第24話:交錯する視線と、それぞれの秘め事
夜桜一族の本邸。
すっきりと澄み渡る朝の空気の中、紅子と黒天は庭園の小道を並んで静かに散歩していた。
護衛隊の本格的な稽古が始まる前のわずかな時間。ふたりの少し離れた後方には、白夜と東真が控えて護衛についている。
ふと、紅子は一瞬だけ――本当に本人すら自覚のないほどほんの一瞬、後方に佇む白夜へと視線を泳がせた。
だが、常に周囲へ神経を研ぎ澄ませていた東真は、そのわずかな瞳の動きを確かに見逃さなかった。
(……え? なぜ、紅子様が白夜を……?)
思い返せば、道場で見学していた時も、紅子の視線の先にはいつだって白夜の姿があった。
胸の奥に湧き上がる言い知れぬ違和感を覚えながら、東真はそっと紅子と黒天の様子を窺う。
何事もなかったかのように、黒天と穏やかに言葉を交わす紅子。黒天の冗談に恥ずかしそうにはにかむその可憐な姿を、黒天は「愛らしい」と慈しむように見つめている。
しかし、そんな幸福そうな空気の中で、紅子は時折、ふと黒天から視線を外してしまうのだった。
(……?)
黒天は、胸の奥底から込み上げてくる理由のわからない苦い苛立ちに気づき、密かに困惑していた。
(ただ一瞬、視線を外されただけで……なぜ俺はこんなにも心が揺らぐ? 俺は紅子様に、一体何を求めているのだ……?)
自分にとって紅子は、命を賭して守るべき絶対的な主であり、守護の対象だ。こちらから何かを求めたり、心を要求したりする立場ではないはずなのに――。黒天は己の胸に生じた小さな影を打ち消すように、静かに息を呑んだ。
「……紅子様。少しあちらの縁台で休まれましょうか」
「ええ」
黒天に促され、ふたりは並んで縁台に腰を下ろし、遠くの青空を見上げた。
「……黒天様。あなた様のこと、もっと知りたいですわ」
紅子は愛らしく首を傾げて微笑んでみせた。
(近くに白夜様がいらっしゃるなんて、心臓が持ちそうにないわ……。ダメよ紅子、黒天様に集中しなくちゃ……!)
黒天は何を話せばよいか少し悩みつつも、困ったような優しい笑みを浮かべ、かつて特殊治安部隊で二番隊隊長を務めていた頃の昔話を静かに語り始めた。
そんなふたりの仲睦まじい(ように見える)姿を、屋敷の廊下の陰から侍女の莉子が見つめていた。
離れた場所に冷然と控える白夜の存在、そして紅子の秘めたる想いに胸を痛めながら、莉子は心の中で静かに祈りを捧げる。
(紅子様が……本当の意味で心からお幸せになれるお方と、どうか結ばれますように……)
◇
ところ変わって、城下町の賑やかな茶屋の店先。
「――さぐめ」
聞き覚えのある声に振り向くと、月影卓楼斗の腹心である中村遊士郎が立っていた。
名物の団子を美味しそうに頬張っていたさぐめは、実の兄の姿を見るなり「遊士郎兄様!」とパッと顔を輝かせた。
「実家に帰る時間がなくてな。悪かったな、わざわざ呼び出したりして」
遊士郎は妹の隣に腰を下ろし、すまなそうに苦笑いする。
「全然大丈夫! 今実家に帰っても、父様や蓮十郎兄様がうるさいもの」
ペロッと可愛らしく舌を出すさぐめ。
遊士郎とさぐめの実家――それは何を隠そう、あの【黒侍組】の総本山であった。
偉大な尊師・中村雷雲を父に持ち、一番上の兄・中村蓮十郎は次期尊師と目される剣術の一門。ちなみに、さぐめの姉は皇城で姫巫女に仕える女官でもある。まさに超エリート武芸一族の生まれなのだ。
「ふっ、あの夜桜本邸で蜜柑様直属の護衛を張っているお前に向かって、父上たちは一体何を言ってくるんだ?」
遊士郎が呆れ半分、可笑しそうに尋ねる。
「『いい加減に結婚相手くらい連れてこい』ってさー。本当に困っちゃう」
さぐめは困ったように苦笑いを浮かべた。
「……なんだ、相手はいないのか?」
運ばれてきた団子を一口かじりながら、遊士郎が何気なく尋ねる。
「……まあ、いるには、いるんだけど」
ふっと視線を落とし、少し照れたように答えるさぐめ。
「いるんかい。……夜桜一族の部下の男か?」
遊士郎はお茶を飲みながらニヤリと笑う。
「そうだけど……今はねぇ、あっちもいろいろと大変な時期だから」
さぐめの脳裏に、毎日泥まみれになりながら白夜の地獄の特訓に食らいついている東真の真面目な顔が浮かんだ。
「まあ、詳しい事情は知らんが……お前が一緒になりたいと思うような男なら、夜桜家からの後押しさえあれば、父上も兄上も文句は言わんだろうよ」
遊士郎は「いい相手を見つけたなら安心だ」と優しく笑い、さぐめの頭をぽんぽんと撫でた。
(ふふっ……。白夜殿が黒侍組の強豪侍だったっていう事実にすら、あんなに目が飛び出るほど驚いてたんだから……。もし私の実家が黒侍組の総本山だって知ったら、東真のやつ、泡吹いてひっくり返っちゃうかもなぁ)
温かいお茶を口に含みながら、さぐめは一人でクスリと愛おしそうに笑うのだった。




