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夢の奥で  作者: 関根ゆい
17/21

夢の奥へ 3

 僕はまた大人の姿になって、数学の教師になって、教室にいた。

 でも、今度の夢でちがうのは、朝の教室にいるんじゃなくて放課後の教室にいるみたいなことだ。


 静かな校舎。

 

 僕は生徒用の机椅子に腰かけた。

 きしんで、ささくれだった机。

 いつもの中学校でのくせの貧乏ゆすりしたくなってくる。

 顔を上げると、机はグループをつくル形のようになっていて、目の前には少年が座っていた。


 (お兄ちゃん…?!)

 が、今のお兄ちゃんじゃない。僕が写真の中でずっと憧れていたお兄ちゃん。12歳の少年の輪郭は今の僕よりも丸くて、柔らかな頬をしていて、体は今のお兄ちゃんや僕よりはるかに小さなことが座っていても分かる。


 僕の胸は高鳴った。憧れと向き合った気分だったから。一瞬、まるで心の中の憧れがそのまま現実に現れたかとさえ思った。まるで、戦隊や仮面ライダーに憧れる小さな男の子が、ショーで本物を見てドキドキしているような、そんな気持ち。


 でも、ちがう…憧れって…。


 「先生。」

 お兄ちゃんは僕の方を見て話しかける。

 声が高い頃のまま。

 懐かしい。


 「憧れってなんですか?目標ってなんですか?」


 僕の心の中を見透かされたようで、ずきりとする。

 でも、彼は僕の答えを待たずに続ける。


 「俺は憧れがすごく残酷なように思います。」


 え?

 僕は思わず声をあげる。


 「俺は憧れに振り回されて、苦しめられて…あんなにきれいな憧れになんて、一生なれない気がします。」


 「君は何に憧れているの?」

 お兄ちゃんは…否、彼は何に憧れているのだろう?

 僕の憧れは何に憧れているんだろう?


 「なにって?そんなの、憧れに、憧れているんです。」


 …。


 確かにそうだ。

 憧れがひどく不確定なものに今の僕にはみえた。

 心に描いている憧れなんて、本当は人間の目には見えなくて、だから擬人化したり誰かの姿に押し付けたりしているように僕はそのとき思った。


 「先生、俺はもっと自由になりたいし、部活も続けたかった。話しかけてみたい人だっているのに、ずっと叶ってない。憧れなんて、遠くて遠くて、もう届かない気がします。」


 お兄ちゃんの方を見返すと、12歳の頃の姿から少し大きくなっていた。今の僕位だろうか。

 今度17歳のいつものお兄ちゃんとそんなに変わらない声だ。

 思い切りふくれっ面をして、すねた顔をしている。こんなお兄ちゃんを見るのはすごく久しぶりな気がした。


 今日、夢の中で見たお兄ちゃんは、努力家で負けず嫌いで、やっぱり素敵だった。

 でも、同時に、僕が見たことのない、カッコ悪い姿も見た…今目の前にいるお兄ちゃんもそうだし。


 僕は憧れのこと、ほんの一面しか知らなかったんだと思う。否、人って、多面体みたいに何面も何面も性質を持っていて、僕はほんのその一面だけをみてお兄ちゃんに憧れてたんだ。


 僕は黒板のところへ行って、チョークをとって、立体を書き始める。本当は多面体折り紙みたいなの書きたかったんだけど、そこまで画力はない。

 立方体を描く。

 定規なし、フリーハンドのわりに我ながらなかなかの出来だな。


 「立方体?」

 15歳のお兄ちゃんは怪訝そうに顔をしかめる。

 お兄ちゃんは中学生の頃、今よりさらに数字嫌いだったしな。


 「違う。これは憧れだ。」

 「憧れ?」

 「憧れは、こんな風に、たくさんの面をもっているんだ。本当は六面よりもっとたくさん。」

 「はぁ?」


 あーあー、小学2年の時、もはや魔法なんて信じなくなったお兄ちゃんの前で、僕が魔法使いのお話をした時に言われた、はぁ?と、同じ響きだよ。


 本当は僕より目上のお兄ちゃん相手にこんな話方するのは緊張する。

 でも…


 「でも、立方体って一番多くても一度に三面しかみえないだろ?それと同じで、僕たちは憧れの全てを知っているわけじゃないんだ。」


お兄ちゃんは黙ってきいている。経験的にこれは、 続きを話せ、という意味で解釈してよいだろう。


 「だから、君の知っている憧れは君の知らない面ももってる…だから…。」


 僕は言葉に詰まる。だから、どうすればいいんだろう…


 「だから、もがく必要がある。憧れを捕まえて、手のひらのなかで、じっくり観察するために、ね?」

 黙っていたお兄ちゃんが小さな低い声でつぶやいた。


 はっ、と僕はお兄ちゃんの方を見る。

 お兄ちゃんは、今の姿になっていた。

 お兄ちゃんは続ける。

 

 「憧れを追い続けるのもいい。でも、自分を信じることを忘れてはいけない…。」

 

 夕暮れの教室は、窓際の机がオレンジ色できれい。

 静かな校舎に、どこからか、野球部のバットの音と、吹奏楽部の練習の音が響いていた。

 

 僕とお兄ちゃんは、向かい合ったきり、静かに夢の中にいた。

夢の奥へ 4、 に続きます。



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