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フェンリルの懐で眠れ  作者: Laxmi
番外編
58/59

日本にて 4

番外編の日本編、最終話です。

前半はユキ視点、後半はアーサー視点になります。

 リチャードさんが待つ車に戻る前に、アーサーにお願いして、商店街の入口にある銀行のATMへと寄ってもらった。

 店舗の中ではなく、道路の横にポツンと設置されているATM小屋を見て、アーサーは開口一番に言った。


「こんな所に警備員もつけないで危なくないのか? ATMの中には現金が詰まっているに、盗られてしまうぞ? なんて無用心なんだ。イギリスならすぐに盗まれてしまう」

「日本でATMのお金を盗ろうと思う人は少ないんじゃないかな。警報装置だってあるし、ATM本体だって重くて人の力では運べなさそうだし、工具使って中を開けようにも開ける前に警備員が来るだろうし、無理矢理、本体をこじ開けようとすると中に入っているお金に染料を吹き付けて、容易に使えないようにする仕組みもあるらしいから……」


 私の説明にアーサーは納得していない様子だ。ぐるっとATM小屋の周囲を一回りすると、私を振り返って言った。


「この建物は特に頑丈な構造物でもなさそうだ。ショベルカーや馬力のあるクレーン車を持って来れば、ATMの機械ごと運搬できるのではないか?」

「それは、そうだけれども……」


 大型トラックが一台分が何とか通れるような道幅の道路に、大型クレーン車やショベルカーが入ってきたら相当目立つと思う。

 重機で壊して持って行こうとしても、時間がかかるだろう。派手な音を立てたら、それだけで周辺住民から警察に通報が行きそうだ。幹線道路の道路工事ならともかく、深夜に建築工事をする例は稀だ。

 そこまで頭の中でシュミレートして、本来の目的にはたと立ち戻った。私はここにアーサーと議論するために来たのではない。私の口座の残高を確認するために来たのだ。


「とにかく、中には入ってこないでね。後ろにくっついていたら、ATMの操作を見て暗証番号を盗み取ろうとしていると、勘違いされかねないから」


 そうアーサーに言い含めて、ATM小屋のドアを開けて中に入った。トートバッグから私が賃貸していたアパートに置いてあった銀行の預金通帳を取り出した。

 通帳記帳の項目をタッチパネルから選択して、通帳の受け入れ口に通帳を広げて差し込んだ。通帳に文字と数字を刻むATM内臓のプンリタの音が延々と奏でられた。

 いつまで続くのかと心配になり始めた頃に通帳がATMから排出された。


通帳をざっと眺めると、アパートの家賃は私がイギリスで失踪した8月分の家賃を最後に徴収が止まっていた。ずっと徴収されていたら、預金残高は今頃ゼロになっていただろう。改めて喫茶店のマスターと女将さんに感謝した。

 いつか大学に進学する為にと、コツコツ貯めていた――なかなか貯まらなかったけれど――貯金は、58,675円にまで減っていた。


 これが私の全財産か……。これだけしかないと考えて不安に陥るのか、まだこれだけあると楽観するのか、人によって分かれるけれども、私はこの時、両方の気持ちを味わっていた。

 今日、止める手続きを取ったガス、上下水道、電気代は引き落とせそうな事にほっとしていた。でも、いつの間にかこんなに残高が減っていた事実に落ち込んでもいたのだ。


 節約に節約を重ねて、頑張って貯金していたのに……。

 がっくりと肩を落として密かに嘆いていると、背後にあるドアがコンコンとノックされた。後ろを振り返ると、ATM小屋のドアの向こう側には、ここを利用しようとする人が二人並んでいた。

 操作を終えても中から出てこようとしない私に、アーサーは利用客が並んでいる事を知らせてくれたようだ。

 急いで通帳をトートバッグの中に押し込んだ。ドアを開いて次の利用者に場所を譲った。




 リチャードさんが待つ車に戻ると、彼は車から見えるスーパーのバイク置き場をじっと見ていた。


「何か珍しい物でも見つけたんですか?」


私は車に乗り込んでリチャードさんに声を掛けた。彼は慌てたように車のハンドルを握って静かに車を運転し始めた。


「スーパーに買い物に来たご婦人が、うっかりしていたのかキーを差したまま駐輪場にバイクを置いて行かれたのです。誰かが盗むんじゃないかとずっと見ていたのですが、1時間以上経っても誰もバイクを持って行こうとしないので驚いているんです」

「日本では普通ですよ?」


通勤通学者の為に設置されている駅前の無料駐輪場でも、バイクや自転車が所狭しと置かれている。私も利用した事があるし、うっかり鍵を掛け忘れた事もあったけれど、盗まれた経験はなかった。


