第7話:動揺する胸と、きな臭い話
「紅子が、襲われただと……?」
夜桜一族の執務室。
急ぎ足で駆けつけた報告を受け、蜜柑の顔にみるみる険しい怒りの色が浮かび上がった。室内の空気が氷のように冷たく張り詰める。
「……警護の者がいながら、私が同行できず、申し訳ございません」
黒天は蜜柑に対し、床に額がつきそうなほどの深々とした謝罪の意を示した。
「……兄様、黒天様、そんなに顔をしかめないでください。白夜様が駆けつけてくださいましたから、私はかすり傷ひとつありませんわ」
紅子は慌ててふたりの間に入り、静かに微笑んでみせた。
「……申し訳ありません、旦那様。我ら護衛隊だけでは敵の数に圧倒され、歯が立たず……。高野瀬白夜殿に助けていただきました」
東真も悔しそうに歯を噛み締めながら、蜜柑と黒天に頭を垂れた。
「いいえ、東真たちも命がけで守ってくれたわ。ありがとう」
紅子が東真に優しい笑みを向けると、東真は少し救われたような顔で頷いた。
その様子を静かに見守っていた蜜柑は、東真の隣に控えていた白夜に視線を向けた。
「……白夜。よくやってくれた」
蜜柑が、自ら部下を褒める。
「さすがだ、白夜。お前がいてくれて助かった」
黒天もまた、心からの信頼を込めて頷いた。
白夜は静かに一礼し、「はっ」と短く答えるのみだった。
「白夜様、本当にありがとうございました」
紅子はまっすぐに白夜を見上げ、心からの感謝を込めて微笑んだ。
「……礼には及びません。部下として当たり前のことをしたまでです」
白夜は淡々と答え、紅子に頭を下げ蜜柑の方へ向き直る。
(……すてき……)
その横顔を見た瞬間、紅子の胸のなかで、ふっと甘く激しい鐘が鳴ったような感覚が走った。
ハッと我に返る。自分には、今まさに目の前にいる黒天という正式な婚約者がいるというのに――。思いがけず心に浮かんだその言葉に、紅子は激しい戸惑いと動揺を隠せなかった。
◇
その頃、暗躍隊の隠れ屋敷。
「あーあ、負けちゃったかぁ。……まあ、いいか。あいつらまだ新人の半人前だしな。とりあえず、今日は褒美に寿司でも食わせとけ」
紅子の襲撃失敗の報告を受けた五助は、乾いた笑いを浮かべると、部下にそう軽く指示を出した。
任務に失敗して項垂れている新人衆を尻目に、五助は気楽なものだった。
そのまま、五助は単身で雪花一族の屋敷へと足を運んだ。
「暗黒殿! 聞きましたぞ! 暗殺の失敗とはどういうことですか……っ!」
待ち構えていたかのように、蓮雫が鬼の形相で怒鳴り声をあげる。
「……わりぃ。相手の護衛がちょっと手強かったわ」
五助は頭を掻きながら、全く悪びれもせずに肩をすくめる。
「暗躍隊が、あんな小娘の護衛ごときに後れを取るなど――!」
怒りで声を震わせる蓮雫を前に、五助は面倒臭そうに鼻をほじった。
「うーん、今回はまだ経験の浅い若い奴らを行かせきちまったからなぁ。次はもうちょい……って言いてぇところだが、あそこは夜桜の主力や黒侍組の連中がピリピリしてる。これ以上は割に合わねぇよ」
「……っ!」
五助の実力と、暗躍隊を敵に回した際の面倒臭さを嫌というほど知っている蓮雫は、それ以上強く出ることもできず、悔し涙を呑むように深く項垂れて大きく息を吐き出した。
雪花邸の重い門をくぐり抜け、夜の街へと戻ってきた五助は、夜空を見上げながらふと呟いた。
「……それにしても、夜桜蜜柑の野郎、表向きの権力闘争だけじゃなくて、百合花の神々や皇家の方々にまで裏で手を伸ばしてるとかな……。このきな臭い話を、あの雷刹のバカに知らせてやったほうが、この国はもっと面白くなるか?」
不敵な笑みを浮かべた五助は、夜の闇の中へと消えていくのだった。




