第10話:蜜柑の深謀と、白夜の指導
夜桜一族本邸の奥居間。
重苦しい空気の中、夜桜蜜柑の前に高野瀬白夜と川神東真の二人が恭しく膝を突いていた。
その脇には、主の意を汲む月ヶ瀬黒天と、冷静に事態を見極める烏山冬華が静かに控えている。
「白夜。紅子の護衛隊に稽古をつけろ」
蜜柑は表情一つ変えず、淡々と白夜に命じた。
「……承知いたしました」
白夜もまた、それが己に課された当然の責務であるかのように、一切の淀みなく返答する。
「東真」
蜜柑の冷徹な視線が、深く頭を垂れる東真へと向けられた。
「情けなくないのか。お前は紅子を守る護衛隊の隊長だろう。……俺を失望させるな」
「……っ、申し訳ございません……!」
東真は悔しさに歯を食いしばった。
白夜から指導を受ける立場に甘んじるのは激しい屈辱だったが、路地裏で見せつけられた白夜との絶望的なまでの実力差、そして何より主である蜜柑を失望させかけた己の不甲斐なさに、言葉を返すことすらできなかった。
「……白夜。助手が必要なら、黒天の部下でも誰でも使いたい奴を使え」
「ありがとうございます。……感謝いたします」
白夜は深く頭を下げた。
その様子を横目で見ていた冬華は、心の中でそっと息をつく。
(まあ、ここで東真を解任して追放でもすれば、心優しい紅子様が傷つかれ悲しまれますものね。……けれど、そもそもなぜ紅子様の護衛隊には黒侍組出身の猛者が一人も配備されていなかったのかしら……?)
「失礼いたします。旦那様、雷刹様がお見えです」
扉の向こうから、部下の報告が響いた。
「客間に通せ」
蜜柑は短く答えると、立ち上がり際に東真を一瞥した。
「……東真。期待しているぞ」
静かな威圧感を残し、蜜柑は部屋を後にした。
静まり返った部屋に残された四人。
「……ハッ、余計な仕事を増やしてくれたものだな」
白夜が不機嫌そうに冷たい視線を東真へと注ぐ。東真は拳を固く握りしめたまま、何も言えず沈黙を守るしかなかった。
「白夜、そう言ってやるな」
重厚な声で制したのは黒天だった。
「……東真。白夜の指導は容赦がないが、筋力も剣技も的確だ。俺も今後、紅子様がお出かけになる際は可能な限り同行を優先するが、お前たちが底上げをしてくれると大いに助かる」
「……滅相もございません。行き過ぎた言動、失礼いたしました」
白夜は素直に黒天へ頭を下げた。
「……精進いたします」
東真もまた、黒天の言葉を胸に深く刻み込むように深く一礼した。
「……もし、次に刺客が送られてくるとしたら……『闇堕ち侍』たちかしらね」
顎に手を当て、冬華がふと懸念を口にした。
実力や腕前は確かでありながら、思想や素行の悪さから【黒侍組】に入城を拒まれた落人たち。どこにも所属できず、まともな組織からもあぶれた者たちがいつしか『闇堕ち侍』と呼ばれ、暗躍隊すら断るような陰湿で危険な裏仕事を請け負っている。
「……旦那様は、すでにそこまで見越しておられるのだろう。今回の失敗で暗躍隊は二度と動かん。となれば、次に雪花の手先として送られてくるのはそういった無法者たちだ」
黒天が冬華を見やり、低く答える。
暗躍隊の新人衆の次があるなら、間違いなく凄腕の闇堕ち侍たちが徒党を組んで襲いかかってくる。何人押し寄せるかも分からぬ猛者相手では、いくら白夜一人といえど限界がある。ならば、紅子直属護衛隊全体の火力を底上げするしかないのだ。
護衛隊の隊士を全員総入れ替えして黒侍組出身者で固めれば手っ取り早いが、せっかく紅子が心を許し、強い信頼関係を築いている今の護衛隊を解体すれば、繊細な紅子が動揺してしまう。
白夜に厳しく稽古をつけさせるのは、紅子に一切の心の負担をかけさせないための、蜜柑なりの不器用で思慮深い「策」であった。




