第78話 自分で作る射線
鎌脚グモの討伐報告を済ませると、買い取りの職員は俺たちの持ち帰った糸を見て、少し惜しそうな顔をした。
「枝ごと巻いたんですね」
「手で触ると絡まりそうだったので」
「判断は悪くありません。ただ、使える糸を取り分けるのに手間がかかります」
机に広げたものは、糸というより枯れ枝の塊だった。取り除いた際に絡んだ葉や土が、あちこちへ付いている。
道から退けることばかり考えていたので、売り物として見ると、確かにひどい。
「これ、何になるんですか?」
リオが聞いた。
「丈夫な縫い糸や、細い組紐です。加工の仕方によっては、弓の弦に混ぜることもありますよ」
リオの目が、糸へ戻った。
さっきまで道を塞いでいたものが、急に別の品物に見えたらしい。
「そのまま張るわけじゃないんですね」
「ええ。洗って、選り分けて、撚って。使えるようにするのは職人の仕事です」
職員は小さな木枠を取り出した。両端に浅い切れ込みがあり、糸を巻き取れるようになっている。
「次に採るなら、きれいなものだけを別に。何でも一緒に丸めるより、こちらの方が助かります」
リオは木枠の形を確かめ、代金を聞いた。
矢を直す店へ寄る前に、買い物が一つ増えた。
◇
翌日は、武器の手入れと矢の修理に使った。
その次の朝、俺たちは南の果樹園から出された依頼票を見ていた。
鎌脚グモが一体。
石垣沿いの作業道に入り込み、道具置き場へ近づけなくなっている。前回とは離れた場所だが、同じ魔物だった。
「今度は、糸もきれいに持って帰りたいね」
リオが言った。
「先に倒してからな」
「分かってる」
返事を聞きながら受付へ向かおうとすると、入口から見覚えのある一団が入ってきた。
先頭のカイルと目が合った。
「ノル?」
「久しぶり」
向こうも俺の胸元を見た。鉄札へ目を留め、それから短槍へ視線を移す。
「その槍、もう使ってるんだな」
「ああ。まだ、うまくいかないことの方が多いけど」
「使う前からうまいやつはいないだろ」
カイルは笑った。
仲間の一人が先に報告の列へ並ぶ。彼が持っていた袋の底は土で汚れ、カイル自身の袖にも細かな擦り傷があった。
「仕事帰り?」
「昨日の分の報告。戻ったら遅くなってな」
「うまくいったのか?」
「今度はな」
言ってから、カイルは肩をすくめた。
「前に引き返したの、無駄にはしたくなかったから。次に入る前に、立つ場所を決め直した」
俺は頷いた。
一度下がった場所へ戻るのは、初めて行くのとは違う怖さがあるだろう。
「武器も替えた?」
「そこまで金はない。まず、後ろの奴が通れる場所を空けた」
その答えに、テッサが小さく笑った。
「それ、大事だよね」
「そっちは?」
「今日はクモ」
テッサが依頼票を見せた。
カイルは絵を見て、盾へ目を移した。
「脚、引っかからないか」
「引っかかった」
「もうやったのかよ」
「だから、今日は同じところに引っかけさせない」
言い切ると、カイルは少しだけ真面目な顔になった。
「戻ったら聞かせてくれ。うちも、いつか当たるかもしれない」
「そっちの話も聞きたい」
「ああ。次は、こっちが驚かせる」
軽く手を上げ、彼は仲間の方へ歩いていった。
俺はその背中を見送ってから、受付へ向き直った。
向こうも、前に会った時と同じ場所にはいないらしい。
◇
果樹園の主人は、途中の分岐まで案内してくれた。
そこから先は石垣に沿って道が続き、奥に小さな道具小屋がある。木の枝と小屋の軒の間に糸が張られ、鎌脚グモはその下へ居ついたという。
「昨日は、あの石の近くにいた。今朝は近づいてない」
俺たちは主人に離れて待ってもらい、道へ入った。
前回より明るい。木と木の間も広く、左側には枝を片づけた空き地があった。
