第76話 小石一つの使い道
石は、狙ったところより下へ飛んだ。
土を跳ね、乾いた音を立てて止まる。
俺は差し出していた手を下ろし、斜面の根元に置いた木の枝を見た。目印まで、少し足りなかった。
「今のは大きかった?」
横にいたリオが聞いた。
「たぶん。同じつもりでやったけど、途中で重く感じた」
迷宮へ向かう途中、街道から外れた休憩場所で、俺たちは短く足を止めていた。
人が通らず、奥が土の斜面になっている場所を選んで、《石弾》を試している。
覚えた術式はある。
ただ、戦っていると、すぐに槍へ両手を戻したくなった。どのくらいの石なら扱いやすいのかも、その場で選んでいては遅い。
俺は足元へ並べた石から、さっきより小さな一つを選んだ。
術式をなぞり、石へ意識を寄せる。
小石が動き、地面から跳ねるように飛んだ。
今度は目印の枝へ当たった。
軽い音がする。
「当たった」
テッサが言った。
「ああ」
「でも、それで岩トカゲを倒すのは難しそうだね」
俺も同じことを考えていた。
枝は少し動いただけだ。硬い鱗を砕くような威力はない。
もう一つ、似た大きさの石を置いた。今度は槍を片手で支え、術式を使ったあとに両手へ戻してみる。
石は飛んだ。
だが、握り直すときに手の位置がずれ、穂先が下がった。
「そっちが遅い」
テッサに言われ、俺は柄を握り直した。
「石を飛ばしたところで、終わった気になるんだな」
「短剣も、戻るところまでって言われたでしょ」
ずいぶん前の講習を持ち出された。
あのときは、盾へ手首をぶつけていた。武器が槍へ変わっても、似たことをしているらしい。
額に薄く汗が浮いた。
今日は迷宮へ入る日だ。ここで何度も使うわけにはいかない。
残りの石を拾おうとすると、リオが目印の枝を持ち上げた。
「別に、これで倒さなくてもいいんじゃない?」
「どう使う?」
「当たったら、見ちゃうと思う。今、僕も音の方を見た」
俺は枝と小石を見比べた。
槍なら、届いた場所を刺せる。
石なら、手の届かない場所へ小さな音を出せる。
俺は扱いやすかったものと似た石を二つ選び、袋の取り出しやすいところへ入れた。
水を飲み、息が落ち着いてから立ち上がる。
今の俺が使える魔法は、まだこの程度だった。
それでも、使い道まで小さいとは限らない。
◇
風の迷宮の石柱区画は、入口回廊よりも天井が高かった。
太い柱が並び、その間を風が抜けている。床に溜まった砂が細く流れ、灯りを近づけると、柱の表面に爪の跡が見えた。
俺たちは通路の広がった場所へ灯架を置き、集光灯を据えた。
もう一つの灯りは、戻る道が見える位置に残す。
奥まで進む前に、柱の間と上の方を順に確かめた。
「いた。右の柱、真ん中より少し上」
リオが声を落とした。
指された場所に、灰色の背が張りついていた。岩トカゲだ。
すぐには動かず、頭だけをこちらへ向けている。
その下の割れた石の脇から、もう一匹が出てきた。
こちらは床を這い、柱の陰を使いながら近づいてくる。
「上を見てて。下は俺が」
俺が言うと、テッサは盾を構えたまま一歩横へ出た。
「上から来たら、私が止める」
「分かった」
リオが矢をつがえる。
俺は床の一匹へ槍先を向けた。
三人で同じ敵を見ていれば、もう一匹が自由になる。
今は、分けて受け持つ。
足元を確かめ、柱と柱の間にある乾いた床へ移った。後ろへ一歩下がれる幅もある。
岩トカゲが身体を低くした。
俺が槍を差し出すと、頭を引き、横へ回る。
突けば届きそうだった。
だが、その先は柱の陰だ。追って踏み込めば、テッサたちから俺が見えなくなる。
槍先だけを追わせ、足は止めた。
相手も止まる。
