第39話 雪だるま
ナントの館はニューイヤーパーティの準備で、マックスさんを始め皆忙しそうに働いている。今日は一足早くフェンリル・ファンドのパーティへの参加者が会議も兼ねてナントの館に来る予定になっていた。
今、私の目の前には銀世界が広がっている。昨夜から降り続いた雪が木の葉を落としきった木の枝に吹き付けられ、陽の光を受けて輝いていた。普段は芝生が広がる庭も雪で覆われて地面が見えない状態だ。
足を踏み入れれば膝と踝の中間地点ぐらいまで雪に埋もれる有様で、これでは乗馬の練習はできない。早々にレグルスさんから今日の練習は中止だとの連絡があった。
時間が空いたので、私はコートと手袋とマフラーで厳重に防寒対策をしてから庭へと出た。玄関周辺や敷地内を走る道路は除雪が進んでいて、その周辺に除雪した雪が積まれていた。
手袋を外して直に雪に触れる。確かな冷たさが心地よかった。記憶がなくても体が覚えている事はたくさんある。英会話や料理、パソコンの使い方も何故か覚えていた。
踏み固められて氷のようになった道でも、転ばずに玄関へと続く前庭まで来る事ができた。雪に足を取られる事もなかった。私はたぶん雪が多く降る場所での生活に慣れていたのだろう。
せっかく雪が積もったのだから、特に予定もない事だし、雪で遊んでみようか。何か記憶を手繰り寄せる手掛りになるかもしれない。
手近な雪を両手で一すくいして雪玉を作った。雪を更に上から被せるようにしてサッカーボールほどの大きさにする。雪の上で雪玉を転がしていくと少しずつ雪玉が大きくなっていく。
雪玉が腰辺りまでの高さに成長すると前庭の道の端まで持って行った。同じようにして少し小ぶりの雪玉を作る。
頭の部分にしようと思っていた雪玉を大きな雪玉の上に乗せようとして、意外に雪玉が重い事に気づいた。頑張れば持ち上げれるかもしれないが、バランスを崩した時どうなるか想像すると怖くなってやめた。
自分で作った雪玉に押し潰されて動けなくなるなんて、笑い者もいいところだ。仕方ない。もう少し雪玉を削るかな。作業にかかろうと雪玉の前にしゃがみ込むと、不意に声を掛けられた。
「そこのかわい子ちゃん、何か困っている事があるんじゃねぇのか? 手伝ってやろうか?」
低音でハスキーな声。おちゃらけた口調とは裏腹にずっしりと耳に残る声に振り返ってみれば、大きなスーツケースを持った背の高い男性が前庭の道に立っていた。
スーツケースには航空会社の真新しい荷札が貼り付けたままになっていて、ごく最近国際線を利用した事が分かる。大きな体躯を包んでいるコートも、首回りに巻かれたマフラーも、手を寒さから守っている黒い皮手袋もブランド名までは分からないが、かなり上質のものだと感じられた。
黄金を溶かしたような金の髪、生き生きと輝く深緑の瞳、皮肉げに歪められた唇も形の良さを失ってはいなかった。肉食系の女性がいたら放っておかないだろうと確信できるほどのセレブ感と男の色気を彼は漂わせていた。
「雪だるまを作っていたんですけど、頭の部分が重くて持ち上げるのがきつくて、困っていたんです」
朝からのナント家への訪問者。アーサーからフェンリル・ファンドの会議の参加者が到着するのは午後からだと聞いていた。今まで散々事件に巻き込まれてきた私は、警戒心を悟られぬように注意しながら、じりじりと後ろに下がった。彼は除雪されている道にスーツケースを置くと、雪を踏みしめながら雪玉に近づいてきた。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃねぇか。俺はお子様には興味ねぇよ。雪で遊ぶのも体力有り余ってる証拠なんだろうなあ。羨ましいねぇ」
彼は腰を落としてしゃがみ頭用に作っていた雪玉を持つと、胴体の上にひょいっと軽々と乗せてくれた。軽く両手を叩いて、ついていた雪を手袋から落とす。
「あ、ありがとうございます」
軽く頭を下げてお礼を言う。顔を上げると私を値踏みするように、彼が頭の天辺からつま先まで――と言っても、足は雪に埋もれて見えないが――視線を動かしていた。
「ええっと、あの?」
「とても残念だな。あと7年もすれば俺の守備範囲に入りそうなのに……」
困惑していた私に、とてもお馴染みの反応が返ってきて、私は頬をひくりと引き攣らせた。
ええ、もうイギリスでは大人に見てもらえるのは諦めました。子供に見られる度に一々説明するのにも疲れた。だから私はこの問題の解決を時の流れに任せる事にした。
あと10年もすれば、いくらなんでも子供に見られる事はなくなるはずだ!それまで我慢、我慢。
黄昏ているとアーサーが早足でこちらへ歩いてくるのが見えた。何故か少し焦っているような感じがした。雪だるまを作るのを手伝ってくれた彼が、アーサーに気づいて右手を上げた。
「よお、アーサー、久しぶりだな」
「ダニエル、こんなに早く来るなんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
右腕を交差させるようにがっしりと握手を交わす。ダニエルさんは親しげにアーサーの肩に腕を回して、私に背を向けアーサーと話し始めた。
「そりゃあ、アーサーの婚約者を他の支社長よりも一目早く拝むためさ。女の噂が全くなかったお前がいきなり婚約だろ? 興味を持つなという方が無理ってもんだよ」
「本当にダニエルは女性の事になると行動が早いな。言っておくが、手は出すなよ」
