜のように、有島が泣き止むまでじっとしていた。


「ごめん。もう消灯だね」


 有島は嗚咽が落ち着いてくると、鼻水をすすりながらわけもなくうなずく。「そうだな」と言って洋瑛は腰を上げる。


「帰ろうぜ、有島」


「ごめん。ごめんなさい」


「いいから、行こうぜ。ダルマキャプテンにどやされちまう」


 有島はうなずきながら席を立つ。うつむきながら出入口に行く。と、洋瑛が行く手を塞いでいた。視線をそっと持ち上げてみると、洋瑛は睫毛の先に寂しさを、口許には微笑みを浮かべていた。


「悪かったな、有島。気づいてやれなくて」


 有島は唇をほのかに開けながら洋瑛に見とれる。ゆるゆるとして「情」をたたえる洋瑛の瞳に吸い込まれていく。今、有島の目の前にいるのは、荒砂山の嫌われ者でもなく、かといってずっと思い描いていた「ヒロくん」でもなく、あらゆる理想の果てでもなくて――。


 近田洋瑛という一人の人間だった。


「殺し合いが終わったら、お前の親父とおふくろのところに連れていってくれよ。謝るわ。お前のことを忘れていたって」


 うなずいた。また涙がこみ上げてくるのをこらえながら、有島は一生懸命にうなずいた。


「帰ろうぜ」


「うん――」


 食堂をあとにし、洋瑛のうしろにくっついて行きながら廊下を渡って食堂棟から外に出る。


 雪は止まない。


「私、22期生で良かった。みんなと、近田くんと会えて良かった」


「そうだな」


「久留美ちゃんとも」


「それはどうかな」


「そんなことない。久留美ちゃん、ほんとにいい子だもん。はきはきしていて、可愛くって、近田くんにそっくり」


「俺にそっくりっていうのは、あいつにとっては褒め言葉じゃねえ。一度言ってみろ。ごちゃごちゃ言われるだろうから」


「もうたくさん言われた」


 洋瑛が鼻で笑うので、有島も笑う。まだらに降りしきる雪闇の中にぼんやりと明かりの灯った兵舎へと行く。






「近田は有島の両親を知ってしまいましたね」


 と、田中中尉が言うと、誰もいなくなった食堂の監視モニターを眺めたまま峠大尉は吐息をつく。


「どちらにせよ、知ったところですぐにG地区だ。今の近田にはなんの影響も与えん」


 消灯前の見回りと言ってラットローグ曹長がやって来て、峠大尉は席を立った。


「今日も盗み見ですか、キャプテン」


「人聞きの悪いことを言うな」


 ラットローグと2人、管理本部棟をあとにして、降りしきる雪の中を隊員たちの兵舎へ向かう。


「明日はどうしますか」


「通常通りだ」


「了解です」


 しばらく、雪を鳴らしていくと、峠大尉はふいに訊ねる。


「貴様、近田が母親に似ていると思うか」


「似てますね。あのやばい感じとかが」


「それは貴様だけじゃないのか。田中や笹原は優しい教官だったって言っていたぞ」


「そりゃそうですよ。田中とか笹原は優等生でしたもん。俺は出来損ないでしたから。チャカで何発撃たれたことか」


「それは貴様が悪さばかりだったからだろうが。俺にもしょっちゅう殴られていただろうが」


「殴られるほうがまだマシですよ。撃たれるより」


「よく言うな。連中をさんざん的にしといて」


「キャプテンが好きにしていいって言ったからじゃないですか」


 フン、と、鼻先を突き上げる。


 ぼんやりと明かりの灯る兵舎が見えてくる。


 峠大尉は専門兵学校の副教官を1年間だけ務めたときがある。ラットローグ曹長や田中中尉、笹原少尉の森姫山18期生が二等兵学生だったときである。


 森姫山18期生の主任教官は近田咲良少尉。峠大尉も当時、少尉に昇進したばかりであった。


「峠くん。あなたはいかつい風貌なんだから、優しく振る舞わないと駄目ね」


 と、切れ長の瞼を細めながら微笑んで見せてきた。しかし、兵学生たちの前に立つと近田少尉の顔つきは尖った針先のように一変し、言うことを聞かない学生がいようものなら問答無用で発砲するのであった。


