第47話 郷に入れば郷に従え
ナントの館に戻ってみれば、私がアーサーとの結婚を承諾した事は、皆が知る所となっていた。
最初「一番いい客室」として案内された私の部屋は、実は代々ナント伯爵夫人が使う部屋だという事をマックスさんから明かされた。しかも、私の寝室とアーサーの寝室がドア一枚で繋がっていて、そのドアはワードローブで隠されていた。ロンドンから戻ってみるとワードローブは移動されていて、見慣れない扉が出現していたのだった。
道理で、マックスさんがこの部屋を私が使う部屋にするのに拘った訳だ。マックスさんに仕組まれてしまったと思った私は、警戒心がなさすぎたと反省した。
結婚を急ぐアーサーにライラさんを除いて誰も反対しなかった。ライラさんは基本的には結婚に賛成なのだが、式の準備が十分整わないという理由で反対していた。
オーダーメイドでウェディングドレスを作るには、半年ほど時間がかかるらしい。
ナント伯爵夫人となる者が間に合わせのウェディングドレスを着るなんて、とんでもないというのがライラさんの主張だった。私は一生に一度しか着ない物だから、別にわざわざ作らなくても、レンタルでも良いんじゃないかと思ったけど、貴族には貴族なりの仕来りがあるのかもしれないので黙っておいた。
アーサーはライラさん進言を一通り聞いていたが、ライラさんの主張を一蹴する決定的な言葉を放った。
「マリを避妊しないで抱いたから、呑気にオーダーメイドでウェディングドレスを作っていると、お腹が大きくなってくるかもしれないな」
私は昨日の情事をライラさん達に知られた恥ずかしさで赤くなり、ライラさんは思いもよらないアーサーの告白に青くなった。
カリンさんが書斎の机をバンと叩いて、アーサーに詰め寄った。
「この鬼畜! 結婚できるまでは、避妊ぐらいしなさいよ! まさか、ここ数日がマリの危険日だと知ってやったんじゃないでしょうね」
「さあ、どうかな」
カリンさんの詰問をのらりくらりとかわして、アーサーは腹の底が読めない表情を見せた。
「仕方ありません。そういう事でしたら、ご結婚の準備を急ぐしかありませんね。マリ様、一生に一度のイベントですのに、十分な準備ができないまま式を挙げる事になってしまい、申し訳ありません」
涙目で謝罪をしているライラさんに、私は慌てて首を振って答えた。
「そんな。ライラさんが謝る必要なんてありません。あ、そうだ。いっその事、式なしで結婚してしまう事はできないんですか? 日本では婚姻届を出せば、それだけで法律上の夫婦になれるんです」
ライラさんは目を丸くして、しばしの間、私の顔を凝視していた。あり得ない事を聞いて、鳩が豆鉄砲を食らったような様子に私は不安になる。
何か私、変な事言ったのかな? ジミ婚って婚姻届だけで披露宴とか結婚式をしない結婚の事だと思っていたけれど、ジミ婚ってイギリスには無いんだろうか?
アーサー、カリンさん、マックスさんと順番に様子を伺ってみると、みんな驚いているようだった。
やっぱり、私は非常識な事を言ったんだ……。
「マリ様はイギリスでの結婚についてご存じではありませんでしたな。いい機会ですから、説明させて頂きましょう」
いち早く精神的なダメージから立ち直ったマックスさんが、軽く咳払いをしてから口を開いた。
「イギリスでの結婚は、教会で宗教上の結婚式を挙げるか、役所で届出て儀式を行う方法があります。日本の様に届出だけで婚姻が成立するという事はありません。どちらにしろ式はする必要があります」
「そうなんですか。随分、制度が違うんですね」
「左様でございます。結婚するのにもライセンスが必要でして、これを取得するのに時間が掛かります」
ライセンス? 許可証ってこと? 20歳になったら、本人の意思次第で結婚できるんじゃないの? イギリスって手続きに煩い国なんだ。何て面倒くさい。
私が首を傾げて眉を寄せ難しい顔をしていると、アーサーが安心させるように微笑んだ。
「大半の手続きは顧問弁護士を通じてするから、マリは何も心配する必要はない」
「ナント伯爵家の結婚式は、代々地元のエルウィン教会で挙げていますので、アーサー様とマリ様の結婚式もそこで執り行う事になります」
ライラさんはすっかりぬるくなってしまった紅茶を淹れ直しながら、そう言った。