アーサーはダニエルさんに釘を刺していた。ダニエルさんはあっけらかんと笑って、安心させるようにアーサーの背中を軽く叩いた。
「分かっているよ。横取りするような事はしないさ。お前が見初めた婚約者なんだから、いい女なんだろう? 出るところは出て、引っ込んでるところは引っ込んでいる妖艶な美女なんじゃないかと、支社の連中も期待していたぜ」
思わず私は自分の体を見下した。そもそも日本人と欧米人とは骨格からして違うってカリンさんは言っていた。
胸の大きさだって、Eカップはある同じ年頃のポピーさんに対して、私はBカップ。寄せて上げれば辛うじてCカップになるかもしれないが……。体型だって自信がない。男性が好みそうな胸とお尻が大きくて腰が細いという理想像からは私の体型はほど遠い。
ダニエルさんの言葉が容赦なく心に突き刺さる。アーサーみたいに地位も財産もある人は、それなりの美女を手に入れられて当たり前だと思われているんだろう。本当にご期待に応えられなくてごめんなさいと謝りたい気分になってくる。
「3か月前に俺が与えた助言が効いたようで嬉しいねぇ。で、どうなんだ? 婚約者のお味は。なあ、もう食っちまったんだろ?」
「本人のいる前で、そういう品のない話をしないで欲しいな」
アーサーは右手で顔を覆って、げんなりとした様子でダニエルさんに呟いた。心なしかアーサーの耳が赤くなっている気がした。
「はぁ? 本人って、婚約者の女か? どこにいるんだ?」
ダニエルさんはキョロキョロと辺りを見回す。そして、思いついたように私を見て、戸惑ったように私から視線を逸らした。
「ま、まさかな……」
アーサーは肩に回っていたダニエルさんの腕を外すと、私の傍に立って腰に手を回し私を軽く引き寄せた。
「紹介しよう。彼女はマリ・ナカガワ。俺の婚約者だ。マリ、彼はダニエル・カーター。フェンリル・ファンドのアメリカ支社長であり、俺の古くからの悪友でもある」
「初めまして、ダニエルさん。マリ・ナカガワです。いつもアーサーがお世話になっています」
一歩進み出てダニエルさんを見上げて挨拶をする。ダニエルさんは驚き過ぎて、挨拶を交わすのも忘れ、私にとっては失礼な事を言い始めた。
「このちんちくりんがお前の婚約者だって!? アーサーならどんな美女も選びたい放題じゃないか。なんだってまた……」
うん。ダニエルさん、あなたの言いたい事は理解できる。私自身、何故アーサーが私を婚約者に選んでくれたのか悩む時があるから。
アーサーは頭を捻って唸っているダニエルさんを館へ誘導すべく道に戻って手招きした。ダニエルさんはため息を一つ吐いた。アーサーに従って道に戻ると、そこに置いていたスーツケースを手に取った。
「俺達は館の方へ戻るが、マリも一緒に戻るか?」
「ううん、もう少し雪を堪能してから戻ります。お昼までには帰るから心配しないで」
「体が冷えない内に戻ってきてくれ。ライラに言ってココアの用意でもさせておこう」
ライラさんのホットココア。冷えた体には何よりのごちそうだ。それだけでも予定を切り上げて館に帰ろうかという気になってしまう。
ダニエルさんがふと思い出したように、足を止めて私の方を振り返った。
「ああ、マリちゃん。さっきは無神経な話をして申し訳なかった。許してもらえねぇかな?」
「大丈夫です。気になさらないで下さい」
ほっとしたようにダニエルさんの表情が緩む。彼はアーサーと話しながら館の方へと歩いて行った。
雪だるま作りを再開させる。適当な炭を用意できなかったので、雪の重みで折れた木の小枝を拾って眉毛と鼻と口の部分を雪玉に作る。目の部分は黒い小石を埋め込んで完成させた。
雪だるまだけでは独りで寂しそうなので、雪うさぎも作る事にした。雪を俵のような形にして底を平らに整える。本当は南天の実と葉で作るのだが、ナントの庭では見かける事が出来なかった。常緑樹の葉と赤いビーズで代用する。
常緑樹の葉を耳に見立てて雪の塊に差し、赤いビーズを目に入れる。二匹分作って、雪だるまの頭の上に仲良く乗せた。
「完成」
私が作った雪だるまは2日もすれば、溶けてなくなってしまうだろう。傍から見れば子供の遊びかもしれない。私にとっては記憶を呼び起こす行動の一環なのだ。
降り積もった雪を見て、私が知っていた雪遊びを思い出すことができた。しかし、誰と作っていたのかまでは思い出せない。
アーサーに催眠療法を却下されている以上は、思い出せる切っ掛けをできるだけ増やしていくしかない。できるだけアーサーに心配を掛けないように、こっそりとできる事からやっていこう。アーサーと私自身の為に。
ライアンさんがマフィアと関わっていたと判明した後、イギリスの社会がどれだけ反社会的勢力に厳しいかを私は目のあたりにした。彼の会社は社会的信用を失って倒産し、その息子は職を失い行方知れずとなった。リーフ侯爵家にも疑いの目が向けられ、警察の捜査が入ったとマックスさんから聞いた。
記憶の回復ができた時、もし私がアーサーに相応しくない人物であれば――例えば万が一私が犯罪者だったり反社会勢力に関わっていた場合は――アーサーの為に私が彼の元から離れるのだ。
記憶喪失になった私に居場所を与えてくれたアーサーを、私が原因で窮地に陥れてはならない。そんな事になったら、私は私自身を許せなくなる。
そう決心して、私は館へと向かう道を歩き始めた。
2012.09.24 初出
2012.09.25 文章一部修正。大筋は変わっていません。




