日本にて 3
今回は少し短くなります。
この際、もう一つの私の職場にも挨拶を済ませてしまおうとアーサーに決められて、私は商店街の中をアーサーと一緒に歩いていた。
私が喫茶店のアルバイトと掛け持ちで勤めていた書店は、喫茶店から10分ほど歩いた商店街の中にある。商店街は車の通行が制限されているため、リチャードさんは車で待つ事になった。
庶民的な商店街のアーケードの中を場違いな貴族のアーサーが歩くと、彼の見目麗しい容姿に行き交う人々の視線が引きつけられていた。
アーサーに向けられた後に私に刺さる女性の眼差しが痛いのなんのって……。
こんな子供の様な、取り立てて見栄えのしない小娘が、いい男の横に並んで歩いていられるのか、と言いだけな目が私に向けられているような気がした。
私の歩調に合わせて歩いてくれているが、喫茶店の事務所で握られた手は容易には解けない力でアーサーの左手に包まれている。
一度、手を彼の掌の中から抜こうとしたのけれども、更に力を籠められて手を握られたので、諦めてそのままにしていた。
そんなに修二さんにアーサーの目の前で告白された事を怒っているのだろうか? 私はちゃんと断ったのに。
「ねぇ、アーサー、怒っているの?」
喫茶店の事務所を出てから様子がおかしいアーサーに、私は探りを入れてみた。
誤解とか、勘違いとか、見当違いで、私に怒っているのなら、早めに解いておかなくてはいけない。
『違う。怒ってなどいない。俺自身の器量の狭さに苛立っているだけだ。俺の知らないイギリスに来る前のユキをシュウジという男は知っていて、しかも一緒の職場でユキの近くにいたと思うだけで、それ以上ユキに近寄るなと何度も口から言葉が飛び出しそうになった。ユキを困らせたくなかったら、どうにか我慢したが……』
アーサーは周りの通行人に内容を聞かれたくないのか、日本語の問い掛けに英語で答えはじめた。
怒ってないと言うけれども、尚も私を見ようとはしてくれなかった。
何でだろう?
私の疑問をよそに、アーサーの言葉は続いた。
『ユキは現在も未来も俺に明け渡してくれているというのに、過去を俺の物にできないというだけで、ユキを支え守ってくれた人までもユキに近づけたくないと思う自分がいる。それに呆れているんだ。きっと俺の目は嫉妬で緑に染まっているに違いない。そんな醜い顔はユキには見られたくない』
あの時、アーサーは嫉妬してくれたんだ。
私から見ればアーサーは何でもできる完璧な人で、財産も地位も名誉も才能も何でも持っている人で、嫉妬するような人には見えなかった。
そんなアーサーも嫉妬する事があるんだ。新鮮な驚きと共に、その原因が私であった事に少し嬉しくなった。
素早く正面に回って、アーサーを通せんぼするように私は立ち塞がった。やはり顔を見られたくないのか、横を向いて顔を私から隠した。
身長差を埋める為に、私は精一杯背伸びをしてアーサーの頬に触れた。ようやくアーサーは私を見てくれた。
『大丈夫。アーサーの目は緑色になってない。もし、嫉妬に狂って目の色が変わったとしても、私のアーサーへの気持ちは変わらないから安心して』
私は英語で話して、アーサーに微笑みかける。
こんな歯の浮くような台詞、日本語で人の目が多くある商店街の中で私は言えない。だから英語で話した。
そのまま英語で話してくれると思い込んでいたら、アーサーはわざわざ日本語に切り替えた。
「俺もユキを愛すると言う気持ちは、永遠に変わらない」
背にアーサーの腕が回って腕の中に閉じ込められた。目に、頬に、額に、唇にキスが降ってくる。
イギリスだったら、このぐらいの愛情表現って日常的な物だけど、ここは日本。日本なのよ!
