第5話
星夜祭まで、あと三日。
王立セレスティア貴族学園の廊下には、星を模した飾りが少しずつ増えていた。
夜空を思わせる飾り布。
小さな魔法灯。
窓辺に吊るされた、星形の飾り。
普段とは違う校内の雰囲気に、ミザールは朝から浮き足立っていた。
「アルコル、見て」
「うん」
「あそこ。星の飾り」
「見えるよ」
「夜になったら、もっと綺麗なんだろうな」
「そうだね」
隣を歩くアルコルは、相変わらず淡々としている。
けれど最近、彼の目に映る世界は少しずつ色を取り戻していた。
だからミザールは、それが嬉しかった。
自分と一緒にいることで、彼の世界に色が戻っていく。
それだけで、自分がここにいてもいいのだと思える。
「……楽しみだね」
ミザールが笑う。
「うん」
アルコルは頷いた。
「一緒に踊るんだよね」
「……うん!」
その言葉だけで、胸が弾む。
星夜祭。
恋人と踊る夜。
今までの自分なら、何度も想像してきた。
けれど──実際に誰かと約束したことは、一度もなかった。
いつも、その前に終わってしまったから。
◇ ◇ ◇
放課後。
廊下を歩いていると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「星夜祭、ミザール踊るんだって?」
「……」
足が止まる。
振り返ると、以前付き合っていた男子たちがいた。
「アルコルと?」
「そうらしいぞ」
「……大丈夫か?」
「何が?」
「いや、ほら」
一人が苦笑する。
「ミザールと踊ったら、足の骨とか踏み砕かれそうじゃん」
「おい、言うなよ」
「でも……まあ、俺たちには無理だったしな」
「……」
笑い声が上がった。
冗談のような言い方だった。
悪意があるわけでもない。
だからこそ、ミザールには余計につらかった。
「……やめて」
気づけば、声が漏れていた。
三人がこちらを見る。
「ミザール?」
「そういうの、やめて」
笑えなかった。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
「別に悪気は──」
「分かってる」
ミザールは俯いた。
「分かってるから……」
何も言わず、その場を離れる。
足音だけが廊下に響いた。
◇ ◇ ◇
校舎の角を曲がったところで、ミザールは立ち止まった。
胸に手を当てる。
苦しい。
さっきの言葉が、頭から離れない。
──足の骨を踏み砕かれる。
冗談だ。
きっと、冗談なのだ。
けれど、その冗談には、全部本当のことが混ざっている。
自分は実際に物を壊した。
何度も。
好きになるたびに。
嬉しくなるたびに。
相手との距離が近くなるほど、自分の身体は重くなった。
そして最後には──。
『ごめん。もう無理だ』
『君の愛は重すぎる』
『僕には受け止められない』
何度も聞いた言葉。
ミザールは目を閉じた。
アルコルは違う。
分かっている。
彼は自分の重さを嫌がらない。
椅子が壊れても怒らない。
手を繋いでくれる。
星夜祭で一緒に踊ろうと言ってくれた。
だから。
大丈夫。
──そう思いたかった。
けれど。
「……もし」
声が震える。
「もし、アルコルも……」
同じだったら。
今は平気でも。
もっと好きになったら。
もっと近くなったら。
もっと、もっと──。
自分の愛が重くなったら。
いつか彼も、嫌になるのではないか。
その想像だけで、怖くなった。
◇ ◇ ◇
翌日。
「ミザール」
「……なに?」
昼休み。
アルコルがいつものように隣に来た。
「星夜祭、明後日だね」
「……うん」
「楽しみ?」
「……うん」
ミザールは笑った。
ちゃんと笑えた。
「楽しみだよ」
「よかった」
アルコルも少しだけ笑う。
その表情を見ていると、胸が痛くなった。
この人は、何も知らない。
自分が何を怖がっているのか。
どれだけ前の失恋を引きずっているのか。
どれだけ──この人を傷つけることが怖いのか。
「アルコル」
「なに?」
「……私と一緒にいて、困ったことない?」
「ないよ」
即答だった。
「本当に?」
「うん」
「重くても?」
「うん」
「物を壊しても?」
「壊れるなら、直せばいい」
「……私が、もっと重くなっても?」
アルコルは少しだけ考えた。
それから、ミザールを見る。
「……君が気にするほどのことじゃないと思う」
「……そっか」
それだけなのに、ミザールの胸が少しだけ温かくなった。
けれど、その温かさが怖かった。
この人を好きになればなるほど。
きっと、自分はもっと重くなる。
「ごめんね。変なこと聞いて」
「別にいいけど」
アルコルは首を傾げた。
「ミザール、今日少し変だよ」
「そう?」
「うん」
「……寝不足かも」
「そう」
アルコルはそれ以上聞かなかった。
けれど、繋いだ手は離さなかった。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道。
夕暮れの空は、淡い橙色だった。
ミザールは隣を歩くアルコルを見る。
彼の横顔。
以前よりも、ずっと色がある。
その瞳にも。
髪にも。
夕陽にも。
──この人の世界から、色を奪いたくない。
そう思った。
だからこそ。
「……アルコル」
「ん?」
「星夜祭なんだけど」
「うん」
「……私」
言葉が出てこない。
喉の奥が詰まる。
それでも、言わなければならない。
「私、踊らないほうがいいかもしれない」
アルコルが足を止めた。
「どうして?」
「……」
答えられない。
「私と踊ったら、あなたまで怪我するかもしれないから」
「そんなこと──」
「あるよ」
ミザールは俯いた。
「私、今まで何度も人を傷つけてきた」
「……」
「好きになると、どんどん重くなるの」
手を握る。
その指先が震えている。
「嬉しくなると、もっと重くなる」
「ミザール」
「だから……」
顔を上げる。
笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「あなたが私のことを嫌いになる前に、少し離れたほうがいいと思う」
アルコルは何も言わなかった。
ミザールはその沈黙が怖くなった。
「……ごめんね」
「待って」
呼び止められる。
それでもミザールは首を横に振った。
「私、先に帰るね」
「ミザール。どうして──」
最後まで聞くことができなかった。
ミザールは走り出した。
残されたアルコルは、その背中を見つめる。
なぜ。
どうして。
ついさっきまで、星夜祭を楽しみにしていたのに。
どうして突然、離れようとするのか。
アルコルには分からなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
ミザールは自室の窓から、星空を見上げていた。
明後日には星夜祭。
本当なら楽しみで仕方がなかった。
アルコルと踊りたかった。
手を繋いで。
笑って。
普通の恋人みたいに。
でも。
「……無理だよ」
小さく呟く。
自分の愛は、重すぎる。
アルコルは今、平気だと言ってくれている。
でも、それがずっと続く保証なんてない。
だったら。
嫌われる前に。
傷つける前に。
少しだけ、離れたほうがいい。
「……ごめんね、アルコル」
窓を閉める。
本当は、踊りたい。
本当は、手を繋ぎたい。
本当は──もっと一緒にいたい。
だからこそ。
星夜祭の日、もし彼が手を差し出してきても。
その手を取ってしまったら、きっと離れられなくなる。
ミザールは胸の奥の痛みを、そっと押し込めた。
明後日。
アルコルの前で、笑わなければ。
彼が傷つかないように。
自分も、傷つかないように。
そう思いながら。
ミザールは眠れない夜を過ごした。
星夜祭まで、あと一日だった。