こちらを見ている頭と、そのすぐ横の石柱が目に入った。
「石、使う」
短く伝え、俺は距離を保ったまま袋から小石を出した。
槍を片手で支え、足元の平らなところへ置く。目を落とす時間は短くしたつもりだったが、それでも岩トカゲが動きかけ、慌てて槍先を戻した。
まだ近い。
半歩下がると、相手はすぐには追わず、槍の先で頭を振った。
俺は息を整えた。
狙うのは、魔物そのものではない。
横にある柱の低いところだ。
《石弾》を使う。
小石が飛び、石柱へ当たった。
狙った場所より少し下だった。それでも、乾いた音が響いた。
岩トカゲの頭が動く。
ほんのわずかに、鼻先が柱へ向いた。
俺はすでに槍を両手へ戻していた。
今度は、石が飛んだ先を見続けなかった。
前脚の内側を狙い、突く。
だが、岩トカゲも動いた。身体を捻り、穂先が硬い背の縁を滑った。
手に嫌な抵抗が返る。
槍先が横へ流れた。
元へ引き戻そうとして、昨日の棒の感触を思い出した。
同じ道で戻さなくていい。
俺は踏み込みすぎないところで足を止め、柄を短く引いた。鱗から離れた穂先を小さく回す。
岩トカゲが、槍を外へ追いやったまま頭をこちらへ戻そうとした。
その下へ、二度目の突きを入れた。
《返し突き》。
刃が鱗の薄いところへ入る。
相手が暴れ、柄が揺れた。俺はさらに奥へ押し込まず、抜いて構え直した。
岩トカゲは片側へ傾いた。
起き上がろうと前脚を動かす。その動きが鈍ったところへ、もう一度だけ突いた。
尾が床を打ち、やがて止まった。
俺は槍先を向けたまま息を吐いた。
倒した。
テッサの盾で押さえてもらわず、リオの矢で動きを止めてもらわずに。
そう思った直後、右側で弦の音がした。
◇
柱の上の岩トカゲが、横へ滑っていた。
前脚の近くに矢が刺さっている。だが、落ちはしなかった。残る爪で柱を掴み、裏側へ回ろうとしている。
「裏へ行く!」
リオが言った。
テッサは柱を追って回らず、こちら側で盾を上げた。
俺も振り向いたが、すぐには近づかなかった。槍を持ったまま二人の間へ入れば、動く場所を塞ぐ。
「こっちは終わった。手は?」
「まだ大丈夫!」
テッサが答えた。
岩トカゲが柱の側面から顔を出す。
リオは次の矢をつがえかけ、手を止めた。射る先へ、テッサの盾が入っていた。
次の瞬間、岩トカゲが柱を蹴った。
狙いは、盾の横だった。
テッサは身体を大きく回さず、盾を短く動かして受けた。
前のように、すべて横へ流そうとはしなかった。
すぐ脇に柱がある。
盾で押し、魔物の身体を床と柱の間へ追い込む。岩トカゲは爪を立てて逃げようとしたが、片方の前脚がうまく動かない。
リオの矢が効いていた。
「押さえた!」
テッサの右手に、小型棍棒があった。
盾を少し傾けて頭の位置を確かめ、短く打ち下ろす。
一度では止まらなかった。
彼女は盾を離さず、暴れる頭が横を向いたところへ、もう一度打った。
岩トカゲの尾が伸び、爪の音がやんだ。
テッサはすぐに盾を上げず、動きが止まったのを確かめてから離れた。
リオはその間、柱の上と奥を見ていた。
「ほかは、見えてない」
俺は二匹の位置と、戻る通路を見た。
まだ槍を下ろさずに待つ。
風が柱の間を抜け、床の砂がまた動き始めた。
それ以外のものが近づいてこないことを確かめてから、ようやく三人で息をついた。
◇
「ノル、そっちは一人で?」
テッサが聞いた。
「ああ。最初は外したけど、返せた」
「見たかったな」
「俺も、お前が棍棒を使うところ、途中からしか見てない」
テッサが棍棒を見下ろした。
「持ってるからね。一応」
「一応じゃ困るだろ」
「今日は働いたよ」
