第20話:無意識の「素敵」と、驚愕の事実
護衛隊の過酷な稽古の合間、束の間の休憩時間。
汗を拭っていた東真は、道場の端からこちらを見つめる可憐な人影――紅子の存在にふと気づいた。
稽古が始まって以来、彼女は頻繁にこうして見学に訪れている。自分たちのために足を運んでくれるその優しい心遣いに、東真の頬は自然と緩んだ。
(……紅子様、今日も来てくださっている)
誇らしい気持ちになりかけたその時、東真は違和感を覚えた。紅子の瞳の焦点が、自分ではなく微妙にずれているような気がしたのだ。
視線の先を追ってみると――そこにいたのは、腕を組んで隊士たちを睨みつける白夜だった。
(……ん? 前にお見えになった時も、白夜のほうをご覧になっていなかったか……?)
東真は不審そうに首を傾げた。
休憩が明け、白夜の容赦ない怒声と指導が再開された。
静かに見守っていた紅子は、観察するうちにふとある事実に思い至った。
白夜の言い方は極めて厳しく冷徹だ。しかし、彼は個々の動きを驚くほどの精度で見極め、瞬間的に「何がどう駄目なのか」を的確に指摘している。
「隙だらけだ!」と叫びながら一瞬でその隙に入り込んでみせるのも、身をもって自身の弱点を教え込もうとしているからこそなのだ。
武術に詳しくない紅子の目から見ても、彼がどれほど全体を、そして一人ひとりを深く見つめているかが痛いほど伝わってきた。
ただ厳しいだけの男ではない。冷徹な仮面の裏には、大切な護衛隊を確実に強く育て上げようという深い思慮と真摯な姿勢がある――。
自然と、その背中を目で追っていた。
「……素敵」
無意識のうちに、可憐な唇から小さく声が漏れ落ちた。
ハッと我に返った紅子は、血の気が引くのを感じて思わず両手で口を覆った。
(私……今、なんて……ッ!?)
自分には、兄から命じられた月ヶ瀬黒天という立派な婚約者がいるのだ。それなのに、他の男性……それも婚約者の部下に対して「素敵」だなんて心を奪われるような呟きをしてしまうなんて。
激しい戸惑いと恐ろしいほどの困惑が押し寄せ、紅子は慌てて周囲を見回した。
さいわい、熱心に稽古に集中している隊士も、離れた場所にいる黒天たちも、誰一人として彼女の呟きを聞いてはいなかった。
胸を撫で下ろしたものの、もう正視することができない。
白夜の凛々しい横顔へチラリと視線を戻すも、胸の鼓動があまりに激しく早鐘を打ち、紅子は耐え切れずに着物の裾をひるがえしてその場を走り去ってしまった。
◇
その日の稽古が終わり、夕暮れの庭。
東真は全身の筋肉が悲鳴を上げるような疲労感を抱え、ボロボロの体を引きずって歩いていた。
「東真、お疲れさま!」
木陰の向こうから、さぐめがひょっこり現れて手を振った。
「おう……さぐめか」
東真は力なく答えた。
「どう? 今日の地獄の特訓は」
近くの木陰に腰を下ろし、さぐめが楽しそうに尋ねてくる。
「相変わらず地獄だよ。……てかさ、あいつ『お前らが伸び悩んだら俺の評価に関わる』とか平気で言い放つんだぜ? どんだけ鬼畜なんだよ」
東真が自嘲気味に乾いた笑いを漏らすと、さぐめはクスクスと肩を揺らした。
「ふふ、相変わらず不器用な言い方しかできないのね。でもね、あの人は本当に見込みがないと判断した奴のことは、さっさと見切るわよ?」
「……見込み、あると思われてんのか? 俺たちが?」
東真が尋ねる。
「たぶんね。私の時も、途中で見切られて追い出された奴らが何人もいたもの。旦那様も、白夜殿が見切った人間は即座に護衛隊から解任してらしたし」
さぐめがサラリと恐ろしい事実を口にした。
「……まじかよ」
「だから、期待されてる証拠よ。良かったねぇ」
「……全然良くねぇわ! 分かりにくすぎるんだよ、あいつの優しさはッ!」
東真が我慢できずに大声で叫ぶと、さぐめは思わず声をあげて弾けるように笑った。
「まあ、でも白夜殿は元々【黒侍組】の強豪侍だった人だしね。そんな凄い人から直々に稽古をつけてもらえるなんて、本当はすごく貴重な機会なのよ?」
「………………は?」
東真の動きがピタリと止まった。思考が停止し、その場の空気が凍りつく。
「……まじかよッ!?!? 黒天様が強豪侍だったってのは知ってたけど、白夜までそんなバケモノだったのかよ!?」
「ちょっと! 今更!? 護衛隊隊長として情報不足すぎるでしょー!」
呆れ返ったさぐめが、お腹を抱えてケラケラと笑い転げる。
(そりゃあ……雲泥の差があるはずだわ……。勝ち目なんて最初からあるわけねぇだろ……)
圧倒的な実力差の理由をようやく理解した東真は、あの冷酷なまでに美しい剣豪の姿を思い浮かべ、力なく笑うしかなかったのだった。




