第91話 俺たちが選ぶ道
見取り図を広げると、テッサは真っ先に、弓を見つけた建物を指した。
「この奥」
「まだ部屋があるから?」
「うん。武器が置いてあったなら、防具もあるかもしれない」
理由がはっきりしていた。
林の依頼を終えた俺たちは、報告と精算を済ませ、ギルドの長机を借りていた。机の上にあるのは、迷宮から持ち帰った金属板の写しだ。
実際に歩いたところには色が付けられ、通れなかった場所には印がある。元の図で線が途切れているところは、そのまま残されていた。
リオが、テッサの指の少し先へ目を向けた。
「僕は、こっちが気になる」
建物の横から伸びた線の先に、大きな四角があった。
中には小さな四角が重なり、脇に細かな刻みが続いている。階段のようにも見えたが、それだけでは何の場所か分からない。
「ここまで行けば、周りの道が見えるかもしれない」
「広そうだな」
俺は図を少し回した。
四角へ入る線は一本ではなかった。
俺たちが歩いた回廊へ戻る道。その反対側から延びる道。それに、図の端へ向かう線もある。
いろいろな場所へ繋がっている。
そう思うと、部屋の数より、そちらが気になった。
「俺も、ここを見たい」
「二対一?」
テッサが顔を上げた。
「順番の話だよ。建物を通るんだから、奥も見られる」
リオが答えると、テッサは頷いた。
「じゃあ、帰りに」
まだそこへ行けると決まったわけではないのに、帰りの予定までできた。
俺は笑って、図の四角をもう一度見た。
今までは、案内された道の先に何があるかを見てきた。
今日は、自分たちで行き先を選んでいる。
「ずいぶん楽しそうだな」
横から声がした。
顔を上げると、カイルが立っていた。
◇
カイルの靴には白い泥がついていた。肩から下ろした袋も、底の方が汚れている。
後ろには仲間たちがいて、一人が買い取りの窓口へ向かった。
「帰ってきたところか?」
「ああ。そっちは?」
「林の仕事。今は、次に行くところを考えてた」
カイルは机へ近づき、見取り図を覗いた。
「それ、橋の向こうか」
「俺たちが見つけた古い図の写し。歩いたところは、この色」
俺が指で辿ると、カイルは途中で顔を上げた。
「その弓も、そこで?」
リオが頷いた。
「建物の中にあった。直して、引き取ったんだ」
「いい物、見つけてるな」
「そっちは?」
カイルは足元の袋を軽く叩いた。
「売れる物は拾ってきた。地味だけど、袋を空で帰すよりいい」
「重そう」
テッサが言う。
「重いぞ。持つか?」
「分けてくれるなら」
「運ぶ話だ」
俺たちが笑うと、買い取りへ向かった仲間が振り返った。
「カイル、それも持ってきてくれ」
「今行く」
袋を渡して戻ってくると、カイルは図の端を指した。
「ここ、何がある?」
「分からない。次はそこを見たいって話してた」
「四角の横に、階段みたいなのがあるだろ」
「ああ」
「今日、似た場所を見た」
俺は椅子を引いた。
カイルが座り、自分たちの簡単な地図を取り出す。
俺たちの写しより線は少なかったが、角の曲がり方や、目印になる柱が細かく書き込まれていた。
知っている分岐を合わせ、二枚を並べる。
カイルたちは、俺たちが橋へ向かった道とは別の枝道を進んでいた。
「この細いところを抜けると、上が開ける。向こうの壁に階段が見えた。その隣に、でかい鎖が下がってたんだ」
「鎖?」
「何本も。下は暗くて、全部は見えなかった」
リオが身を乗り出した。
「入口は、壁の途中?」
「ああ。俺たちの側は、その先の床が欠けてる。正面には出られなかった」
カイルは自分の図へ小さく線を引いた。
「渡る道具も時間も残ってなかったから、そこまでにした。次に行くなら、あの手前で荷物を減らしてからだな」
袋が膨らんでいた理由が分かった。
何もできずに戻ってきたわけではない。採れる物を集め、進めるところまで進み、次に必要なものを持ち帰ってきた。
俺は二枚の図を見比べた。
位置は近い。
ただ、高さまでは分からなかった。
「俺たちの道からなら、反対側へ出られるかもしれない」
「そう思って声をかけた」
