第79話 任せられる隣
「どっちが先に終わるか、勝負する?」
道が二つに分かれたところで、俺が言うと、カイルは肩をすくめた。
「報酬が増えるならな」
「増えない」
「じゃあ、普通にやる」
少し笑ってから、俺たちは依頼の見取り図を広げた。
今日の仕事は、果樹園の奥にある二本の作業道を使えるようにすることだった。見回りで、それぞれに鎌脚グモが一体ずつ確認されている。
人が通らなくなった細道へ入り込んだらしい。二か所を片づけるため、ギルドは俺たちとカイルたちを同じ日に手配した。
俺たちは東側。カイルたちは西側。
道の間には低い斜面があり、木々の向こうから声は届く。ただし、姿はほとんど見えない。
「戻るのは、ここでいいな」
カイルが分岐の杭を指した。
「ああ。別の個体を見つけたら、まず知らせる。相手の区画へ追い込まないように」
「終わったら声をかける。返事がなくても、勝手にそっちへ入らない」
向こうの仲間も頷いた。
昨日までなら、早く倒した方が上だと、少しは思ったかもしれない。
だが、木の向こうから急に別の冒険者が走ってくる方が、今日の俺たちには困る。
カイルは地図を畳み、西側へ足を向けた。
「じゃあ、あとで」
「そっちもな」
俺たちも、東の道へ入った。
◇
出発前、俺は宿の裏で小石を二つ並べていた。
大きさも重さも、なるべく近いものを選んだつもりだった。袋へまとめて入れると、取り出す時に一つだけ掴めず、結局、両方とも掌へ出てしまう。
その間、槍は片手だった。
「まだ?」
テッサに聞かれ、俺は顔を上げた。
「今、置く」
「その間、ずっと待つんだよね」
言われてみれば、その通りだった。
石を選ぶ。取り出す。地面へ置く。槍を握り直す。
《石弾》を使う前に、これだけ手間がある。
石柱区画では、準備をしている間に相手が近づいてきた。魔法が出るまでだけ覚えても、そこへ辿り着けなければ使えない。
俺は袋の口を結び直した。
「戦う場所を決められるなら、先に置く」
「置いたところから動いたら?」
「その時は、無理に戻らない」
石一つを使うために足を止めたら、何のための魔法か分からなくなる。
リオが地面の小石を見た。
「使う前に、どこへ飛ばすか言って。僕もそっちを見られるから」
俺は頷き、二つの石を拾った。
その二つが、今は腰の袋に入っていた。
◇
東側の鎌脚グモは、倒れた木の根元にいた。
木は道を完全には塞いでいない。左側には人が通れる幅があり、その先へ細道が続いている。
糸は幹と周囲の枝に渡され、何枚かの葉が宙に浮いていた。
俺たちは手前で止まった。
リオが道の右側を確かめる。枝を寄せれば、そこに小さな空間が作れそうだった。
「ここなら、弓を引ける」
「俺とテッサは道の上だな」
足元の糸を確かめ、下がれる場所を空ける。
鎌脚グモは、こちらを向いていた。まだ倒木の陰に身体の半分が隠れている。
俺は根の出ていない平らな土へ、小石を一つ置いた。
もう一つは、少し離れた後ろ。
どちらも、自分が下がる時に踏まない位置にした。
「一つはここ。後ろにも置いた」
テッサが目で確かめた。
「飛ばす時に言って」
「ああ」
リオが矢をつがえ、横へ動く。
木の陰から出ていた歩脚へ、最初の矢が入った。
鎌脚グモが身体を跳ねさせる。倒木を回り、長い前脚を広げて道へ出てきた。
俺は槍を向けたまま、最初の石の後ろへ下がった。
相手が近づく。
術式へ意識を向けかけたところで、鎌脚が大きく開いた。
まだ遠いと思っていた先端が、穂先の近くまで伸びてきた。
俺は魔法をやめ、槍を引いた。
前脚が空を切る。
「下がる!」
テッサが盾を前へ出し、俺が離れる分の場所を作った。
