第75話 次の一突き
脛当てを着けたテッサは、店の中を三往復した。
歩いて、しゃがんで、片膝を上げる。最後に盾を構えたところで、革紐を締めていた職人が手を止めた。
「どうだ」
「右の上が、ちょっと当たる」
「ここか」
職人が膝の下へ指を入れ、当て布の位置をずらした。
もう一度しゃがむと、今度はテッサの顔が上がった。
「こっちがいい」
古い坑道から戻って、数日が経っていた。
回収品の検査を終えた組合から、売却できる品の一覧が届いた。テッサが欲しがっていた脛当ても、その中に入っていた。
金属板に大きな傷みはない。ただし革紐と内側の布は交換し、いくつかの留め金も締め直す必要がある。
品代が銅貨二十枚。修理と調整に八枚。
値段を聞いたテッサは、その場で買うとは言わなかった。一度宿へ戻り、財布を開いて、しばらく硬貨を並べていた。
そして翌朝、自分の金で申し込んだ。
今日は、その仕上がりを確かめに来ている。
「走ってもいい?」
テッサが聞くと、職人は店の外を指した。
「裏の庭でやれ。ここで転ばれたら、お前より棚の方が高くつく」
「転ばないよ」
「そう言う奴ほど、何かに引っかける」
俺とリオは黙って道を空けた。
◇
裏庭で短く走ったあと、テッサは盾を構えた。
半歩下がり、盾を斜めへ向ける。坑道で覚えた《盾受け流し》の動きだった。
金属板が、脚に合わせて小さく重なり直した。
足首まで固める造りではないため、思ったより動きやすそうだ。それでも、裸の脚と同じというわけにはいかないらしい。
「止まるとき、少し違う」
テッサが足元を見た。
「重い?」
「重さはある。でも、邪魔ってほどじゃない」
今度は左右へ一歩ずつ動く。
リオが脛当ての下端を見た。
「靴には当たってないね」
「うん。紐も、さっきより痛くない」
職人は彼女を呼び戻し、動いたあとの位置を確かめた。
「最初から長く着け続けるなよ。擦れる場所があれば持ってこい。紐を強く締めて済ませようとするな」
「分かりました」
テッサは銅貨を渡した。
八枚。
品代はすでに組合へ払ってあるので、今日の支払いは修理の分だけだった。
硬貨が職人の手へ移ると、テッサは自分の脚を見下ろした。
「なくなった」
「金?」
「うん」
「やめとけばよかったか?」
聞くと、彼女はすぐに首を振った。
「それはない」
短い返事だった。
俺には、よく分かった。
《鉄輪》で短槍を受け取ったときも、財布は軽くなった。それでも、握った柄を返したいとは思わなかった。
テッサが一歩踏み出す。
くすんだ金属の縁が、庭へ差す光を拾った。
箱の中にあった物が、ようやく仲間の装備になった。
◇
装備が増えたのは、テッサだけではなかった。
折り畳みの灯架も、三人の共用の道具代から買い取った。脚の留め金を調整してもらい、集光灯と一緒に持ち歩けるよう、畳んだ状態で紐を回してある。
拾った物が全部そのまま使えるわけではない。
直して、代金を払って、持ち方を考える。
そこまでして初めて、次の仕事へ持っていける道具になるらしい。
ただ、金を払えば手に入るものばかりでもなかった。
ギルドの訓練場で、俺は練習用の槍を弾かれた。
穂先の代わりに布を巻いた先端が、横へ大きく流れる。
慌てて戻したときには、相手の棒が俺の胸元で止まっていた。
「そこまで」
槍を教えている男が、棒を下ろした。
俺も構えを解き、息を吐く。
ベルナへ戻ってから、テッサの受け流しに合わせて槍を入れる練習を始めた。
しかし、狙った場所が空くと、つい深く突きたくなる。避けられたり、穂先を押されたりすると、元へ戻すのに時間がかかった。
そこで今日は、講習料を払って教わることにしたのだった。
「一度突いたあと、毎回最初から構え直してるな」
「戻した方が、次を狙いやすいと思って」
「相手も待ってくれるなら、それでいい」
男が俺の槍先を指した。
「だが、横へ外されたものを、同じ道で無理に戻そうとするな。押された先から戻せる道もある」
俺がよく分からない顔をしていたのだろう。
男は練習槍を一本取り、こちらへ棒を持たせた。
「先を横へ押してみろ。ゆっくりでいい」
言われた通りにする。
槍先が外へ動いた。
そのまま押していたはずなのに、急に棒から手応えが消えた。男が槍を短く引き、先端を棒の下へ回したのだ。
次の瞬間には、布を巻いた先が俺の胸の前に戻っていた。
「これが《返し突き》。外されたあと、別の線へ突きを返す」
俺は棒と槍を見比べた。
大きく振り回したようには見えなかった。
むしろ、自分が構え直すより動きが小さい。
