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第41話 夢と現の告白

アーサー視点です。

 カシャーン。


 グラスの割れる音がワルツの音楽が流れる中で異質に反響する。音の発生源を辿れば、意識を失ってリチャードに抱えられたマリの姿があった。何事かと野次馬が次から次へとと集まってきて、瞬く間に老若男女の背中で俺の視界からマリが隠されてしまう。

 マリが倒れるという緊急事態に、俺は踊っていたマーガレットの手を振り解いてマリへと駆け寄ろうとした。咎める様に彼女は俺のジャケットの裾を掴んで引き留めた。


「まだ、曲は終わっていませんわ。粗相をした不作法者の事は放っておいて、最後まで私と踊って頂けませんか?」

「申し訳ありません。倒れたのは俺の婚約者なのです。非礼は承知していますが、何者にも代えがたい(ひと)の大事なので失礼します」


 彼女の手をやんわりと外して冷たく言い放つ。曲の途中でペアを解くのは失礼に当たるのだが、そんな事構っていられなかった。

 ホストとしては失格だと頭の片隅でそう思うが、今はマリの方が何十倍も重要だ。マリの周りに出来た人の壁をかき分ける様にして進む。マリは床に横たえられていた。カリンがマリの傍らに膝をつき、診察を始めようとしていた。俺が来たことに気づいてカリンが顔を俺に向けた。


「どうしてマリは倒れたんだ?」

「アルコールの強いカクテルを飲んだらこうなったのよ。マリってお酒に弱かったの?」

「ああ、マリは下戸なんだ。酒を飲むとすぐ意識が沈む」

「そういう事は前もって知らせて欲しいわね」


 苛立ちを含んだ声色でそう言うと、カリンは立ちあがって腕を組んで俺を睨んだ。

 マリが下戸だという事をカリンを筆頭に使用人達に伝えるのをすっかり忘れていた。リーフ侯爵家のクリスマスでは、俺がついていてアルコールの入っていないグラスを選んでマリに渡していたから何事もなかったが、今回はマリの記憶を刺激しないようにできるだけ情報を渡さなかった事が裏目に出てしまった。


 膝裏と背に腕を差し入れ、マリを抱き上げる。意識があれば顔を真っ赤にしてジタバタ暴れるに違いないが、意識がないマリはぐったりと俺に体を預けている。

 集まった野次馬をぐるりと見渡した。彼らの視線が腕の中のマリに注がれる。探るような妬むようなコールタールのように重くドロリとした思惑を含む視線。俺にとっては不快の何物以外でもない。


「婚約者がお騒がせして申し訳ない。皆さんはパーティに戻って下さい」


 会場に響く声で彼らに促す。少しずつ野次馬の輪が崩れ始めてダンスや談笑へと戻っていった。

 リチャードが代わりにマリを部屋まで運ぶと申し出てくれたが、俺以外の男にマリを触らせたくはなかったので、そのまま会場を抜けてマリの寝室へ向かう。マリの部屋に入った所で、ライラが俺の腕の中に納まっているマリの様子がおかしいのに気づいて、カリンを呼びに行こうとした。


「マリは酔って眠っているだけだ。ライラ、マリの着替えと介抱を頼む。俺はパーティのホストとして会場を長くは離れていられない」

「承知しました。私にお任せ下さい」


 ライラが力強く頷くのを見て、マリをそっとベッドへと下した。体内に回っているアルコールのせいなのか、顔はもちろん足先から指の先まで薄く朱に色づいている。薄く開かれた口は熱っぽい呼吸を浅く繰り返していた。

 ひどく扇情的な姿に頭がくらくらしそうだ。マリの額にキスの一つでも落としたかったが、そうするとこの場を離れなくなりそうな予感がして、後ろ髪を引かれる思いをしながら俺は会場へと戻った。




 俺が抜けていた間、マックスが会場が混乱しないように指示を使用人達に出してくれていたおかげで、パーティそのものは問題なく運営されていた。

 独身のフェンリル・ファンドの幹部達は、ひっきりなしに若い女性から話しかけられていた。支社長ともなれば年収数億円に達するのだから、お近づきになりたい人は多いだろう。