小石は、相手の足元になった。
取り戻そうとは思わなかった。
俺は後ろへ回り、二つ目の石の位置を確かめた。
鎌脚グモはテッサへ向き直っていた。盾の縁を狙い、曲がった前脚を伸ばす。
テッサは大きく受け流そうとせず、半歩ずつ足を動かした。縁へ回り込まれる前に、盾の面を合わせ直している。
硬い音が続いた。
全部を正面で受け続けられるわけではない。三度目には盾の端を掠められ、彼女が肩を引いた。
「ずっとは無理!」
「分かってる!」
俺は二つ目の石の後ろで足を止めた。
今度は、相手が俺へ踏み込んでいない。
テッサは道の左。鎌脚グモは中央。リオは右側の枝の間にいる。
盾へ伸びた前脚が、地面に近いところを横切った。
「石、前脚へ!」
テッサが盾を押し出した。
鎌脚グモが身体を引き、その片脚が一瞬、低く伸びる。
俺はそこへ《石弾》を放った。
小石が土を跳ね、黒い脚へ当たった。
短い音がした。
脚を折るような勢いはない。石はそのまま横へ落ちた。
それでも、伸びていた前脚がわずかに縮んだ。
その隙間へ、リオの矢が入った。
胴の横へ刺さり、鎌脚グモが向きを変える。前脚が弓の方へ開いた。
今度は、俺の前が空いた。
槍は、もう両手で握っていた。
俺は一歩だけ踏み込み、胴の前へ突いた。
刃が入る。相手の身体が沈んだところで引き戻し、すぐに距離を取った。
鎌脚が地面を叩く。
テッサは盾を向けたまま、追わずに下がった。リオも次の矢をつがえ、暴れる脚が止まるまで待っている。
やがて、落ち葉の動く音が消えた。
俺は息を吐いた。
額に汗が浮いていた。槍を突いた疲れだけではない。石を飛ばす前から、身体のどこかを余計に使っていたような重さがある。
「一個、置いてきたね」
テッサが言った。
「使う余裕がなかった」
「二個目は使えた」
俺は足元を見た。
一つ目の石を用意した時には、これで前より早く使えると思った。
実際には、相手が動く方が早かった。
それでも二つ目は、テッサが前にいたから使えた。リオも、石を当てた先を見てくれていた。
「一人じゃ、まだ難しいな」
「一人で全部やる必要、ある?」
テッサに聞かれ、俺は首を振った。
「ない。ただ、頼む時間を短くしたい」
彼女は少し考え、それから頷いた。
「それは助かる」
◇
西側から声が届いたのは、俺たちが周囲を確かめている時だった。
「こっちは終わった!」
カイルの声だった。
俺も返事をした。
「こっちも一体倒した! 今、ほかにいないか見てる!」
「分かった! 分岐で待つ!」
それきり、向こうから足音は来なかった。
俺たちは残った糸を調べ、倒木の向こうまで確かめた。別の個体は見当たらず、作業道へ入れる状態になったことを記録する。
リオが回収した矢を包み、テッサと俺で通り道の枝を寄せた。
戻ると、カイルたちは杭の近くに座っていた。
仲間の一人が袖についた糸を取っている。カイルは俺たちを見て立ち上がった。
「怪我は?」
「ない。そっちは?」
「こっちも」
それだけ聞いて、少し気が緩んだ。
「先に終わったの、そっちか」
俺が言うと、カイルは西の道を指した。
「向こうは広かった。横へ回れたからな。そっちは?」
「狭い。前に出る場所が限られてた」
「じゃあ、次はそっちをやってみたいな」
カイルは見取り図を広げた。
倒木の位置と、糸があった場所を尋ねられ、俺は紙へ書き足した。向こうの区画についても、カイルが木と石垣の位置を描いた。
同じ魔物を相手にしたのに、話を聞くと動き方が違った。
「前に下がった時も、こうやって描けばよかった」
カイルが紙を見ながら言った。
「どこで詰まったか、口で話すと全員ちょっとずつ違うんだよ」
「分かる。俺も、戻れると思ってた場所に盾がある」