カイルが言った。
「そっちから見て、道が繋がってたら教えてくれ。こっちの記録も写していい」
「いいのか?」
「お前らの図も、そこまで見せてもらったしな」
俺は頷き、紙を寄せた。
知らない場所が、二人の話の間で少しずつ形になっていく。
カイルが見たのは、鎖のある広い空間だった。
俺たちの図には、道が集まる大きな四角がある。
もし同じ場所なら、見に行く価値は十分にあった。
◇
「荷揚げ場、という読み方はできそうです」
図を調べていた職員は、四角の脇にある文字を示した。
「ただ、今もそう使える状態かは分かりません。あなたたちが見た武器置き場と合わせると、物資を運び込んでいた区画かもしれませんね」
荷揚げ場。
鎖と、階段。
俺は古い料金所の箱を思い出した。使い方が分かると、ただの金属の塊だったものが、誰かの仕事に使われていた道具になる。
今度は、部屋そのものだった。
職員にカイルの話も伝えると、二つの記録を照合することになった。
「今度は調査の同行ですか?」
聞かれて、俺は二人を見た。
テッサとリオが頷く。
「三人で行こうと思っています。歩いた道を使って、荷揚げ場まで」
予定する経路を伝えると、職員は最近の報告を確認してくれた。今のところ、その道に新しい通行止めはないという。
俺たちは出発日と帰る予定を書き、写しを受け取った。
長机へ戻ると、カイルが立ち上がるところだった。
「決まったか?」
「荷揚げ場を見てくる」
「箱があったら?」
テッサが先に答えた。
「開けられそうなら、私たちが見る」
「道の情報だけじゃなくて、そこも分けろよ」
「袋、分けてくれなかったでしょ」
カイルは笑った。
俺は写した地図を畳み、鞄へ入れた。
「戻ったら、どこへ出たか話す」
「ああ。こっちも、先を見たら教える」
別々の道へ行くのに、少しだけ一緒に冒険するような気がした。
◇
翌日は装備と消耗品を整え、その次の朝、俺たちは三人で迷宮へ入った。
マレナたちはいない。
前を歩く人がいなくなっただけで、見覚えのある分岐でも、一度立ち止まって確かめたくなった。
それでも、歩く場所が分からないわけではなかった。
橋の手前では、リオが遠見筒を使って向こう岸を見る。テッサが背後を見ている間に、俺は足元と手掛かりになる縄を確かめた。
橋を渡り、中庭へ回る。
丸い水槽には、今日も細い水が流れ込んでいた。
「ここで槌を見つけたんだよね」
テッサが、奥の建物へ目を向けた。
「今日は寄る?」
俺が聞くと、彼女は首を振った。
「帰りの時間があったら。先に、決めたところへ行こう」
水の通る道を辿り、石段を上がる。
三つの水槽のある広間を抜けると、開いた大扉の向こうに作業室が見えた。
俺たちが図を見つけた棚は、前と同じように崩れていた。
そこにあった板の写しが、今はリオの手元にある。
「合ってる。次は窓のある廊下」
リオが言った。
前に来たときは、あの窓から見えた建物が遠く感じられた。
今日はそこまで歩いていく。さらに、その先へ。
俺たちは回廊へ下り、武器の残る建物へ入った。
新しい物音は聞こえなかった。
前回確かめた部屋を抜けると、横の通路に、低い石の敷居があった。
その向こうは、まだ歩いていない。
リオが図を畳んだ。
「ここからだね」
俺は頷き、灯りを前へ向けた。
◇
通路には、荷車の車輪が通ったような浅い溝が二本残っていた。
途中から天井が高くなり、壁際に石の台が並ぶ。台の上は空だったが、その下には木片や錆びた金具が溜まっていた。
俺は短槍の後ろをテッサへ向けないよう、少し横にずらして歩いた。
リオは弓を手に持ち、俺の肩越しだけではなく、壁のくぼみや高いところにも目を向けている。
林での戦いのあと、見る場所が少し変わったようだった。
道が二つに分かれた。
左は低く、右は広い。
俺は右へ足を向けかけたが、リオが図を開いた。
「荷揚げ場は左。右は、別の部屋へ続いてる」
テッサが右の通路を覗いた。
「広い方が、荷物を運ぶ道じゃないの?」
「図では、左側が上へ出るみたい」
俺は灯りを低くした。
