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第46話 親しき仲にも礼儀あり

R15になるかも? 事後の様子が描かれています。


 暖かな温もりの中、夢と現実の狭間で微睡む私は、更なる温もりを求めて私を囲う暖かなものへと頬をすり寄せた。ごく近くでふと穏やかな吐息が聞こえ、続いて艶やかな低い声が耳の奥へと流し込まれる。


「マリは甘えん坊だな」


 その声に誘われて、半分霞かかった意識のまま緩やかに目を開けると、アーサーの顔が斜め上にあった。幸せそうに微笑み、ダークブルーの瞳が私を見下していた。私が頬をすり寄せていたのは、アーサーの厚い胸板だった。

 窓のカーテン越しに見える朝焼けの光が一日の始まりを告げている。主寝室がその光を受けておぼろげに周りが見えていた。


「オハヨウゴザイマス」


 朝一番に出した声は、酷く掠れて自分の声とは思えないほどだった。睡眠は取れているはずなのに、体が鉛のように重く気怠い。普段使わない筋肉を使ったせいなのか、体のあちこちが軋んでいるような感覚があった。

 昨夜の乱れに乱れた自分の痴態を思い出し、頬を朱に染めた。アーサーから与えられる快感に体が熱を持ち、蕩けさせられて涙を流し、甘い声を上げさせられて声が枯れるまで淫らに啼いた。

 翻弄され続けてアーサーを止められなかった私も悪いけど、あんなに一杯するなんて信じられない。 明るいうちから始まって、夕食も食べずに、深夜に私が疲れ果てて意識が落ちてしまうまで、ずっと求められ続けた。


「ああ、喉が枯れて喋りにくいのか。水を持ってくる」


 羞恥のあまり俯いて唸っていると、アーサーは私を抱きしめていた両腕を解放してベッドから起き上がった。

 ギリシャ彫刻のようにバランスよく体についているいる筋肉が眩しい。貴族って良い生活をしていて、ぷよぷよ太っていそうなんだけど、アーサーは全く肥満にはほど遠い体型をしている。きっとそれなりに鍛えているんだろう。


 ベッドから降りたアーサーは、全裸の上からガウンを羽織って主寝室を出て行った。ほどなくして、コップとミネラルウォーターのペットボトルを携えてアーサーは戻ってきた。

 私はベッドから起き上がろうとしたが、腕に力が入らなくて上体を起こしきる事ができなかった。起き上がろうとして腕をぷるぷると震わせている私を見て、アーサーは妖しく笑みを深めた。

 こんな状態にさせたのは、一体誰よ! 声が枯れているので、口を尖らせてアーサーを睨み上げるが、こちらの苦情は伝わらなかった。


「起き上がれないだろう? 無理しなくていい」


 アーサーはサイドテーブルにペットボトルとコップを置いた。シーツを私に巻きつけてからヘッドボードに私の背をを凭れかけさせる。コップに水を注ぎ、口元まで運んできてくれた。

 私がコップを受け取ろうとすると、アーサーが止めた。


「その力の入らない手でコップを持ったら水を零してしまうかもしれない。大人しく俺の世話になっておけ」


 確かにアーサーの言う通りだ。腕を上げるのもおっくうだったのだから、うっかり手を滑らせて水をベッドの上にぶちまけてしまえば、ホテルの従業員に多大な迷惑を掛ける事になってしまう。

 こくこくと頷くと、アーサーがコップを傾けてくる。コップの端に口をつけて、少しずつ口の中に流れ込んでくる水で喉を潤した。

 水に味なんてついているはずないのに、渇き切った体で飲む水は甘いと感じた。

 コップの半分ほど水を飲んだところで、アーサーはコップを私から離した。一息つけた私は、ようやくまともに話せる状態になった。


「私は起き上がれないほど、へばっているに、アーサーはどうして朝から動けるんですか? ずるいです」


 思っていた疑問を素直に口にすると、アーサーはしれっとした顔で答えた。


「それは体力の差じゃないのか?」


 言い切られて私はぐうの音も出ない。体格だって差があるから、アーサーより私の方が体力がないのは分かっている。アーサーも分かっているなら手加減してくれないと!