 峠大尉もラットローグがこめかみに銃口を突きつけられていた様子を目の当たりにしている。


「ニシ」


 と、近田少尉はラットローグの顎を鷲掴みにしながら、ぎらついた視線をぶつけるのだった。


「次、反抗的な態度を取ったらあなたの脳味噌ぶち撒けるよ。SG候補生の資格のないSG候補生なんて、ただの化け物なんだから。わかる? 言っている意味」


 峠大尉はあとになって思わず言った。


「自分に優しくしろと言いつつ、近田少尉は学生たちに厳しすぎるのでは」


 すると、近田少尉はふふんと鼻を鳴らし、9mm拳銃を右手にくるくると回すのだった。


「当然じゃない。あなたはそのいかつさで学生たちを黙らせられるけど、私はこの通りなのよ。ちょっとぐらいクレイジーじゃないと、誰も言うことなんて聞きやしないもの」


「はあ……」


 ラットローグのしごきの仕方は近田咲良少尉を単純に真似している。ブルースカーも近田少尉が天進橋駐屯地配属であったころの姿を見ており、その狂気はらんだ容赦の無さを模倣している。


 しかし、それだけの人ではなかったと笹原少尉は彼女を振り返るし、峠大尉も近田少尉が学生たちの相談を親身になって聞いていたのをたびたび目撃している。両親を失い、ただただSGという宿命を受けざるを得ない思春期の少年少女たちに髪を撫でて諭してやっていた。


「大丈夫。私は教官だけど、教官の前にあなたたちのお姉さんだから。辛いことや悲しいことがあったら、近田お姉さんにいつでも話しに来なさい。わかった?」


 赤い爪の作戦を知ったのは、峠大尉が作戦科に配属された去年の春である。作戦隊長が近田少尉の夫であったのを初めて聞いたとき、峠大尉は真っ先に彼女を思い出した。


(そんな素振りはまったく見せなかった。もちろん、あの人も作戦のことは知っていたはずだ)


 近田咲良少尉は森姫山18期生の卒業するとすぐに、まるで使命を果たしたかのようにしてこの世から消えている。


 いったい、どんな思いでSGを育てていたのか。赤い爪の作戦で失ったのは夫ならず、兵学校時代からの親友たち、同じ訓練に汗を流した天進橋の同僚たち。それらかけがえのないものを一瞬にして失ったにも関わらず、彼女はSGを育てた。


 もしかしたら、死ぬために生きているようなSGを。


 1年で天進橋駐屯地に舞い戻るとなって、森姫山の最後の日、近田咲良少尉は峠大尉に微笑みながらもおどけてウインクして見せてきた。


「森姫山18期生が天進橋に行ったときは、よろしく可愛がってあげてね」


(殺し合いが終わったら、親父とおふくろのところに連れていけ、か)


 兵舎にやって来、ベッドルームに姿を見せると男どもがたちまち整列し、挙手敬礼をかかげてくる。


「明日も今日と同じだ。体を十分に休めろ」


「雪ですよ、キャプテン」


 と、洋瑛が敬礼を掲げたままに言ってくる。


「だからなんだ」


「なんでもないです」


 峠大尉は背中を向け、ラットローグとともにベッドルームから去っていく。なんだよっ、という洋瑛の文句が聞こえてきたが、峠大尉は笑って済ませた。して、女どものベッドルームにやって来ると、ワイルドキャットが兄貴と同じことを言ってきた。


「だからなんだ」


「なんでもない」


 背中を向けて立ち去っていくと、いつ休めるのっ、というワイルドキャットのわめきが廊下に聞こえてき、峠大尉はラットローグと目を合わせた。


「近田少尉に似ていると思うか?」


「似てないですね」


「しかし、あいつらの親父が作戦隊長だったというのも信じられんな。一体、誰に似たのか」


 ラットローグが兵舎のブレーカーを落とし、蛍光灯は一斉に光を失くした。


 雪中暗闇の中に吐き出された白い息を追いかけるようにして、峠大尉はざくざくと踏みしめていく。


「明日は休みにするか。息抜きも必要だ」


「マジですか?」


 と、ラットローグが嬉々としたので、峠大尉は釘をさした。全休というわけじゃない。朝はいつもどおりに朝礼をすると。訓練を休むというだけだと。


「チェッ。作戦手当てが出たっていうのにろくすっぽ使えないじゃないですか。俺だってたまには釈迦堂に酒でも飲みに行きたいですよ。」


「朝まで飲むから駄目なんだろうが。それにこの雪でどうするつもりだ」


 ラットローグは真っ白な溜め息をつき、峠大尉は笑ってラットローグの肩を叩いた。


「作戦が終わったら飲みに連れて行ってやる。地獄から帰ってきたあとの酒はさぞかしうまいはずだ」



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