「私は先にそこにいたんだけど」
テッサが口を挟み、向こうの仲間が笑った。
カイルも笑ったあと、紙の端を押さえた。
「次は、もう少し奥へ行くつもりだ。風の迷宮」
俺は顔を上げた。
「どこまで?」
「まだ決めてない。案内を聞いてから。でも、入口だけで終わるつもりはない」
俺たちが踏んだ石柱区画の、その先にも道は続いている。
俺は地図から目を上げた。
「俺たちも、行きたい」
「だったら、先に見つけても全部取るなよ」
「何を?」
「いいもの」
今度は俺が笑った。
「それは約束できないな」
◇
ギルドで報告を済ませたあと、俺たちは風の迷宮の依頼を見に行った。
以前より読めるものが増えていた。
通路の確保。資材の搬入。探索隊への同行。
その中に、下へ続く連絡路の調査補助があった。
先行調査で通行できることは確かめられているが、分岐や休める場所を詳しく記録する必要があるらしい。
責任者は銀札。
鉄札の組も、補助として参加できると書かれていた。
「これ、俺たちでも話を聞けますか」
受付へ持っていくと、職員は札を確かめ、依頼の説明をしてくれた。
前を進む組にただ付いていく仕事ではない。
帰り道の確認、灯りの補助、後方の警戒。状況によっては、自分たちの受け持つ場所で魔物に対処する必要もある。
「参加は面談と装備の確認をしてからです。今日は説明用の図をお渡しできます」
差し出された紙には、見覚えのある石柱区画が描かれていた。
その先で道が折れ、階段の印へ続いている。
俺は紙の続きを見た。
「銀札の人たちは、この先も仕事場なんですね」
「そうですね。ただ、等級が上がっても、初めて入る場所は調べながら進みます」
「俺たちも、いつか自分たちで受けられるようになりますか」
職員は俺たちを見た。
「それを目指すなら、討伐だけでなく、探索の実績も積んでください。誰かに後ろを任せてもらえることも、その一つです」
カイルたちが、西の道を任せてくれたことを思い出した。
姿が見えなくても、向こうを気にせず自分たちの仕事を続けられた。
俺たちも、そう思われていたなら嬉しかった。
説明図を受け取り、参加の相談をする日時を確かめた。
まだ、申し込みが通ったわけではない。
それでも、次に知りたい場所は決まった。
◇
宿へ戻ると、俺たちは食事のあとで図を広げた。
灯りのそばへ紙を寄せ、石柱区画に小石を置く。次に、集光灯を見つけた場所を、別の図と見比べた。
「ここなら、戻る時に分かるね」
リオが道の曲がり方を書き留めた。
「荷物を持って下りたら、帰りは上りか」
テッサが階段の印を指した。
「そうなるな」
「行きに楽でも、喜ばないようにしよう」
俺は頷いた。荷運びを続けてきた人間の意見だった。
窓の外では、街の灯りが増えていた。昼間歩いた丘は、もう暗くて見えない。
俺は地図の、階段より先を指した。
そこには、まだ細かな線がなかった。
「この先、広い場所があるといいな」
「どうして?」
リオが聞いた。
「三人で並んで見られるから」
暗い通路を一列で歩くのも、もう少しは慣れた。
けれど、南の丘で川を見た時のように、同じものを見て、すぐ隣の顔を見られる場所にも出たい。
テッサが椅子を寄せた。
「宝箱があれば、もっといい」
「それも、並んで開ける?」
「ノルが一人で覗いたら、後ろから押す」
「それはやめろ」
リオが笑った。
俺も笑いながら、地図の白い部分へ目を戻した。
銀札になったら、そこまで行けるのだろうか。
その前に、鉄札の今でも覚えられることは、まだたくさんある。
まずは、この階段の下へ。
俺たちは灯りを少し近づけ、次に持っていく道具を数え始めた。