急にアーサーの胸を両手で押して、ジタバタと身を離そうと暴れ出した私に、アーサーは何かあったのかと問いかけるような表情を見せた。
「ちょっと、アーサー。周りの人に見られるでしょ!」
「それがどうした?」
「ここはイギリスじゃないんだから、少しは考えて!」
制服らしきブレザーを着た中高生らしい少年達が、通り過ぎざまに私達を囃し立てた。
私の斜め後ろでは複数の女子中学生の黄色い歓声が上がっていた。いたたまれなくなって横を向くと、買い物かごを持った主婦らしい人達が横目で私達を見ながら、何やらひそひそと喋っていた。
うわ、やっぱり見られていたんだ……。
恥ずかしさのあまり、ゆでだこのように真っ赤になった私は、アーサーの手を引いて競歩と見違えるほどの早足で、まっしぐらにアルバイトをしていた書店を目指した。
* * * * * * * * * *
バックヤードに通じる書店の裏口から入って行くと、丁度、店長がバックヤードで伝票整理をしていて、すぐに会う事ができた。
今まで記憶喪失で日本へ戻れなかった事を詫びると、店長は笑って許してくれた。
「君がアルバイトしていた喫茶店のマスターから聞いて、だいたいの事情は知っているよ。わざわざ挨拶に来てくれたのかい?」
店長と話していると、商店街の通りを何かの選挙の候補者が歩いているのか、ここまで「水橋、水橋茂に皆様の清き一票をお願いします」という決まり文句が聞こえてきていた。
「選挙があるんですか?」
店長に聞くと、選挙公報をラックの中から取り出して私に見せてくれた。それには第46回衆議院議員選挙公報と書いてあった。
「ああ、総選挙がある。今週の日曜日が投票日なんだ。もし、日本を離れるまでに時間があるのなら投票しておくといい」
「でも、私は今回の選挙の争点とか候補者の事をよく知らないんです」
投票権をもらえる20歳になってからの初めての選挙だ。投票したいけれど、日本に居てなかったせいで、誰を、どの政党を選んでいいか分からない。
選挙公報を読んでみると、私がイギリスに行く前にはなかった政党の名前が幾つも載っていた。
戸惑っていると、書店の店長が助言をくれた。
「それでも、一番ましな奴を選べばいいさ。今回の選挙の引き金になった被害者の一人としては、民政党以外の候補者に票を投じるのも手だな」
「被害者? 私が、ですか?」
不思議に思って書店の店長に聞くと、彼は暫く考えて納得したように掌を拳でぽんと叩いた。
「ずっとイギリスにいたんだから、知らなくて当然か。君が北島由紀だと判明しても、政府はフェンリル・ファンドとの交渉の妨げにならないように身元を隠しておいたそうじゃないか。しかも、普通なら発行されるはずのないパスポートを発行して、虚偽の戸籍まで作らせたと言うのだから、君は立派な被害者だよ。身元が分かればもっと早く日本へ戻る事も出来たんだ」
デスクの中からスクラップブックを取り出して私の前に広げた。貼り付けられた記事を順に読んでいくと、私のパスポート不正発給を発端に野党の追及に耐えられなくなって解散したと書かれていた。
ごくごく小さな扱いだったけれども、民間人から在英日本大使に任命された丹後氏が逮捕され更迭されたという記事や、菅原政権のスキャンダルを告発した竹内元東日本電力副社長が東日本電力社内の守秘義務に反したとして退職金が不支給となったという記事も、スクラップブックの中にあった。
「日本にいると知られれば、マスコミが君に取材攻勢をかけて来るかもしれない。特ダネを取るためなら、奴らは犯罪まがいの行為も厭わないから注意した方がいい」
イギリスにいたから日本が総選挙をする事も、その原因の一つに私が関わっている事も知らなかった。
不安げにアーサーを見ると、彼は私を安心させるように微笑んだ。
「そんな事はさせません。俺の許可なくユキに取材しようとするマスコミは、徹底して叩き潰してやります」
「それは頼もしいね。さすが、世に名を轟かせるファンドの代表だけはある。このスキャンダルが発覚してから数日は、私の所にもマスコミが殺到してね。数十社のテレビ局や週刊誌や新聞社が由紀さんの情報を求めて、日の出前から深夜までやってきた。商売にならなかったよ」
店長はその時の事を思い出したのか、力なく首を振った。本当にうんざりした様子に、どれだけ修羅場だったのかと想像が追いつかなかった。
私がここにアルバイトしていたばかりに、店長に迷惑を掛けてしまったと思うと、自然と謝罪の言葉が口から出ていた。
「知らないとは言え、申し訳ありませんでした」
「君が謝る事じゃない。君は何も悪くない。堂々としていればいい」
優しい眼差しを私に向けていた店長は、座っている事務用の回転椅子を少し回して、私の隣にいたアーサーに視線を移した。店長は一転して相手の本性を探る目つきになった。
「菅原政権と東日本電力と貴方のファンドが結んだ契約は野党と国民から随分と批判を浴びている。それにも関わらず貴方の訪日がマスコミに取り上げられていないという事は、既にかなりの圧力をマスコミに掛けている……という事かな?」
「ご想像にお任せします」
アーサーは腹の底を読ませない笑みを浮かべて、店長の問い掛けには答えなかった。
初めから答えを得られない事を店長は予想していたのか、大した落胆も見せずに曇りのない真剣な目でアーサーを見据えた。
「貴方がそうした動機が、由紀さんを必要のない騒動から守るためという事を心から祈りますよ。単なる雇用主である私が言うのも変だが……、彼女を幸せにしてやってほしい」
「言われるまでもなく、必ずユキを幸せにして見せます」
アーサーは私の腰に手を回して私を引き寄せ、店長に対して高らかにそう宣言した。
その後、店長の許可をもらってロッカーに置いていた僅かな私物をレジ袋に詰めた。本の補充や入れ替えの為にバックヤードに代わる代わる入って来る同僚達に退職の挨拶を済ますと、私とアーサーは書店を後にした。
2012.02.25 初出
「緑の目」英語で使われる言い回しでもあります。緑の目=嫉妬。
シェークスピアの「ヴェニスの商人」でも、この言い回しが使われているそうです。
英語は詳しくはないのでアーサーが使っている場面が用法に沿っているのかは自信がありません。