 その中でも一番人気はダニエルだ。彼は良くも悪くも女性の扱い方に長けている。「来る者拒まず、去る者追わず。但し、誰にも心の奥底には踏み込ませはしない」そんなポリシーを貫いている為なのか、浮名を流す割には女性の交際でトラブルになったという話は聞いた事がなかった。


 図らずとも先ほどの騒ぎで俺が婚約している事が広がったため、昨年よりは格段に近づいてくる女性の数は減った。ホストだと招待客の挨拶を受けなければならない。その際に親子揃って結婚適齢期の女性を売り込んでくるのには辟易としていたから、俺としてはありがたい。

 今まではそう言った押し売り除けとしてカリンに手伝ってもらっていたが、今後は必要なくなるだろう。

 いつものように会場を隅々まで巡り、地元の名士や経済界の有力者に挨拶をして回る。パーティも中盤に差し掛かった頃、ドイツ支社長のザインが話しかけてきた。


「ボス、私の日本支社への転属の話は考えて頂けたのでしょうか? 私がいなくても支障がないように支社長を務め得る人材も育てました。そろそろ本格的に検討して頂きたいのです」

「もう少し待ってくれないか。今、タイミングを見計らっている所だ」


 ザインはフェンリル・ファンドに入った頃から常に日本支社への転属を希望し続けてきた。理由はある女性との約束だという事以外は分かっていない。それ以上掘り下げて理由を聞こうとしても頑なに答えないのだ。

 理由がはっきりしなければ転属を認める訳にはいかないと、当時のドイツ支社は判断したのだろう。16歳という異例の若さで入ってきた若者に様々な無謀とも言える試練を課し、転属を断念するように仕向けたのだが、ザインはその全てを達成して、僅か3年で支社長に就任してしまった。これはフェンリル・ファンド最短記録となった。


 そして、俺が出した最後の課題もクリアしたとなっては、ザインの日本支社への転属を認めるしかなかった。

 転属して日本支社所属扱いになるが、ザインが座る椅子は日本支社にはない。東日本電力から買収した送電網を元に作る新会社の代表取締役に就任してもらう構想を俺は持っていた。


「タイミングですか……。それはいつになるんですか?」

「日本語でいうと『近いうちに』だ」


 日本語も理解するザインは思いっきり顔を顰めた。日本語の持つ曖昧さ。こういう時はとても便利だ。


「その『近いうちに』が可能な限り早い時期である事を祈ります」


 俺に釘を刺すとザインは離れて行った。

 所在なげに壁の花になっている少女を見つけて、ザインはそちらへ歩き出した。一礼して右手を少女に差し出す。どうやらダンスに誘っているようだった。少女はにっこりと微笑んでザインの手を取った。

 支社長の中で唯一のフェミニストであるザインは、困っている女性がいると必ずと言って良いほど手を差し伸べる人物だ。凛々しい顔立ちも手伝って、ドイツ支社内で彼の信奉者は増える一方らしい。

 ザインの日本支社への転属が決まったら、ドイツ支社で勤務している女性は嘆き悲しむ事になるだろう。そして、俺は陰で彼女達に恨まれるかもしれない。日本支社への転属希望者が大量に出なければいいが……。

 杞憂で終わる事を願いつつ、俺は酒精の入っていないグラスをフットマンから受け取った。




 ようやくパーティが終り、最後の招待客を玄関で見送った後、俺はマリの寝室を訪れた。ライラは良い顔はしなかったが、気を効かせてマリと二人っきりにしてくれた。

 マリはまだ酔いから覚めていないようで、ドレスから実用一辺倒のパジャマに着替えさせられて眠っていた。


「自分が下戸だという事も忘れているとはな。事前に少しでも学習させておけば良かったか……」


 曲がりなりにもマリのお披露目はできたとはいえ、パーティ途中で倒れた事で中途半端になった感は否めない。

 だが、これからは俺と一緒に慈善団体主催のパーティやチャリティーコンサートに出席する事も多くなる。これからマリはナント伯爵家の未来の女主人であると周知させていけばいいと思い直した。