左の入口は梁が下がっているだけで、その先には石段が見えた。右の床には車輪の溝が続き、緩く下っている。
「人と荷物で、道が違うのかもしれないな」
荷物なら広い方。
人なら階段。
同じ場所へ向かう道でも、使い方が違えば分かれるのだろう。
俺たちは左へ進んだ。
石段を上がり切る少し前に、足元へ弱い震えが伝わった。
俺は手を上げた。
二人が止まる。
もう一度、靴底を確かめた。
水音に合わせているようにも感じる。けれど、ここまで来る間にも、水の流れる音はずっと聞こえていた。
「何か来る?」
テッサが小さく聞いた。
「分からない。足元が少し震えた」
リオが前を覗き、俺も灯りを高くした。
石段の先には、天井が見えないほど広い暗がりがあった。
その中で、長い線が一本、光を返した。
鎖だった。
◇
階段を上がると、広い石の足場へ出た。
中央は大きく抜けていて、低い石柵の向こうに下の床が見える。四本の太い鎖が、頭上の滑車から下りていた。
その先には、木と金属を組んだ大きな台がある。
板は何枚も抜け落ち、片側の枠は歪んでいた。台は下の床近くで傾き、今は動いていない。
「これで上げてたんだ」
テッサが見下ろした。
俺は上の滑車を見た。
荷物を満載した台が、あの鎖に吊られて上がってくる。周りには受け取る人がいて、台車へ載せ替え、武器置き場や作業室へ運んでいったのかもしれない。
誰もいないのに、人が働く姿を少し想像できた。
「自分で運ばなくていいなら、楽そう」
「動かす人は大変だったんじゃないか」
「じゃあ、私は荷物を受け取る方がいい」
「そこから運ぶんだぞ」
テッサは下の台を見て、少し考えた。
「……休憩の鐘を鳴らす係は?」
「それだけの仕事があったら、俺もやりたい」
リオが笑いながら、向かいの壁を指した。
「あっち、入口がある」
高さの違う二つのアーチが見えた。
上の入口は、手前の床が欠けている。下の入口からは壁沿いに階段が伸び、途中の踊り場を経て、俺たちの足場と同じ高さへ続いていた。
リオが遠見筒を出す。
「上の方、端が大きく落ちてる。カイルが言ってたの、あそこかもしれない」
俺も順番に覗いた。
欠けた床の向こうには暗い通路がある。その手前の石へ、白い短い線が引かれていた。
自然についた傷とは違う。
誰かが、ここまで来た。
俺は筒を下ろした。
「繋がってたな」
「まだ、あそこまでは歩いてないよ」
リオが言った。
「うん。でも、同じ部屋を見てた」
俺たちは足場の広いところへ戻り、見取り図を広げた。
カイルの記録を脇へ置く。
四角の横の刻みは、やはり階段だった。二枚の図に別々に描かれていた道が、今いる場所で向かい合っている。
テッサが紙の端を押さえた。
「カイルたちからは、私たちのいるところが見えたんだね」
「灯りがあれば、見えると思う」
リオが向かいの入口を見た。
今は誰もいない。
それでも俺は、そこに立ってこちらを見るカイルを思い浮かべた。
こちら側に道があるのに、向こうからは渡れない。
そんな場所を見つけて、次はどうしようかと考えながら帰ったのだろう。
俺は紙へ、今いる足場の位置を書き足した。
帰ったら、まずこれを見せよう。
俺たちの道からは上段へ出られた。下には荷台があり、向かい側へ続きそうな階段もある。
教えてもらった場所へ、別の方向から辿り着けた。
「次、どうする?」
テッサが聞いた。
俺は下の床へ目を向けた。
荷台の周囲には、台車の枠や壊れた箱が残っている。その先には、図の端へ向かう通路が口を開けていた。
リオは、足場から下りる階段を見ていた。
「まず、下へ降りられるか確かめたい。ここからなら、途中まで見える」
「私も。台の裏側、何があるか見たい」
俺は図を折り畳んだ。
今日は誰かの背中を追って、ここへ来たわけではなかった。
次に向かう場所も、三人とも見ている。
「じゃあ、下へ行こう」
短槍を持ち直すと、テッサが盾を前へ回した。リオは図をしまい、代わりに弓を取る。
俺たちの灯りが、まだ色の付いていない階段の、一段目を照らした。




