第48話 結婚式
十字架を模した白い建物に寄り添うように高くそびえ立つ尖塔。入口にあるドームの天井には天界を描いたフラスコ画があり、聖堂には聖人を表しているステンドグラスが窓にはめ込められていた。
歴史の重みを感じさせるエルウィン教会は、大都市にある大きな教会には規模は及ばないものの、荘厳な佇まいを見せていた。
エルウィン教会には創建時から現在までナント伯爵家が少なくない額の寄進を続けている。財政的な基盤がしっかりしていたから、必要な改修工事も滞りなく行われてきているから、朽ち果てる事無く現在に残っているのだろう。
その関係で、ナント伯爵家の冠婚葬祭は全てこの教会で行われるという事だった。結婚式でお世話になるので、神父さんに挨拶に訪れた時に、そうアーサーに教えられた。
控室で白いウェデイングドレスをライラさんに手伝ってもらって着付けていると、カリンさんが入ってきた。
「おめでとう、マリ。とうとう結婚式の日を迎えたわね。とても綺麗よ」
「ありがとうございます、カリンさん。ここ一ヶ月の間がとても忙しくて、今日が式の当日だというのが信じられないぐらいです」
マリッジブルーになる暇がないくらい本当に忙しかった。イギリスの細々とした常識や貴族制度の概要、法制度、政治、経済の基礎知識を集中的にマックスさんに詰め込まれた。頭を傾ければボロボロと落ちていきそうになる知識を、毎日、朝食後の口述テストで再確認させられた。
短期間で貴族が身につけておかなければいけない教養を詰め込まなければならなかったから仕方ないのだけれど、こんなに必死になって勉強したのは、そうそうない気がする。
週に一回はアーサーが支援している慈善団体のチャリティーコンサートやパーティに参加する事になり、貴族であるのも楽じゃないなと、思わずイギリスの貴族の人達に同情をしてしまった。
「アーサー様がもっと自制して頂ければ、満足のいくお式を挙げて頂く事ができましたのに……。それだけが心残りです」
ライラさんはブーケを手で整えながら、とても残念そうに呟いた。ため息が盛大に吐き出されそうな勢いだ。
ウェデイングドレスを着るのを手伝ってもらった時に、体のあちこちに散らばるキスマークをライラさんに見られたから、残念さも一入なのだろう。ウェデイングドレスを着ると全部隠れる場所にあったから良いものの、式が近いから痕をつけるのは止めてと、アーサーに何度もお願いしたけれど聞いてはくれなかった。
控え室のドアがノックされた。どうぞと答えると、ランバート・フォーカス男爵とアーサーが一緒に入ってきた。昼の正装である燕尾服を自然に着こなしている様は、さすがといか言いようがない。
私の場合は、完全にウェデイングドレスに着られている感じがする。それでも「恋は盲目」とはよく言ったもので、アーサーには違って見えているようだった。
「綺麗だよ。まるで妖精のようだな。できる事なら、今すぐに祭壇の前に俺の手で連れて行きたい気持ちになる」
私のウェデイングドレス姿を見たアーサーは、開口一番そう言った。フォーカス男爵はアーサーを落ち着かせるように肩を軽く掌で叩いた。
「私もアンと結婚式を挙げる時、君と同じ事を思ったから、気持ちは分からなくもないが、私の役目を果たさせてはくれないか?」
黒髪に所々白髪の混じった頭を呆れたように左右に振って、アーサーにここへ来た本来の目的を思い出させた。
「そろそろ式の時間だ。ランバート叔父さんにエスコートされていればいいから、マリは何も心配する必要はない」
アーサーは私を安心させるためか右手で私の頬に触れた。そのまま手が顎に滑るように移動していき、顔が上に向けられた。
「綺麗だ。本当に。結婚式の男性参列者に見せるのが惜しくなる……」
艶を含んで熱く揺らめく瞳の光を認めて、私は息を飲んだ。アーサーに心の底から求められているという事は、一ヶ月で十分過ぎるほど理解させられた。その過程で、こういう瞳をするアーサーは高い確率でディープキスを仕掛けてくるって分かってしまったから、私は狼狽えた。
二人きりならともかく、フォーカス男爵もカリンさんもライラさんもいるんですよ!? ちょっと待って!
「あ、あの。アーサー?」
どうやってキスが降ってくるのを止めようかと悩んでいるうちに、アーサーの顔が近づいてくる。
「何やっているの!」
泣きそうな気持になった時、カリンさんの鋭い声と共に掌が目の前に突然現れた。あまりにも唐突だったから、驚いて目を閉じてしまった。
再び目を開けると、私の前に仁王立ちになっているカリンさんが目に入った。頭を横に出してカリンさんの背後から様子を見てみると、アーサーの両肩を掴んで私から引き離しているランバートさんがいた。
取り敢えず、助かった?