 どうしても出なければならないパーティに必ずマリを同伴させていれば、自然にそうなるだろう。


「う……」


 マリが微かに身じろぎをしてうっすらと目を開いた。瞳の焦点は酔いのせいで定まらす、俺の方をぼんやりと見ていた。現実を現実と認識していない感じがマリにはあった。


「パーティに出ているはずだから、アーサー、ここに居る訳ないよね……。夢なのかなぁ。うん、きっと夢なんだ……。夢なら言ってもいいのかな……」


 自分を納得させるように、マリは小さな声でブツブツと独り言を呟いていた。何が言いたいのだろうと、声をよく聴く為に、床に膝をつけてマリの口元に顔を近づける。すると、マリは両腕を俺の首に回して抱きついてきた。


「アーサーが好き。大好き。愛している。アーサーに相応しくもない、失った記憶に拘って永遠を約束する勇気もない私が告白する資格はないけれど……。それでも好き。好きなの」


 酔っているとはいえ、初めてのマリからの告白に、俺は雷に打たれたかのように全身を歓喜に震わせた。この瞬間をどれほど待ち焦がれていた事か。

 ようやくマリが俺に心を預けてくれるようになった。記憶なぞ思い出さなくていい。マリが俺に相応しいかなんて誰にも決めさせない。決めるのは、この俺だ。

 マリは夢の中の出来事と思っているようだが、俺はこのまま夢で終わらせるつもりはなかった。マリの背中に腕を回して抱き起し、潰さないようにそっと抱きしめた。


「俺もマリを愛している。君が何者かなんてどうでもいい。ただ、俺の傍にさえいてくれればそれでいい。誓ってくれ。俺と共に生きると」


 マリの目から涙が溢れて頬を伝っていった。額がふれあいそうなほどの近さで見つめ合う。まだ、マリの瞳に理性の光は戻っていなかった。


「約束する。だから、他の女の所へ行っちゃ嫌だ。私を嫌いにならないで……」


 そっとマリは目を閉じて唇を寄せてきた。一瞬だけ唇が重なって、すぐに離れていった。

 幼く拙いキス。それがマリの精一杯なだろう。やはりマリはこの手の色事には慣れていない。それを俺は確信していた。

 地下室でマリが悲しげな恋のバラードを歌っていたのを聞いた時、マリは日本に恋人でもいたのかと勘繰った。いたとしたら、今そいつに感謝したくなった。マリを無垢なまま俺の下にもたらしてくれて、ありがとうと。


 可愛らしいキスでは満足できない俺は、無防備に薄く開けられた唇を深く貪り舌をマリの口内へと差し入れる。酔ったマリはさしたる抵抗も見せずに、なされるがままになっていた。

 歯列をこじ開けてマリの舌を絡め取る。お互いの舌を擦り合わせると、くちゅくちゅと淫らな水音が耳に響く。上顎を舌先でなぞり、舌の根元まで舌先を這わす。


 マリは苦しそうに眉を寄せて目を閉じている。俺のジャケットを縋るように掴んでいた手が感じているのか細かく震えていた。

 調子に乗って更に口内を蹂躙していると、マリの手がパタリと落ちて体から力が失われた。腕に抱えたマリの体が急に重たくなった。唇を離すと銀糸の橋がマリとの間にかかり、ぷつりと切れた。


「マリ?」


 頬を軽く叩いても、起こそうと体を揺さぶっても、マリが起きる気配はなかった。酸欠と酔いで気を失ってしまったようだ。

 ―――また、やり過ぎた。

 マリ自身がしてくれた告白を覚えてくれていればいいが……。

 彼女をベッドに横たえて上掛けを掛けてやる。口先に掌をかざす。穏やかな呼吸が掌に触れてほっと一安心した。


2012.10.08 初出

2012.10.09 誤字修正

2012.12.19 誤字修正

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