第5話:黒椿邸の密談と、微かな違和感
黒椿一族の本邸。
茶室の重厚な空気が漂う中、黒椿与四郎の向かいには、雪花一族の当主である雪花蓮雫が静かに腰を下ろしていた。
「どうされましたか。あなたがわざわざうちの屋敷に足を運ぶなんて、珍しいこともあるもんですな」
与四郎は湯呑みから立ち上る湯気を眺めながら、どこか探るような目を蓮雫に向ける。
「……用件は一つだ。夜桜の紅子殿と、月ヶ瀬黒天の婚姻の件についてですよ」
蓮雫は表情を一切変えず、淡々と切り出した。
「あー。まあ、あの夜桜家の話ですからな。相手が優秀な月ヶ瀬黒天となれば、周囲がざわつくのも無理はありませんがね」
与四郎は面倒くさそうにひらりと手を振る。
「黒椿家は、それで本当に大丈夫だと思っているのか? 夜桜蜜柑の独裁体制がさらに強化されれば、他の一族にとって脅威でしかない。あの一族がこれ以上勢力を伸ばすのを、ただ指をくわえて見ているつもりか」
蓮雫は鋭い視線で与四郎を見据える。
「……そうは言いましてもねぇ。うちは我が軍事部門と特殊治安部隊の運営において、夜桜側からの様々な恩恵を受けておりますのでなぁ」
与四郎は気まずそうに、ふっと視線を窓の外へと逸らした。
黒椿一族が国内の治安維持を一手に引き受け、特殊治安部隊を管轄に置けているのも、実は蜜柑の陰の采配や資金援助があってこそのものだった。実質的に、蜜柑が裏で黒椿一族をコントロールしていると言っても過言ではない。もっとも、現場で汗を流している特殊治安部隊総司令官・西田川柘榴はその事実を全く知らなかったが。
「……はあ。なるほど。……特殊治安部隊が夜桜一族の動向に対して妙に及び腰なのは、それが理由ですか」
蓮雫は納得したように息を吐き、さらに与四郎を鋭く追求する。
「……っ。ち、ちなみにですがぁ……! 百合花一族の動向も、あらかた蜜柑殿の息がかかっている部分がありましてなぁ」
これ以上追いつめられるのを恐れた与四郎は、自分から別の爆弾を落として話題をそらそうとした。
「なんと。……あの、国で神と祀られる姫巫女様であらせられる青藍様の嫁ぎ先まで、あやつが決めるというのか?!」
蓮雫の眉間に深いシワが寄る。
「………し、知らん。私は何も知らんぞ!」
与四郎は冷や汗を拭いながら、生きた心地がしなかった。
その二人の会話の気配を屋根の隙間から完全に消し、息を殺して盗み聞きしていた影が一つ。
(……とんでもねぇ情報を掴ちまったぞ。これはすぐに頭領にご報告しねぇと……!)
暗躍隊の情報収集担当の隊士は、音もなくスッと黒椿邸の屋敷を後にした。
◇
その頃、夜桜一族の本邸。
城下町からのデートを終えて戻ってきた紅子は、庭の縁側に立ち、夕暮れに染まり始める空をぼんやりと眺めていた。
「……紅子。戻っていたのか」
屋敷の廊下から、蜜柑が低い落ち着いた声で声をかける。
「兄様。先程、戻りましたわ」
紅子は慌てて振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「……楽しかったか?」
蜜柑は妹の顔をじっと見つめる。
「……はい」
紅子は静かに、しかし丁寧に頷いた。
「そうか。……婚姻の義が執り行われるまでに、しっかりとお互いの仲を深めておけ」
それだけ短く告げると、蜜柑は振り返り、足早に執務室へと消えていった。
紅子は再び視線を夕空へと戻す。
(……尊敬していますもの、黒天様とはきっとうまくやっていけますわ)
そう心の中で自分に言い聞かせた瞬間、紅子の胸の奥底で、ほんの小さな波紋が広がった。
「うまくやれますわ」と思った自分の言葉の裏に、なぜか言い知れない違和感があることに気づき、紅子はそっと自分の胸元に手を当てるのだった。
◇
一方その頃。
「……あの男め。このままでは夜桜一族の牙城が盤石になりすぎる。こうなれば、紅子をいっそ攫うか……それとも」
黒椿邸を後にした蓮雫は、冷たい夜風の中、二人の婚姻を物理的に、あるいは政治的に粉砕するための恐ろしい思案を巡らせ始めていた。