「イギリスでは考えられない事です」


 リチャードさんが首を横に振り嘆息して、そう評価した。

 今ならアーサーに日本の治安の良さを信じてもらえるかもしれないと思い、隣に座るアーサーの方に身を乗り出して説得を開始した。


「日本の治安の良さは、リチャードさんも驚く位なんだから、日が暮れた後でも一人で外出しても良いでしょう?」


 今日は借りていたアパートの掃除と職場の同僚への挨拶に追われて、ちょっとした買い物をする時間もなかなか取れなかった。明日は役所で様々な手続きを済ませないといけない。

 夕方から夜の時間を活用する事ができれば、カリンさん達への日本土産も買う事ができると思ったのだけれど、アーサーに取りつく島はなかった。


「駄目だ。いくら日本は治安がいいとしても、万が一の事があってからでは遅すぎる。ホテルで大人しく俺が戻るのを待っていてくれ」


 期待外れの答えが返ってきて落胆している私の頬をアーサーが左手で慰めるように撫でた。

 心配してくれているのは分かっている。イギリスではホテルから一人で抜け出して、危険な目にも会ったから、アーサーの心配も仕方ない事だとは納得している。

 日本に居る間だけ、昼間に私の一人での外出を許してくれているだけでも、アーサーにとっては大幅な譲歩なのだろう。

 それでも、私は思ってしまう。

 アーサーって、過保護過ぎない?



* * * * * * * * * *



 俺とユキが日本を訪れてから5日が経った。

 4日間でフェンリル・ファンドと東日本送電株式会社の視察と会議等の仕事の日程を終え、ロンドン本社から随伴していた幹部達は先にイギリスへと帰って行った。

 フェンリル・ファンド日本支社長のマサキが仕掛けた世論工作は予想以上の効果を見せていて、今回の総選挙では民政党は惨敗するという予想が出ていた。

 唯一の予想外だったのは、竹内元東日本電力副社長がパスポート不正発給事件をはじめとした政府の横暴に憤慨して、国会で政府の不正と不誠実さを暴露してしまった事だ。

 彼のせいでマサキが想定していた時期よりも解散・総選挙が早まり、思ったほど民政党の内部分裂を誘えなかったと、マサキは悔しがっていた。


 ユキの日本で済ませなければならない諸々の手続きを終らせる事ができたので、東北新幹線に乗って福島県にあるユキの家族が眠る天文院という名の寺へと俺達は来ていた。

 小高い丘の上にある寺には、古く墓石の角が掛け始めている墓から真新しい墓まで、裏手にある墓地に並んでいた。

 寺の境内から海の方を見ると、まだ更地のまま残されている空き地が数多く見られた。


「あのあたりに私の家があったの」


 ユキは寂しそうな目をして地上の一点を指を差して示したが、あまりにも遠くて俺にはどの地点なのかは分からなかった。

 切なそうに地上を見つめるユキは儚げで、山から吹き降ろしてくる寒風に溶けて消えてなくなりそうに俺には思えて、背後からユキを抱きしめた。


「この寺の長に挨拶に行くのだろ? この場所は風が強くて寒い。もう行こう」


 耳元で囁くと、ユキは頷いて俺がエスコートするままに歩き始めた。

 石畳を通り、松の並木を抜け、大きな古い木造の建物の前に出る。質素な作務衣を着たスキンヘッドの壮年の男性がユキを見て頭を下げた。ユキも同じような動作をして挨拶をした。


「西田住職、ご無沙汰しています」

「北島さん家の由紀ちゃんか。働く為に都会へ行ったのは聞いていたけど、元気にしてたのか?」

「ええ、まあ……」


 ユキは住職に問われ、視線を地面に落として言葉を濁した。

 さすがに正直に、イギリスに旅行に行ったら隣にいる人に拉致監禁されて記憶を失い、結婚して子供もできました、とは言えないだろう。

 俺は右手を住職に差し出し、挨拶を兼ねて自己紹介をした。こういう時は先手必勝に限る。


「初めまして、住職。アーサー・リーフと申します。ユキの夫に先月なりまして、夫婦でご挨拶に伺いに参りました」


 完璧な日本語を話す外国人に驚いたのか、俺を見上げている住職の目が丸くなった。見上げる姿勢は疲れるのか、すぐにユキの方へと住職の顔が向けられた。


「はぁー、日本語の上手な外人さんだなぁ。由紀ちゃん、国際結婚したんだな」

「ええ、そうなんです」

「それにしても、アーサーさん、貴方はラッキーだったよ。由紀ちゃんのお父さんが生きていたら、そう簡単には結婚を許してもらえなかっただろうからねぇ」


 がははは、と住職は豪快に笑いながら、俺の腕を何度も叩いた。痛くない程度の力加減だったので、多分、祝福してくれているんだろう……。


「どうしてですか?」


 ユキが不思議そうに住職に質問すると、彼はあっさりとユキが知らなかった事実を教えくれた。


「浩一はね、基地のお祭りに来た由紀ちゃんを見初めて交際を申し込もうとした若い陸上自衛隊員達に対して、交際を認める権利を賭けて剣道、柔道、空手の三種格闘技の試合を課したんだ。誰も浩一に勝てなくて、由紀ちゃんとの交際を諦めたって話だ。浩一が生きていれば、アーサーさんも同じ試練を受ける事になったんじゃないかな」

