第40話 ニューイヤーパーティ
お酒は20歳になってから
ニューイヤーパーティの開始時刻が刻々と迫ってくる。私はライラさんに手伝ってもらってドレスを着つけていた。
リーフ侯爵家のクリスマスに着ていた若草色のイブニングドレスは、誘拐事件のせいで血と土で汚れて使い物にならなくなっていた。今日のドレスは夜の海を思わせるような深い青色をしていた。デザインこそは同じだったが、アーサーの瞳と色と近い色合いに彼の独占欲が現れているような気がして落ち着かなくなる。
アーサーが持つ色をマリに纏わせて、周りに「マリは俺のものだ」と牽制しているかのようね、と少し前に様子を見に来たカリンさんに指摘されて、一層気恥ずかしくなった。
「パーティではマリ様のお披露目がありますから、パーティに来られた独身女性はさぞかしがっかりなさるでしょうね」
ライラさんがどこか楽しげに私の髪を結いあげながら話しかけてきた。私は自分ですると言ったのだが、駄目ですと押し切られてしまった。
「アーサーはもてそうですね。地位も財産もあるし、見目麗しいですし。それに比べて私は平凡でつまらないですから、不釣合いって言われそうです」
地元の名士と経済界の有力者、フェンリル・ファンドの幹部達が参加するニューイヤーパーティは、毎年アーサーが独身女性に囲まれる状態が続いているのだそうだ。女たらしのダニエルさんが半分ほどの女性を引き受けてもそんな状態だというのだから、アーサーの人気は相当なものである事がうかがえた。
「何を弱気な事をおっしゃっているんですか。マリ様には女ハイエナ達にはない別の魅力があります。男性なら護ってあげたいと思える魅力があるのですから、もっと自信を持って下さい」
「ライラさんは私の事を買い被りすぎです」
俯いた私にライラさんは結い上げた髪にヘアピンを手際よく刺していく。左右から髪をチェックしてからブラシを置いてチョーカーを手にした。
「どうしてマリ様はご自身に自信をもてないのですか? アーサー様から人目を憚らないほどに愛されていますのに」
ライラさん達がいる前で抱擁されたり、キスされたり、日々繰り広げられる過剰なまでの愛情表現を思い出し、私は頬を朱に染めた。
恥ずかしいから人前では止めてほしいってお願いしているのに、聞き入られた試しがなかった。むしろアーサーは羞恥にジタバタする私を見て楽しんでいる気がする。
「アーサーに助けてもらってばかりで、私はここで何も役に立ててないもの……。掃除も料理も馬の世話もしては駄目なんでしょ?」
「そのような雑用をなさる必要はありません。マリ様はナント家の女主人となる御方なのですよ。我々使用人とは違った役割が求められます」
掃除と料理なら何とか役に立てそうなんだけどな……。女主人として何をすべきなのか分からない。そんな私がナント家の女主人として役に立てるのか疑問だ。貴族社会を知らず、イギリス人でもない私にできるのだうか? 自信がもてない。
チョーカーを私の首にかけ留め金を止めてくれる。小さな真珠のイヤリングを両耳につけると、ライラさんは鏡に映る私を見て満足げに頷いた。
「さあ、準備が整いました。アーサー様を呼んで参ります」
ライラさんが部屋を出て行った。鏡の中の私がチョーカーをそっとなぞる。
お披露目だけだとアーサーは言っていたけど、ナント家の女主人代々使っていたこのチョーカーを私が身につけてパーティに出るという事は、事実上の婚約発表と取られるんじゃないだろうか。
頭の隅にそんな疑問が浮かんだ途端、ドアがノックされた。どうぞ、と返事をするとライラさんとアーサーが入ってきた。
「綺麗だ。とても」
化粧台の椅子から立ち上がった私をアーサーは抱き寄せて私の後頭部に手を回し、額にキスを落とそうとする。間髪入れずにライラさんがアーサーに待ったをかけた。
「アーサー様、折角結い上げた髪が乱れてしまいます。パーティが終るまでお控え下さい」
彼は渋々といった感じで私の後頭部に回した手を離した。
少しでも大人っぽく見せるために髪を結い上げたのかと思っていたけど、アーサーの暴走防止の意味もあったんだと感心してしまう。
「そろそろ時間だ。会場までエスコートする。今日は俺がホストだから、あまりマリの傍にいる事ができないが、カリンとリチャードが会場に入っている。何かあれば二人を頼るといい。それと最初のダンスは俺と踊ってくれ」