リオが足を止めた。
「小屋の右。軒の陰」
焦げ茶色の胴が、木箱の上に見えた。
前脚を畳んでいると、枝の一部のようだった。だが、俺たちが止まると、頭に近い部分がわずかに動いた。
前回と同じ、一体。
地面にも糸がある。木箱と石垣の間を低く横切り、小屋の入口近くへ何本も集まっていた。
「右からは行けないな」
俺が言うと、リオは左の空き地へ目を向けた。
「こっちを確かめたい」
枝を一本拾い、歩く先の低い場所へ差し出す。糸が絡むところはない。石垣から離れた範囲を見てから、リオは小屋を振り返った。
木箱までの間に、邪魔な枝は一本。
少し横へ動くと、その枝も射線から外れた。
「最初、僕にやらせてくれる?」
俺はリオを見た。
「一人で?」
「射って、動くところまで。近づかれたら、呼ぶ」
テッサが空き地と道を見比べた。
「逃げるのは、どっち?」
「左。あの切り株の手前を通る。二人は道の方にいてほしい」
リオが自分の足で、下がる場所を確かめた。
俺は頷いた。
「俺は石垣側を見る。そっちへ回られたら出る」
「私は、ここ。戻ってくるなら分かるように言ってね」
テッサが盾を構えた。
リオは弓を持ち直した。
いつもなら、俺かテッサが前へ出る。リオはその後ろで、射てる場所を探す。
今日は順番が違った。
先に立つ場所を選び、俺たちへいてほしい場所を伝えてから、矢をつがえていた。
鎌脚グモが、前脚を開いた。
リオはすぐには引かなかった。
木箱の上で身体が向きを変え、手前の脚が胴へ重なる。そこを狙えば、前回と同じように邪魔されるだろう。
リオは腰を少し落とし、一歩だけ右へ動いた。
相手の身体が、さらに向き直る。
その途中で、弦を引いた。
矢は前脚の後ろへ入り、胴の横へ刺さった。
鎌脚グモが木箱を蹴った。
「来る」
リオの声は小さかったが、はっきり聞こえた。
相手は糸の張られた場所を抜け、空き地へ走り込んだ。前脚が上がる。俺は槍を握り直した。
リオは次の矢を持ちながら、左へ移動していた。
弓を引いたまま逃げようとはしない。足元を一度見て、切り株の手前へ出る。
鎌脚グモが追って向きを変えた。
長い前脚が、さっきまでリオのいた場所を払う。
届かない。
それでもリオは、すぐには立ち止まらなかった。
もう一歩。
鎌脚グモが脚を戻そうとしたところで、ようやく足を決めた。
右手の指掛けが頬の近くへ戻る。
放たれた矢が、開いた前脚の内側へ入った。
鎌脚グモの身体が低く落ちた。
すぐに動きが止まったわけではない。片方の脚で地面を掻き、リオの方へにじり寄ろうとする。
リオは三本目をつがえた。
俺は口を開きかけ、閉じた。
まだ距離がある。足元も空いている。
リオは待っていた。
相手の身体が少し持ち上がり、頭の下が見えた瞬間、三本目の矢を放した。
今度は起き上がらなかった。
俺たちはそれぞれの位置で、しばらく動きを見た。
風が果樹の葉を鳴らす。
やがてリオが弓を下ろし、こちらへ顔を向けた。
「……呼ばずに済んだ」
笑おうとした口元から、先に息が漏れた。
テッサが盾を下げる。
「ちゃんと、左へ行ったね」
「決めてなかったら、後ろに走ってたと思う」
俺は穂先を下ろした。
「三本とも、自分で射てる場所を作ったな」
リオは倒れた相手を見た。それから、自分が歩いた空き地へ視線を戻す。
「二本目、もう少し早く引きそうになった」
「引かなかっただろ」
「うん。足がまだ、止まってなかったから」
訓練では、動く的を待ちすぎて腕が震えたこともあった。
今は相手が走ってきても、先に足を置いた。
俺とテッサは、一度も武器を当てていない。