 コップをサイドテーブルへと戻したアーサーがベッドの上に上がってきた。頬に右手で触れてきて、僅かに顔を上へ向けさせられた。 艶を含んだ熱が宿ったアーサーの瞳に囚われる。手が頬から首へ、首から肩へとゆっくり滑っていく。私の奥に潜む情念を引き出す動きに肌が粟立った。


 まさか朝からするつもりなの? アーサーって英国紳士でしょ? 貴族なんでしょ? 倫理感とか人一倍高いんじゃなかったの?

 逃れたくても体は言う事を聞いてくれない。でも、何故か嫌じゃなかった。流され過ぎているのかなと思っていると、お腹の虫が空腹を訴えて盛大に鳴った。

 アーサーの手がぴたっと止まった。肩を震わせて笑いを堪えている。私は恥ずかしいやら情けないやらで、口を鯉みたいにぱくぱくと閉じたり開いたりしていた。


「えっと、あの……」

「くくっ。昨夜は夕食を食べてなかったな。フロントに言って朝食を用意させよう。待っている間にシャワーを浴びるといい」


 すぐにアーサーはフロントに内線をかけた。妙にご機嫌な様子に一種の危機感を私は覚えてしまった。


「では、浴室へ行こうか」

「え!? 一人で行きます。わっ、何するんですか! 抱き上げないで下さい。お風呂は一人で入りますから!!」


 涙目になって重くて鈍い動きしかできない腕でアーサーの胸を押すけれど、見事に無視された。アーサーは私をシーツに包んだまま、浴室に放り込んでしまった。


「一人で立ち上がれない状態で、どうやってシャワーを浴びるんだ? マリはシャワーだけじゃなく、必ずと言って良いほど浴槽でお湯につかるとライラから聞いている。その状態で湯が張られた浴槽に入ったら、下手すると溺れてしまうぞ。だから一緒に入ろう」


 土左衛門(どざえもん)になるのも嫌だけど、アーサーと一緒にお風呂に入るのも嫌だ。昨夜の事だって、思い出すだけでも――恥ずかしさで人が死ぬことができるなら――死ねそうなのに、更に私に高すぎるハードルを越えろと言うのですか。無理です。無理すぎます。


「いいえ、慎んで遠慮します。お風呂には体の調子が戻ってから入ります」


 シーツを胸元で押さえつつ、座り込んだまま、じりじりと後ずさる。首を千切れそうになるほど横に振った。


「その様子だと、まともに体が動くようになるのは昼頃になりそうだ。それまで我慢できるのか?」

「できます。というか、我慢します。汗もたくさんかいたはずなのに、それほど肌はベタベタしていないから大丈夫だと思う」

「ああ、それは俺がマリの体を拭いたからだ」


 アーサーが自慢げにその原因を話した。意識のない間に浴室に連れ込まれなかっただけマシだと自分を慰めればいいのだろうか。でも、汗にまみれた体を清めてくれた事については、アーサーに感謝しなくてはいけない。

 そのままだったら、汗にまみれた肌が気持ち悪くて、アーサーとの入浴に頷いてしまったかもしれないのだから。


「体を拭いてくれて、ありがとう。これ以上、アーサーに迷惑を掛ける訳にはいかないから、あとは自分でします」

「他人行儀だな。結婚の意志もお互い固めて、昨夜は全てをさらけ出して交わったのに、今更、恥ずかしがるのか?」

「『親しき仲にも礼儀あり』という諺(ことわざ)、知っています?」

「知ってはいるが、この場合は当てはまらないと思っている」


 押し問答を繰り返している内に、私は壁に背中が当たって追い詰められてしまった。アーサーはガウンを脱いで腰にバスタオルを巻いてから、私を包んでいたシーツをはぎ取った。慌てて貧相な胸を両腕で覆って隠す。


「ちょっと、アーサー!」

「本当は一緒に入りたいところだが、マリの嫌がる事はしない。浴室の中で悪戯もしない。誓ってもいい。シャワーを浴びる間、必要な時に君の体を支えるだけだ。シャワー浴びないと気持ち悪いんじゃないか? 日本人は無類のお風呂好きらしいからな」