「はい」
簡潔に返事をすると、アーサーは私を会場までエスコートしてくれた。マックスさんが会場の扉を恭しく開けると、会場にいる人達の注目が一斉にアーサーに集まった。彼に促されるまま会場の中央に進むと、どこからともなくワルツの音楽が流れてくる。
「マリ、一曲お相手願えるかな?」
「喜んで」
アーサーが差し出してきた左手に私の右手を重ねた。彼の右手が私の左肩胛骨に回る。私は左手を彼の右肩の下に添えた。
練習通りにすれば、大丈夫。大丈夫。呪文のように心の中で唱えて、アーサーのリードに合わせてステップを踏んでいく。
「上手くなったな。社交ダンスの練習を始めた頃に俺の足を何度も踏んだのが嘘のようだ」
アーサーは私よりかなり背が高い。周りの人に私が縋りついているように見えはしないかと気を揉んでいるのも知らないで、アーサーは意地悪く囁いた。
「その節は本当にごめんなさい。何とかまともにワルツを踊れるのも、アーサーのおかげね。ありがとう」
私がアーサーを見上げて感謝を表すと、彼は情熱を宿した瞳で私を見つめた。
「俺が主催するパーティなのに、ホストの役割を放棄したくなる。こうやって夜が更けるまでマリと踊っていたい」
「アーサーと踊りたい人やお話をしたい人は一杯いるでしょ? 私は会場で大人しくしているから、ちゃんと役目を果たしてきて」
ワルツの曲が終わりに近づく。アーサーは名残惜しそうに腕を解くと、私の頬にキスを落として離れて行った。
若い女性達の視線が一気にきつくなったような気がした。壁際にいたカリンさんを見つけて、そちらの方へと向かった。幸いにも女性の集団からは離れている場所だった。リチャードさんも近くにいた。
私とアーサーが会場の中央から離れたのを見計らったかのように、次の曲が流れ始めた。パーティの参加者達が思い思いにペアを作り、踊りの輪へ加わっていく。
「お疲れ様。マリ、今日はあなたが注目の的になるわね。ワルツを踊っている間中、昨年のニューイヤーパーティでアーサーに纏わりついていた社長令嬢が、怖い目でマリを見ていたわよ」
「ええっ!?」
誰だろうと思ってあたりを見回してみても、私には誰がその社長令嬢なのか分からない。リチャードさんは遠い目をして、その時の様子を思い出したようだった。
「あれには、参りました。パーティの初めから終わりまで社長のストーカーみたいに後をつけていたんです。ダニエル支社長がダンスを申し込んで社長から引き離そうとしたんですが、ばっさりと断られていました。粘着質もいいところです」
「やっぱり、アーサーはもてるんだね」
「あの人達はアーサーの人柄に魅かれるというよりは、伯爵位と世界有数の資金量を誇るファンドの代表者という肩書に魅かれているのよ。幼少の頃からそんな打算の世界を見続けていれば、性格が多少捻くれるのも仕方ないのかもね」
幼い頃から一緒に育ってアーサーを見てきたカリンさんは、ため息交じりにそう分析した。
目が自然とアーサーの姿を追う。杖をついている初老の男性と談笑しているところに、マドンナと見間違えるほど妖艶な美女が彼らの会話に割って入ってきた。金の髪は緩やかなカーブを描きながら彼女の背中を飾っている。
腕を絡め、豊満な胸をアーサーの腕に押し付ける様にして、彼女はアーサーをしきりにダンスに誘っているようだった。アーサーは渋っていたが、やがて根負けしたのか彼女の手をとって踊り始めた。
私と彼女の目がふと合った。蠱惑的な笑みを浮かべてわざとらしくアーサーの胸にしなだれかかり、私を挑発するような眼差しを向けてきた。まるで「アーサーに相応しいのは私だ」と言わんばかりに。
胸がチリチリと痛んだ。もやもやとした黒い感情が胸の中に広がっていく。
やだ。私は彼女に嫉妬しているんだ。
思わず彼女と踊るアーサーから目を逸らした。カリンさんが私の様子がおかしいのに気づいて、私か逸らす前の視線の先を見た。
「噂をすれば何とやら。今アーサーと踊っているのが、話していたストーカー令嬢よ」
カリンさんの堅い声にリチャードさんがカリンさんの視線の先を追い、頬を引き攣らせた。見たくない物を見てしまったと顔が雄弁に語っていた。