「なっ、なんて事していたの! 父さんは!」


 住職はあっけらかんと笑って、ユキの父親の所業を暴露した。それを聞いてユキは呆れ果てていた。娘を持つ父親の心境としては、大いに共感できる部分があった。

 今、ユキのお腹に宿っている子は予知で未来が見えたので男子だと分っているが、俺にも娘が生まれたら、伴侶となる男性が娘を幸せにできる人物かどうか試してみたくなるだろう。それは親の性かもしれない。


「俺はユキの父親に感謝しなくてはならないですね。彼のおかげでユキが無垢なまま俺の下に来てくれたのですから」


 再び吹き始めた北風から庇うようにユキを引き寄せれば、ユキは大人しく身を寄せてくれた。

 そんな俺達の様子を住職は微笑ましげに温かく見ていた。


「イギリスに住む事になったので、子育てが終わるまで、長い期間こちらにお墓参りに来れないと思います。いつか必ず子供も連れて来ますので、それまで北島家の墓を置いておいてもらえないでしょうか?」

「ああ、心配しなくていい。浩一とは家族ぐるみの付き合いだったから、由紀ちゃんが来れない間は、せいぜい浩一に私の愚痴を聞いてもらう事にするよ」

「ありがとうございます」


 ユキが住職に向って深く頭を下げて礼をした。




 住職から桶と柄杓を貸してもらい、俺は桶に水を汲んだ。

 ユキが花か桶を持つと言い出したが、ユキは妊婦だ。重い物を持たすわけにはいかない。花を持ってもらっても、足元がよく見えなくて転倒されては困る。

 俺はユキにどれも渡さずに、北島家の墓へと案内するように促した。


「これが私の家のお墓です」


 案内されて俺は墓の前に立った。イギリスの墓とは色も趣も異なる形に文化の違いを感じた。

 ユキは花束を墓の左右にある花立に水を注いで差し込んだ。線香に火をつけてから線香を上下に振って火を消す。煙っぽい独特の香りが辺りに漂った。

 線香を墓前に供えると、ユキは手を合わせて墓に向って長い間祈っているように見えた。日本式の墓参りの方法が分からないので、ユキを見よう見まねで手を合わせ、墓前で頭を垂れた。

 ユキが祈りの間閉じていた目を開けて、俺の方に向き直った。


「日本に連れてきてくれて、ありがとう。これで、私の中で区切りをつける事ができたと思う」

「また機会があれば日本に来よう。日本はユキの故郷だ。日本に行きたくなったら遠慮なく俺に言ってくれれば良い」


 ユキはゆっくりと頭を振った。少しの間だけ俯いていたが、ユキは寂しさを感じているだろうに顔を上げ、俺に向って精一杯笑って見せた。


「いいの。子供が生まれてきたら、子育てで旅行どころではなくなるだろうし、小さな子を連れて長距離の移動は難しいでしょう?」


 ユキは日本で築いた友人や知人、仕事、故郷、此処に眠る家族、それらに長い別れを告げる為に日本へ一緒に来た事を、俺はこの時理解した。

 多く物を手放して俺と人生を共にしようとするユキに対して、俺はユキを手に入れる為に何一つ諦めた物がない事実に気づいた。

 騙して、誘拐して、閉じ込めて、卑怯の限りを尽くして俺の腕の中にユキを収めた。後悔はしていない。どうしてもユキが欲しかったから。

 もう遅いかもしれないが、これからはユキには誠実でいよう。俺の傍がユキの心から安心できる居場所になれるように、俺にできる事は何でもしようと目の前の墓に眠るユキの家族に俺は誓った。


2013.03.04 初出

2013.03.04 言い回しのおかしい部分を修正


アルファポリス様の恋愛小説大賞にて拙作を応援して下さった皆様に感謝いたします。

順位は170位台であったように思います。最終結果の探し方が分からないので、こういうご報告になってしまいましたが、本当にありがとうございました。


 取りあえず、完結の設定にしていますが、小ネタはあるので、書けたらアップします。アーサーとユキ以外のキャラのその後のお話って番外編で書いて良いものなんでしょうかね?


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