 私はアーサーに抱きかかえられて浴槽まで運ばれ、その中にそっと下ろされた。シャワーヘッドを手元まで持ってきてくれて、湯の温度を調整した上で私に渡してくれた。シャワーカーテンを張ると浴槽から少し離れてくれた。


「そっちを見ないように向こうを向いているから、終わったら声をかけてくれ。急がずゆっくりシャワーを楽しんでくれていい」


 アーサーは有言実行の人だったようで、座り込んだ状態で私がシャワーを浴びている間、向こうを向いていてくれた。手の届く範囲に置かれた石鹸やシャンプーは、アーサーの心遣いを感じさせた。

 体を洗いながらアーサーにつけられた無数のキスマークの位置を確認していく。服で隠れてくれる位置の物がほとんどだったが、見える場所、首筋に3か所も付けられていた。これはスカーフを首に巻いて隠さないといけない。

 一通り体と髪を洗い終わったので、シャーワーカーテンの向こう側にいるアーサーに声を掛けた。


「もういいのか?」

「はい、今日はシャワーだけでいいです」


 湯に長々とつかる習慣は、欧米人には馴染みがないものだ。付きあわせてしまうのは心苦しい。

 浴槽からアーサーの手を借りて出る。すぐに白いバスローブで体を包み込まれた。そのまま支えられてリビングへと連れて行かれた。

 私達が浴室にいる間、ルームサービスが来ていたのだろう。リビングのローテーブルにはサンドイッチとヨーグルト、紅茶が並べられていた。

 空腹の私には、ちょっとした軽食でもごちそうに見えてしまった。ナイフやフォークを使わないと食べれない食事をアーサーが手配しなかったのは、まだ感覚がぼやけている私の体を思っての事なのだろう。


 ソファーに座ってサンドイッチを手に取った。空腹は何よりの調味料というけれど、歴史あるホテルのものは、より吟味された食材を使っているらしく、本当に美味しく感じられた。ただ、量が多すぎて全部は食べられなかったけど。

 空腹が満たされると、体の気怠さが手伝って、強い睡魔に襲われた。眠そうに目を細めているのを、私の横に座っているアーサーが気づいて優しく髪を撫でた。


「眠いなら寝てしまえ。今日は俺も仕事は無いし、一日中マリの傍にいてやれる。ここで眠りに落ちても、ベッドには運んでやるから」


 ガウン越しに伝わるアーサーの体温に安らぎを感じ、その言葉に甘えて私は眠りの園に足を踏み入れて行った。




 次に私が目を覚ましたのは、お昼頃だった。

 ベッドの傍に椅子を持ってきて、アーサーは静かに本を読んでいた。私が起きたのにすぐ気づいて開いていた本を閉じた。


「随分とぐっすり眠っていたな。このまま夕方まで目を覚まさないんじゃないかと思っていたところだ。体はもう怠くないか?」

「うん、もう大丈夫。普通に動かせるみたい」


 上掛けから右手を出して、アーサーの目の前で三回ほど閉じたり開いたりしてみせた。


「その様子なら夕方にはここを出発できそうだな。ナントの館に戻るので準備してくれ」

「急に戻る事になったの? ロンドン観光楽しみにしていたのに……」


 突然のロンドン滞在打ち切りを私は残念に思に想いながら、アーサーが渡してくれたガウンを身にまとった。


「結婚式の準備でいろいろと忙しくなるからね。戻らないといけない。ロンドンにはハネムーンで来れる様にしよう。さあ、準備して」


 私はアーサーに促されてゲスト用の寝室へと向かった。そこで服をスーツケースに詰め込み始める。

 昨日、結婚を承諾したばかりなのに、もう式の準備を始めようとしているアーサーは、私には焦っているように見えた。

 どうしてそんなに急ぐのだろう? 結婚で縛らなくても、私はアーサーの傍にいるのに……。

 心の隅に一抹の引っ掛かりを感じたけど、私は頭を軽く振って、それを振り払った。


2012.11.12 初出

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