何とも言えない雰囲気が流れる。リチャードさんはそれを振り払うように話題を変えた。
「あ、そうだ。支社長の中に日本人の方がいらっしゃるんです。何か記憶を取り戻す刺激にならないかと思って、マリさんに会ってもらえるよう頼んであるんです。連れてきますから、待っていて下さい」
人の間を縫うようにしてリチャードさんは会場の奥へと行ってしまった。暫く待っていると、黒髪と黒の瞳を持つ男女をリチャードさんは私のところへ連れてきてくれた。
一人は眼鏡をかけた童顔の男性。にこにこといつも笑顔を浮かべていて、顔立ちも整っている青年だった。好印象を持てる容貌をしているが、その笑顔の奥に得体の知れない物を隠している感じがして、この人とはお近づきになりたくないと思ってしまった。
もう一人は日本人女性にしては背の高い人だった。男性とほぼ同じぐらいの身長で、モデルかと勘違いするほど、無駄のない引き締まった体型を持っている。マーメイドラインの黒のドレスが美しい体の線を引き立たせていた。
理知的な光を宿した瞳は生き生きと輝き、背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見つめる姿は、自然と人の目を引きつけた。
クールビューティと思われた彼女は私の姿を認めるなり、ぱっと顔を輝かせた。
『やーん、この子、可愛い!』
緩みきった表情で日本語でそう言うと、私にかばりと抱きついた。リチャードさんは慌てて英語で二人を紹介した。
「こちらの彼はフェンリル・ファンド日本支社長の羽柴正樹。女性の方はその奥さんの羽柴加奈子さんです」
『全く……、時と場所に構わず気に入ったものに抱きつく癖はいい加減治してくれ。こっちが恥ずかしくなる』
正樹さんはやれやれという感じで、私から加奈子さんを引きはがした。久しぶりに聞く日本語に私は涙があふれてきた。
『あれ? どうしたの? マリさん』
『いえ、何でもないんです。久しぶりに日本語が聞けて話せて嬉しかったんです』
私はハンカチで涙を拭った。
ナントの館には日本語を分かる人はいないから話す言語はどうしても英語になってしまう。日本人なのに英語しか話していなくて、日本語を忘れてしまいそうで、自分が日本人である事を忘れてしまいそうで、ずっと漠然とした不安を抱えていた。まだ、大丈夫だ。私は日本語を忘れてない。
『ねぇ、マリさんこれも何かの縁だから、お友達にならない? 私、日本からメールを送るわ。桜が咲く頃、日本に戻ってきたら一緒にお花見しましょ』
『はい、是非お願いします。私も日本の様子が知りたいんです。でも、お花見は……。パスポートを再発行してもらえる目途がついていないので、イギリスからは出る事ができないんです』
『まあ、そうなの。お気の毒に……』
加奈子さんが正樹さんからペンとメモを借り、メールアドレスを書いて私に渡した。私もメモを分けてもらって同じように携帯電話のメールアドレスを加奈子さんへと渡した。
「カリンさん、私、加奈子さんとお友達になれました。リチャードさん、神崎さん夫妻を紹介して下さってありがとうございます」
「それは良かった。新しい出会いを祝して乾杯しましょうか」
リチャードさんはウェイター役を務めているフットマンを呼ぶと、彼が持つトレイの上に並べられている色とりどりのカクテルを私達に配った。
「では、新しい出会いに乾杯」
「乾杯」
乾杯の音頭を取ったリチャードさんは、グラスを掲げてカクテルを呷った。私はクリーム色のカクテルの味を確かめる様に一口飲んだ。甘い桃の香りと味が口の中に広がる。
「このカクテル、甘くて美味しい」
二口三口と飲み進めていると、カリンさんがマリンブルーの色をしたカクテルを半分ほど飲んでから、私に忠告してくれた。
「そのカクテル甘い口当たりに騙されるけど、結構アルコール度数が高いから、様子見ながら飲んだ方がいいわよ」
「はぁい」
返事をした私の声が何処か遠い所で響いている。くしゃりと視界が歪む。揺れる視界の中でカリンさんが慌てたような顔をしていた。ふわふわする感覚の中で、体の力が抜け落ちていくのがわかった。
あれぇ? 私、お酒弱かったの?
そう思いながら私は意識を手放した。
2012.10.01 初出