「アーサー、時と場合を考えてもらえる? 式は間もなく始まるのよね? 羞恥で顔の赤くなった花嫁を参列者の目に晒すつもり? それに化粧直しの時間も必要になるわ。あまり結婚式の開始が遅れると、マリがアーサーとの結婚を実は嫌がっているのではないかと、あらぬ噂が立つわよ。それでもいいの?」
カリンさんは左手を腰に当てて、右手の人差し指でアーサーを指し示して威嚇していた。立て板に水を流すように滑らか、かつ理路整然とアーサーが起こそうとした行動の問題点を挙げるカリンさんに、アーサーは冷静さを取り戻したようだった。
その様子を見て、ランバートさんがアーサーから手を離した。アーサーは降参の意志を示すように両手を肩の上へ上げた。
「悪かった。あと少しだけ我慢する」
「分かればいいのよ。分かれば。新郎は祭壇の前で大人しく待っていなさい」
カリンさんはアーサーを追い払うように手を上下に振った。アーサーは肩を竦めて私の方へ視線を向けた。
「祭壇で待っている。後で会おう」
そう言ってアーサーは控室を出て行った。カリンさんはアーサーが出て行ったのを見届けると、両腕を組んで盛大にため息をついた。
「ああ、もう。何であんなにアーサーは独占欲が強いのかしら。マリを参列者に見せたくないなんて、本末転倒でしょうが!」
「アーサー君は随分と変わりましたね。誰に対しても一線を引いて、相手の領域へ踏み込もうとはしない人物だと思っていたのですが……。きっと、マリさんが彼を変えたのでしょう」
「私は何もしていません。記憶を失って、アーサーに保護されていただけです」
受けた影響なら、私の方が大きいだろう。記憶喪失のせいで、初めて会ったのと同然の人にいつしか心を寄せあい、愛してしまった。迷って悩んで嫉妬もして、それでもアーサーが私に差し伸べている手を離せなかった。
一緒に生きていたい。そう思えるようになったのは、戸惑う私に根気よく向き合い、私がアーサーを受け入れるようになるまで待ってくれたから。
「ああ、私も新婦の付き添い役として先に祭壇へ行ってないといけないわ。マリ、また後でね」
思い出したようにカリンさんも慌ただしく控室を出て行った。
ライラさんによると、新郎新婦のそれぞれの付き添い役は未婚の知人や親友から選ばれるそうだ。
私の場合は家族もいないし記憶もないから、カリンさんやポピーさんにお願いするしかなかった。二人は喜んで引き受けてくれたけれど、記憶が戻っていたら、日本から友人を呼び寄せる事ができたのだろうかと、ふと思ってしまった。
ライラさんが薄い白のベールを被せてくれ、ブーケを渡してくれた。
フォーカス男爵は控室にある古い置時計の時間を確認すると、静かに私に左腕を差し出した。
「さあ、参りましょうか。僅かな時間ですが、父親としてアーサーが待つ場所まで、エスコートさせて頂きます」
「よろしくお願いします」
私は一礼してからフォーカス男爵の腕を取った。確認の為に彼の顔を見上げると、それでいいですよ、と頷いてくれた。
「マリ様のご家族がご存命であれば、この素晴らしいお姿を見せて差し上げたかった」
涙もろいのか、ライラさんはしきりにハンカチで目元をぬぐっていた。その姿を見て、いつか記憶が戻ったら、家族が眠る墓を参ってこの結婚を報告したいと思った。
私は幸せに生きていますから、心配しないで下さいと――。
ライラさんに送り出されて控室を後にした私はフォーカス男爵のエスコートに従って聖堂の扉の前まで来た。思い出したように、フォーカス男爵が話しかけてきた。
「数日前に妻があなたに贈った香水、つけてもらえたのですね」
「ええ、とても素敵な香ですね」
「妻が喜びます。あなたを見ていると、創作意欲を掻き立てられ、調香師としての血が騒ぐようです。リーフ侯爵家主催のクリスマスパーティから戻ってすぐに調香部屋に閉じこもってしまいましたから。機会があれば、是非わが家にも遊びに来て下さい」
「はい、新婚旅行から戻ったら、一度訪問させて頂きます」
そうこうしている内に、聖堂の大扉が開かれた。祭壇の奥に見える十字架。左右に分かれて座る参列者達。祭壇で待っているアーサーとカリンさん達が目に飛び込んでくる。
「さあ、行きましょう」
フォーカス男爵が小声で私に合図をくれた。
パイプオルガンが響かせる音色の中、私はフォーカス男爵に導かれて赤い絨毯がひかれた中央の通路へと足を踏み出した。
ゆっくりとアーサーのもとへと歩いていく。私の右手がアーサーの手に委ねられると、フォーカス男爵は左側の参列者の席に戻って行った。そこには、アンさんもいた。