「ライセンスを得る為には、結婚式前に連続3週にわたって日曜日に『結婚予告』を行う必要があります。実際には掲示板に書類を掲示して告知するのです。定められた期間、異議申立てがなければ、ライセンスが発行されます」
マックスさんが当然の流れとして説明してくれたが、私は頭が痛くなりそうだった。誰と誰が結婚するかって、見ず知らずの人にお知らせするという事でしょ? 個人情報の保護とかどうなっているのか気になった。
それに結婚するのに、何でライセンスが必要なのか分からなかった。結婚するのに誰かの許可が必要なんて変だ。
おかしい制度だと思った私の不満が顔に出たのか、カリンさんが私を宥めてくれた。
「結婚予告は18世紀から続く習慣なのよ。『郷に入っては郷に従え』と言うでしょ。煩わしいとは思うけど、結婚前に冷静になって考える時間を設けていると思えば、それほど非合理的でもないんじゃない?」
「それは、そうですけど……」
「さあ、明日から忙しくなります。結婚式の参列者の選定もしなければなりませんし、これからはマリ様もアーサー様の伴侶として様々なパーティに出席して頂かないといけません。ですが、講義も乗馬の練習もこれまで通りこなして頂きます」
まだ納得できてない私に、スパルタなマックスさんの発言が降りかかってきた。そして、ライラさんが更に追い打ちをかけた。
「ウェディングドレスは既製品の手直しになりますから、マリ様には明日、ライズへ行って頂いて、ウェディングドレスを選んでいただきます。その足で小物も靴も揃えますので、一日予定を開けておいて頂けますか?」
着せ替え人形になるのが予感できて、私は思わず頬を引き攣らせた。
ライズの店員さんって、服選びに妥協をしないんだもの。店に出ている服だけでなく、工房で出番を待っている服まで持ち出してきて、サイズが合わないとなればサイズ直ししてまで服を体に合わせようとするし……。
私は服はそこそこの物で良いんだってば。そんなにこだわりとかないから。
声を大にして言いたかったが、彼らの真剣な職業人としての眼差しを見ていると、そう言ってしまえば彼らのプライドを気づ付けてしまう気がして、毎回なすがままにされている。
明日は疲れる一日になりそうだ。
ひっそりと心の中でため息をついた。
ナントの館に戻ってから数日後、私とアーサーはリーフ侯爵に結婚するにあたって改めて挨拶に伺っていた。
応接室に通された私達にリーフ侯爵が出迎えてくれた。クリスマスの時よりも、リーフ侯爵は少しお痩せになった気がした。警察への捜査協力やライアンさんの別荘が半壊した後処理とか、いろいろと心労が重なっているせいかもしれないと思った。
「マリさん、よく来てくれました。クリスマスに愚弟がしでかした暴挙を防げなかった事を、まず詫びなければなりませんな」
「お久しぶりです、リーフ侯爵。私はこうして此処に居るのですから、もういいんです。ライアンさんがあんな行動に出るなんて、誰も予想できなかったのでしょうから、リーフ侯爵が気に病む事はありません」
私とリーフ侯爵が挨拶を交わしていると、アーサーが間に割って入った。
「親父、久しぶりに会う俺には挨拶なしか? あと、マリと握手している手を離してもらおうか。マリが減る」
やれやれとアーサーに半ば呆れて、リーフ侯爵は私の手を離した。アーサーに向き直るとリーフ侯爵は自分の息子をハグした。
「おめでとう、アーサー。こんなに束縛の強い男を嫌わずに、よくマリさんは結婚を決断してくれたものだ。まさに、奇跡だな」
「褒めてないだろ、それ」
「祝福はしているが、確かに褒めてはいないな」
漫才みたいなやり取りをしながらも、二人は暫く抱擁を交わしていた。リーフ伯爵の目には涙が薄らと滲んでいた。
抱擁を解いた後に、リーフ侯爵に席を勧められて私とアーサーはソファーに座った。見計らったかのように、メイドさんによってすぐに紅茶が目の前に置かれた。
メイドさんが気を効かせて応接室を出ていく。それを確認してからリーフ侯爵はクリスマスに起きた事件から今日までの事を語ってくれた。
「ライアンを通じてマフィアとの繋がりを疑われ、任意とはいえ警察の事情聴取を一昨日まで受けていたのでね。少し疲れましたな。ライアンの別荘は春を待って取り壊す事になりました」
