第9話:裏の読み合いと、交差する思惑
夜桜一族の本邸。
重々しい空気が漂う一室で、当主・夜桜蜜柑の向かいには黒椿与四郎がゆったりと腰掛けていた。その背後には、黒天に加え、もうひとりの腹心である烏山冬華が静かに控えている。
冬華は並外れた情報収集能力を持ち、蜜柑が指示を下すより先回りして的確に動くことができるため、黒天とはまた違った深い信頼を蜜柑から寄せられていた。
「与四郎殿。今回の紅子襲撃の件で、特殊治安部隊がやけに素早く動いたようだな」
蜜柑が冷徹な瞳で与四郎を見据える。
「いやぁ、雪花蓮雫の動きがあまりにも怪しいものでね。蜜柑殿からは日頃より多大なご支援をいただいているのです。この程度の治安維持、部隊を動かすことくらい容易いことですよ」
与四郎は涼しい顔でひらりと手を振ってみせた。
「……本来であれば、我が一族だけで始末をつけるつもりだったが」
蜜柑が言いかけたその瞬間、冬華がスッと音もなく一歩前に出ると、一枚の書類を蜜柑の前に差し出した。
蜜柑はそれに目を通し、無言のまま与四郎の前のテーブルへとそれを押し滑らせる。
「我々が独自に調査した結果でございます。どうぞ、ご覧ください」
冬華の澄んだ声が茶室に響く。
「……はてさて、うちの裏で一体何を調べておられるのやら」
与四郎は苦笑いを浮かべつつ書類に目を落とした。そこには、特殊治安部隊の副司令官であるカスタノールを中心として、雪花蓮雫の一族周辺が徹底的に監視されている詳細な記録が記されていた。
「副官のカスタノール自らが陣頭指揮をとって動いているとはな」
蜜柑は面白そうに、しかし底冷えするような笑みを浮かべる。
「直接の指示は、西田川に出しましたよ。ま、あいつが誰をどう使おう勝手ですがね。ただ、今回の実行犯はどう見ても暗躍隊でしょうな。紅子殿を少し脅したかっただけなのか、それとも最悪の事態を狙った依頼だったのかまでは分かりかねますが……」
与四郎は肩をすくめながらため息をついた。
「我が妹の紅子を狙うとは……俺への明確な当て付けか。舐められたものだな」
蜜柑の表情が険しくなり、室内の温度が一層下がったようなプレッシャーが広がる。
「……どうでしょうな。少なくとも、暗躍隊の本気度からすれば、本当に紅子殿を消す気で動いたわけではないのでは? あそこの本命筋の実力は黒侍組にも匹敵すると聞いておる。頭領の男も元は相当な腕の強豪侍だったはずだ。それなのに、おたくの黒侍組出身の若手がひとりで簡単にカタをつけてしまったというのは、どうにもおかしな話ですぞ」
与四郎は蜜柑に鋭い視線を投げかけた。
「確かに……。我が紅子に本気で手をかけるつもりなら、あそこの精鋭や頭領自らが表に出てくるのが筋だ。こちらにも黒侍組出身の腕利きは控えているのだからな」
蜜柑は深く腕を組み、不機嫌そうに息を吐き出す。
「西田川が言うにはですがね、あそこの頭領は、他ならぬ黒天殿と旧知の仲らしいですな。だからこそ、あえて経験の浅い新人の輩をあてがったのではないかと。表向きは依頼を受けたという形を作るための、いわば『茶番』ですよ。最初から失敗するのを見越していたとすれば辻褄が合う。紅子殿が、かつての知人の婚約者であるという配慮だったのかも知れませんな」
与四郎の言葉を受け、一同の視線がスッと黒天に集まった。
「……暗躍隊頭領の暗黒五助は、確かに私の知り合いです。黒侍組で一緒でした」
黒天は表情を変えず、淡々と事実だけを告げた。
「なるほど。ならば、黒天の実力はあいつも骨身にしみて知っているはずだ。それでもあえて新人を行かせたということは、『暗躍隊は夜桜や黒天に対して敵対の意図はない』と遠回しに伝えたかった……そういうことか」
蜜柑は納得したように目を伏せ、小さく頷いた。
「そういうことです。まぁ、裏の事情はともかく、実務は特殊治安部隊に任せておけばいい。今はおたくの方で下手に嗅ぎ回らない方が、事を荒立てずに済むかと」
与四郎が穏やかに進言する。
「恩に着る、与四郎殿」
蜜柑が静かに頭を下げると、それに倣うように黒天と冬華も揃って深々と頭を下げた。
政権の裏で巡る思惑と静かな駆け引きは、さらなる波乱の予感を孕みながら、次なる局面へと進んでいくのだった。