そばにいたことまで無意味だったとは思わない。それでも、この一体を倒したのはリオだった。
「次も同じようにいくとは限らないけど」
リオが言いかける。
「今日は、いったん喜んでいいんじゃないか」
俺が言うと、彼は少し驚いた顔をした。
それから、今度はちゃんと笑った。
「うん」
◇
周囲に他の個体がいないことを確かめ、回収と道の片づけに取りかかった。
糸は、全部を持ち帰ろうとしなかった。
足元の汚れたものは道から除け、軒の下に残った、葉や泥の少ない部分だけを木枠へ巻く。粘つくところは無理に引かず、別にした。
「こんな少しでいいの?」
テッサが木枠を覗いた。
「昨日の塊より、使えるかもしれない」
リオはそう答え、糸を巻き足した。
果樹園の主人は、小屋へ入れるようになると、すぐに籠を二つ運び出した。
「これを取りに来たかったんだ。助かったよ」
籠の中には、収穫に使う布や道具が入っていた。
俺たちは依頼の確認を受け、帰り道へ向かった。
リオは時々、腰につけた木枠へ目をやった。弓を持つ手はもう落ち着いていたが、歩く速さがいつもより少しだけ速かった。
◇
ベルナへ戻ると、報告と買い取りを済ませた。
魔石と、処理の必要な素材はまとめて預ける。糸は前回より状態がよいと言われ、リオは小さく拳を握った。
そのあと、俺たちは教えてもらった弓具を扱う店へ向かった。
店の壁には、弓と交換用の弦が並んでいた。作業台の上には糸巻きがあり、白いもの、茶色いもの、細いものと太いものが、別々に置かれている。
リオが鎌脚グモの糸について尋ねると、店主は小さな巻きを一つ出してくれた。
「下処理をしたものなら、これだ」
採ってきた糸とは、ずいぶん違った。
葉も土もなく、指へまとわりつく様子もない。窓から入る光を受け、細い線が揃って見えた。
「これだけで弦になるんですか?」
「何に使うかで組み方を変える。こいつを混ぜた弦もあるが、弓に合わなければ意味がないぞ」
店主は、板に掛けていた弦を外した。
白っぽい糸が細かく撚り合わされ、両端に輪が作られている。魔道具のような飾りはない。
「今の弦より、強く射てます?」
「張るだけで、お前の腕や弓が強くなるわけじゃない」
店主はリオの弓を見た。
「長さを合わせ、張ってみて、具合を見る。今の弦がまだ使えるなら、慌てて替えなくてもいい。予備を持つ時に考えろ」
リオは頷き、見本を持たせてもらった。
指掛けのある右手に、細い輪が載る。
数日前まで、俺はクモの糸など邪魔なものだと思っていた。足を取られれば危ないし、服につけば鬱陶しい。
それが誰かの手を通り、弓を使い続けるための道具になる。
「欲しい?」
テッサが聞いた。
「うん。でも、値段を聞いてから」
「大事だね」
俺は笑った。
値段を聞いてから重く感じた短槍を、まだ覚えている。
店主が示した金額を、リオは小さな紙へ書き留めた。修理する矢の分も確かめ、それから見本の弦を丁寧に戻す。
「今日は、矢をお願いします。弦はまた来ます」
「弓を持ってこいよ。買うなら、そいつに合わせる」
「はい」
すぐに手に入らなくても、目当てはできたらしい。
テッサが糸巻きの方を指した。
「それ、盾の紐にも使える?」
「細いままじゃ食い込む。何でもこれに替えればいいってものじゃないぞ」
「じゃあ、私は今のままで」
返事が早かった。
リオが笑い、俺もつられた。
カイルたちに会ったら、今日の話をしよう。
盾で押さえなくても、槍で隙を作らなくても、リオが一体を倒したこと。先に逃げる場所を決めたから、振り返らずに足を運べたこと。
そして、道を塞いでいた糸が、弓の弦になることも。
作業台の上で、店主が細い糸を引き出した。
リオはその手元を、もうしばらく見ていた。