参列者がほぼ全員起立する。賛美歌の前奏がパイプオルガンの音と共に流れてきた。私はキリスト教ではないだろうけど、代表的な讃美歌はライラさんとカリンさんに教えて貰っていたので、何とか歌う事ができた。
日本とは異なり、生活に宗教が密着している場面は以外にも多い。そう気づいた私は、少しでもアーサーの足を引っ張る事にならないように、キリスト教と英国国教会について独自に調べていた。今回はそのおかげて恥をかくような事は免れそうだ。
パイプオルガンの音が止むと、神父さんが結婚式の開始を静かに宣言した。
「これより、アーサー・リーフとマリ・ナカガワの結婚式を執り行います」
静まり返った聖堂に神父さんの低い声が良く響いた。神父さんはアーサーに誓いの言葉を問いかけてきた。
「アーサー・リーフ。汝はこの女を妻とし、その健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を分かつまで真心を尽くす事を誓いますか?」
「誓います」
アーサーは一分の迷いも見せずに即答した。同じように私にも神父さんは質問してきた。アーサーは神父さんが私に問いかける間中、じっと私の顔を見ていた。
神父さんの言葉が終ってから、自分を落ち着かせるために、息を一つ吸ってから私はしっかりと答えた。
「誓います」
神父さんは私の誓いを聞くと、満足そうに頷いた。
「指輪の交換を」
アーサーに近い祭壇前に並んでいたダニエルさんが、神父さんの合図を受けて、私達の前に進むと、両手で持っていた長方形の箱を開いて神父さんへと渡した。
そこにはプラチナの結婚指輪が鎮座していた。私は聞いていた式の手順に従って、カリンさんに手袋とブーケを渡して、アーサーに向き直った。アーサーは小さい方の指輪を取ると白手袋を取った私の左手の薬指にはめた。私もアーサーに倣って大きい方の指輪をアーサーの左の薬指へとはめた。
神父さんが聖書を引用して説教を始めた。聖書を引用されると私には、話の内容がよく分からなくなってしまう。聖書は読んだ記憶がないから。
キリスト教徒の心理を理解するには、聖書を読み込む必要があるのかもしれないと思ったが、神父さんが持っている聖書の厚みをちらっと見て、あまりの聖書の厚さにげんなりしてしまった。
読み込むにしても確実に千ページは超える気配がする。
そんな事をつらつらと考えていたら、神父さんの説教が終ったようだった。
「誓のキスを」と促されて、アーサーの手によってベールが上げられて、はっと我に返った。
やっぱり参列者が見ている中でしないといけないのか。形式的な物だから、唇を触れ合わせるだけでもいいし、恥ずかしいなら頬へのキスでもいいと事前に説明を受けていたが、アーサーがそれを許すかどうかは別問題だ。
カリンさんは「郷に入れば郷に従え」と言ってはいたけど、こればかりは慣れない。衆人の目の前で堂々とキスできるほど、私はまだイギリスに馴染んでない。
頬へのキスで許してもらおうと、身長差をカバーするために背伸びをしてアーサーの頬へと顔を近づけたが、屈みこんできたアーサーに顎を取られて軌道修正させられ、唇と唇が強くぶつかった。
アーサーの舌が私の下唇を舐め、前歯をノックして口を開けろと催促されて、条件反射で口を開いてしまった。
しまったと後悔しても遅すぎた。すぐさまアーサーの舌が口内に入り込んできて、キスが深くなった。
神の前で、これはアリなのか? それにキスの時間が長いような気がする。あまり長くされると、鼻呼吸を上手くできない私は、酸欠に陥るんですけど!
「おい、アーサー。その辺にしておいた方がいいんじゃねぇか? マリちゃんが落ちるぞ」
ダニエルさんがアーサーに耳打ちしてくれたおかけで私は、式の途中で失神するという事態は免れた。
真っ赤になって俯く私を、隣にいてくれたカリンさんが横から突いてくれて、まだ式が終わっていない事を認識させてくれた。
アーサーは何事もなかったのように涼しい顔をして神父さんの方へと向き直っていた。私も慌てて神父さんの方を向いた。
「今この時をもって、彼らは神によって婚姻を認められました。彼らの行く末に数多き幸せと神の祝福があらんことを」
神父さんが結婚の成立を宣言し、祝福の言葉を言い終えると、アーサーは私を伴って聖堂の中央の道を外へ向かって歩き始めて行った。
この頃アーサーに翻弄されっぱなしだ。いつになったら、アーサーに乱されない心を持てるようになるだろうか……。
下手をすれは、永久にそんな日は来ないような気がしてきた。
2012.11.26 初出
結婚の誓いの言葉は、ウィキィペディア、Yahoo知恵袋などを参考にさせてもらいました。




