第19話:月影の観察眼と、賭博場の黒猫
月影一族の本邸。
薄暗い和室の奥で、情報と諜報を司る一族の当主・月影卓楼斗は、手元に届いたばかりの密書を静かに見つめていた。
「旦那様。雪花一族の本邸周辺に、特殊治安部隊の厳しい監視がつけられたようです」
腹心の中村遊士郎が、音もなく部屋に入り、静かに頭を下げる。
ちなみに、この遊士郎は蜜柑直属護衛隊に所属する中村さぐめの「2番目の兄」である。卓楼斗はその事実を承知の上で、優れた能力を持つ遊士郎を手元に置いて信頼していた。
「……ふむ。やはり雪花が先走り、無様な真似をしておったか。それにしても、雪花もいったい何を考えておるのやら。実行犯が暗躍隊などと知れれば、黒幕が誰であるかなんて一目で分かるものをな」
卓楼斗は、やれやれと言った様子で冷めたお茶を口に含んだ。
「ええ。夜桜一族に直接危害を加えれば、特殊治安部隊が即座に動くのは自明の理。ですが、雪花の老いぼれが裏で黒椿与四郎と夜桜一族の癒着構造に気づいていないのであれば……まあ、自業自得と言えますな」
遊士郎が淡々と分析を告げる。
「そうだな。……ところで遊士郎、妹とは最近会っておるのか?」
卓楼斗がふと、手元の茶碗を置きながら問いかけた。
「いえ、最近は任務が立て込んでおり会えておりません。ですが我が実家は、家族の誰がどのような立場についていようと、国の道理に反さぬ限りは互いの生き方に干渉しない方針ですので」
遊士郎は涼しい顔で答えた。
「そうか。まあ、お前の家族の誰かが国家の道理に反するような真似をすれば、我が家業の信用にも関わるからな。くれぐれも足元をすくわれるなよ」
卓楼斗の意味深な忠告に、遊士郎は深く一礼して部屋を下がっていった。
◇
その頃、街の裏通りにある怪しげな賭博場。
密かに変な他種族のジャルンが出入りしているその場所に、手のひらサイズの黒猫――ではなく、人間の少女の姿に変身したルシアンがひっそりと姿を現した。
「ジャルン様、ご無沙汰しておりますわ」
妖艶で整った美貌を持つ人型のルシアンが現れた瞬間、周囲で花札に興じていた暗躍隊の下っ端たちは、一様に彼女の美しさに目を奪われ、息を呑んだ。
「おっ? ルシアンじゃん。どうしたんだよ、こんなところに。大好きなご主人様は知ってんのか? お前がこんなとこにいるのをよ」
ジャルンはめくっていた花札の手を止め、不敵な笑みを浮かべた。
「そんなの言えるわけないじゃないですか。昔馴染みの顔を見に行くって、適当に誤魔化してきたんですわ」
ルシアンはふくれっ面をしながら、ジャルンの隣にドサッと腰を下ろした。
「あっそ。で、何の用だ?」
ジャルンが再び花札に視線を戻しながら聞き流す。
「人間って、本当に面倒くさい生き物ですわね。立場や組織が違うだけで、付き合う相手まで厳しく選ばなきゃいけないんだもの。あの方は……ただ、自分の好きな相手と、好きな時に自由に会いたいだけなのに……」
ルシアンは両膝を抱え、寂しそうに小さく呟いた。
「そりゃそうだな。まあ、お前の主人は特殊治安部隊の上層部って大層な立場だからな。それがどうしても嫌なら、組織なんかさっさと辞めちまえばいいだけなんじゃねぇの?」
ジャルンがまるで他人事のように鼻をほじりながら言う。
「……もう! あの方は、上官の西田川様も同じくらい大好きなのよ!」
ルシアンはカッとなってジャルンの袖を強く掴み、揺さぶった。
「おいおいジャルン? その可愛い子ちゃんは一体誰なんだよ? ジャルンにそんな生意気な態度をとって、無事で済むような立場なのか?」
周りで見ていた暗躍隊の下っ端のひとりが、慌てて間に割って入るように口を挟む。
「俺らは身分や立場とかでそんな堅苦しく怒ったりしねぇよ。一応、組織の序列はあるけどな。まあ、頭の雷刹様にこんな態度をとったらめっちゃ怒られるけどよ」
ジャルンはケラケラと笑い飛ばす。
「ルシアン、まあそう落ち込むなよ。さっさと主人のところに帰りな。お前がそばで見張っててやれよ」
ジャルンは、すっかり元気をなくしたルシアンの頭を、乱暴だがどこか優しく撫でた。
「……はぁい」
ルシアンは力なく返事をすると、ふと目の前で行われている賭け札に目を向け、ため息をつきながら暗躍隊の下っ端の手前にある花札の1枚をツンと指差した。
「……あん? なんだよそれ」
下っ端が怪訝そうにルシアンを見る。
「……こっちにしなさいよ。勝てるから」
ぶっきらぼうにそう告げると、下っ端は首を傾げつつも、ルシアンが指差した札をそっとめくった。
「――おぉっ!? すげぇ! 姉ちゃん、すげぇじゃねぇか!」
次の瞬間、賭博場の一角から歓喜の雄叫びが上がった。ルシアンが適当に選んだその1枚が見事に当たり、大勝したのだ。
周囲の喝采をよそに、ルシアンは「もう帰りますわ」と不機嫌そうにつぶやくと、満足したのかその場からパタパタと立ち去っていった。
(……莫才様。あなたが本当にそばにいたいと願っているのは、一体どちらなの……?)
頭の中で、厳しくも優しい上官の「西田川柘榴」と、昔から何かと腐れ縁の元同僚「暗黒五助」の二人の顔を思い浮かべながら、ルシアンは切なげに深い溜息を一つ吐くのだった。