そう言って、汚れを拭う。
脛当てには、砂の擦れた跡があった。屈んだときに床へ触れたらしい。
「脚、大丈夫か?」
「うん。盾を低くしても、紐は痛くなかった」
買ったばかりの装備を見て、テッサが少し笑った。
リオは矢を回収し、鏃と軸を確かめていた。
「最初の矢で落とせると思ったんだけど、爪が残った」
「でも、あれがなかったら押さえにくかった」
テッサが言った。
「次も、先に脚を狙う?」
「狙える向きなら。背中しか見えなかったら、別のところへ動いてもらった方がいい」
俺は倒れた岩トカゲを見た。
いつもテッサが先に受ける必要はない。
リオが射てるなら、先に射る。その結果を見て、テッサが止めることもできる。
そして、その間に俺は、もう一匹を相手にできた。
前は一体へ三人で向かうだけで精いっぱいだった。
今日は違った。
「石は、効いた?」
リオに聞かれ、俺は柱の根元を見た。
どの小石だったか、もう分からない。
「一瞬、横を見た。でも、そのあと突きを避けられた」
「じゃあ、石だけでは足りなかったんだ」
「ああ」
《石弾》で作れたのは、短い間だった。
《返し突き》ができたのは、一度目で身体ごと突っ込まなかったからだ。
どちらか一つだけでは、同じように倒せなかったかもしれない。
俺は少し離れた場所へ目をやった。
小石を置くために、槍から手を離した場所だった。
「使う前が、まだ遅い。石を出して、置いてる間に来られたら困る」
「先に置ける場所なら、置いておけば?」
テッサが言った。
「毎回、袋から出さなくてもいいでしょ」
俺は頷いた。
拾える石がある場所なら、それを使う。ない場所では、戦う前に用意する。
使える魔法を覚えても、使える状況まで勝手に揃うわけではなかった。
でも、そこは考えて変えられる。
次に練習することが決まった。
◇
その後は、依頼で指定された広場まで通路を確かめた。
柱の陰に残る爪の跡や、崩れた石の場所を図へ書き足す。新しい岩トカゲの姿は見つからなかったが、見えない隙間まで空だとは決めつけなかった。
休憩を挟み、来た道を戻る。
帰りは俺が灯りを持ち、リオに前を見てもらった。
魔法を使った疲れなのか、槍を何度も握り直したせいなのか、腕が少し重い。
使えるからといって、何度でも使えるわけではない。
それも、今日の報告とは別に覚えておく必要があった。
入口から外へ出ると、風が頬を撫でた。
迷宮の中と違い、草の匂いが混じっている。
俺たちは道の脇で荷物を下ろし、灯りを冷ました。テッサが座って脛当ての紐を緩め、リオは回収した矢の羽根を整え始めた。
俺も槍の刃を確かめ、覆いを付ける。
それから、足元に落ちていた小石を拾った。
一つは少し大きい。
もう一つは、今朝扱いやすかったものに近かった。
手のひらで並べていると、テッサが顔を上げた。
「また撃つの?」
「今日はやらない。練習に使う」
「石まで持って帰るようになったね」
「役に立ったからな」
リオがこちらを見て、笑った。
「次は、僕にも合図して。そっちを向いたところを射てるかもしれない」
俺は二つの石を見た。
今日は、自分が踏み込むために使った。
次は、リオの矢のために使えるかもしれない。テッサへ飛びかかる相手の向きを変えられるなら、盾で受ける場所も選びやすくなる。
「練習しよう。狙った方を見るとは限らないし」
「うん」
テッサが紐を締め直して立った。
「じゃあ、私は盾を持つ。石、こっちには飛ばさないでよ」
「分かってる」
俺は小石を袋へ入れた。
手に収まる程度の石だった。
それでも、帰ったら三人で試したいことが、もういくつもあった。