疲労の色を隠せずにリーフ侯爵はソファーの背凭れに深く背中を預けていた。私は良い年末年始を迎えれなかったリーフ侯爵に同情した。
事件の舞台となったライアンさんの別荘を取り壊すなら、その地下はどう扱われるのだろうか。気になっていた事を私はリーフ侯爵に聞いた。
「別荘の地下にあった洞窟には、ソフィアさんの遺体が安置されていたはずです。大きな水晶の中にいたから、無傷で地下に残っているかもしれません。ソフィアさんを静かに眠れる墓地に戻してあげる事はできないのでしょうか?」
「地下の状況を調べようにも、地下への通路で落盤が起きているようでして。本格的に地下を掘り返すには重機の力が必要なのですが、雪が降り積もっている状況では現地に重機を投入するのが難しいようですな」
私とて妻を地下に置いておきたくはないですが、とリーフ侯爵は苦々しく答えた。死んだ後もソフィアさんをリーフ侯爵は愛しているだなと私は思った。
「ライアンはマリさんに何か言ってませんでしたか?」
アーサーと同じダークブルーの瞳が私を見つめていた。こちらを探るような物言いに、この際胸の奥底に燻っている疑問をぶつけてみようと思った。
「ライアンさんは、私を白の巫女だと言ってまいした。教えて下さい。白の巫女って何なんですか?」
隣に座るアーサーに緊張が走った。テーブルを挟んで向かい側に座るリーフ侯爵も何かを考え込んでいる。ややあって、リーフ侯爵が口を開いた。
「白の巫女は癒しと再生の力を持つ存在だと、リーフ侯爵家に伝わる伝説には言われています。ここ千年ほどの間、白の巫女は5人ほど出現したとされていますが、古文書の解読はまだ道半ばなので、実際どうだったかは、よく分かっていません。ライアンは断片的な情報を元に、マリさんを白の巫女と勘違いしたのかもしれませんな」
なんだ、伝説上の存在か。私とは程遠い存在だ。ライアンさんの焦りが産みだした誤解なのか。私はほっとした。だから、アーサーがわざとらしく話題を変えたのに、私は気づかなった。
「マリとの結婚式には親父も出席して欲しい。それで婚姻届の証人欄の署名もお願いしたい」
「もちろん、喜んでさせてもらおう。もう一人の証人は誰にするつもりだ? それに、バージンロードを歩いてマリさんをお前に引き渡す父親役は決まっているのか?」
「まだ決まっていない」
結婚式での父親役の話題を持ち出されて、昨日、カリンさんに言われた事を思い出した。ナントの館の使用人の間で、誰が私の父親役になるかで賭けが行われているのだそうだ。
一番人気は執事のマックスさん、二番手は庭師のトムさん、三番目はレグルス牧場長らしい。
アーサーには内緒よ、とカリンさんに口止めされいているから、ここで言いだせないけど、街にはブックメーカーがあるぐらいイギリスでは賭け事が頻繁にされている。
それを自分の身の回りで実感できる機会があるとはね……。
遠い目をしている内に、アーサーとリーフ侯爵の話はどんどん進んでいった。
「アンの夫、フォーカス男爵に父親役と証人の署名を頼んだらどうだ?マリさんは庶民の出でも、フォーカス男爵家の後見があると外に知らしめる事ができて、一石二鳥だ」
「アン叔母さんの所には息子が三人もいるから、できればマリを連れて挨拶とお願いをしに行きたくはないんだが……」
「ああ、確かマリさんと年齢が近い息子が三人いたな。アーサー、逆に考えるんだ。マリは俺のものだと、この機会にアンを含めてまるっと牽制しておけ。そうすれば、マリさんとアーサーが破局を迎えたら、うちの嫁に欲しいなんていうアンの願望を潰せるぞ」
わー。リーフ伯爵って人当たりの良い人だと思っていたけれど、実は腹黒策士かもしれない。今はマックスさんと同じ黒い雰囲気が滲み出している。
大人しく二人の話の行く末を見守っていると、アーサーが私の方を向いて意見を聞いてきた。
「マリは父親役は誰にして欲しいとか希望はないのか?」
「イギリスの結婚式とか、後見とかよく分からないから、アーサーにお任せします」
私はそう答えざるを得なかった。賭けの対象になっているのに、おいそれと誰に父親役をして欲しいなんて私には言えない。
「そうか。任してくれ。万事抜かりのない結婚式にするから、大船に乗った気持ちでいてくれればいい」
頼もしく請け負ったアーサーに私は頷いた。
2012.11.19 初出