「二回、速く突く技ですか?」
「それだけなら、ただの二度突きだ。大事なのは、最初の一突きが崩れたところから、次へ繋ぐことだな」
男は槍を戻した。
「まず足を止めて覚えろ。手だけでも忙しいのに、先に身体まで突っ込むな」
俺は頷き、もう一度槍を受け取った。
◇
最初は、うまくいかなかった。
槍先を回そうとすると、輪が大きくなる。小さくしようとすると、棒へ引っかかった。
教わった通りに動かしているつもりなのに、肩まで固くなってしまう。
「握りすぎだ。両手で固めたら、柄が動かん」
言われて力を緩める。
今度は先端の重さに振られた。
横で見ていたテッサが、盾を膝に立てたまま言った。
「さっきから、槍を怒ってるみたいに握ってる」
「怒ってはいない」
「じゃあ、仲よくして」
簡単に言ってくれる。
それでも、一度息を吐くと、指に余計な力が入っていたことが分かった。
俺は黒い柄の短槍を初めて持った日のことを思い出した。
持ちやすかった。
だからといって、勝手に動いてくれる武器ではなかった。
前の手で向きを保ち、後ろの手で柄を引く。槍先が棒から離れたところで、小さく回して押し出す。
布の先が、男の持つ丸い的へ触れた。
軽い音がした。
「今のだ」
俺は顔を上げた。
「ただ、最後に肩が前へ出てる。そこまで行くと、外したときに戻れんぞ」
頷いて構え直した。
できたと思った直後に、次の課題が出てくる。
それでも、さっきまで届かなかった場所へ槍先が戻った感触は、手に残っていた。
もう一度試す。
今度は的の端。
次は、手前で止まった。
何度か続けるうち、当てようと急がない方が、槍先を戻しやすいと分かってきた。
男が棒を下ろした。
「今日はここまで。疲れた手で無理に速くすると、力で誤魔化す癖がつく」
「もう少し、できそうなんですけど」
「できそうなうちに、動きを覚えて帰れ」
テッサが横で笑った。
「私のときも、同じこと言われたね」
返す言葉がなかった。
◇
その後は三人で、動く場所だけを確かめた。
テッサが盾を傾け、足を引く。
俺はその横へ出て、置いた藁束へ練習槍を伸ばす。ただし、当てたあとまで前へ残らない。
一度目は、引き戻す柄がテッサの盾へ触れた。
「近い」
「分かった。半歩、外にする」
二度目は、俺が外へ出すぎた。
後ろにいたリオが手を上げる。
「そこだと、僕からはノルしか見えない」
戻って、立ち位置を変える。
技を一つ覚えたからといって、それを置く場所まで勝手に決まるわけではなかった。
それでも、何を直せばいいかは少しずつ分かってきた。
テッサが盾を動かす。
俺は開いた場所へ穂先を入れ、短く引き戻す。戻った位置から、もう一度突けるところで止める。
「今なら見える」
リオが言った。
振り返ると、彼は弓を持たず、指だけで藁束の一部を示していた。
「最初にここが空いて、そのあとノルの槍が来る。射つなら、その前に用意しておきたい」
「俺が出るのを遅らせる?」
「いつも遅くしなくていいと思う。射てるときは言うから」
テッサが盾を下ろした。
「じゃあ、私も流せそうなら言う。無理そうなときは、普通に受ける」
「それがいいな」
今までは、敵が動いてから、見えた隙へ飛び込もうとしていた。
これからは、どこに隙を作るかを三人で決められるかもしれない。
もちろん、相手が思った通りに動くとは限らない。
だから俺には、最初の突きが外れたあとに使える技も必要なのだろう。
リオはそのあと、区切られた射場へ移った。俺たちは射線から離れ、横から見学した。
彼が練習していたのは、合図を聞いてから慌てて射ることではなかった。
的の動きが変わる前に構え、狙える位置へ来たときだけ放つ。間に合わなければ、その一射を見送る。
一度、弓を引いたまま迷い、リオはゆっくり力を戻した。
「射たないのか」
「引くのが早すぎた。待ってたら、腕が揺れた」
彼は肩を回し、もう一度的を見た。
速ければいいわけでもない。
待つためにも、ちょうどいい始め方があるらしかった。
次の矢は、動く的の端へ刺さった。
リオは喜ぶより先に、今の構え始めを確かめるよう、足元を見た。
俺も、自分の手を開いて閉じた。
今日の練習で覚えて帰りたいことが、いくつもあった。
◇
翌朝、テッサは待ち合わせ場所へ来るなり、俺の前で一度しゃがんだ。
「どうした?」
「昨日、長く歩いてみた。擦れてない」
「脛当てか」
「うん。これで行く」
立ち上がると、金属板が小さく音を立てた。
手入れをしても消えなかった薄い傷が、朝の光で見えた。それがかえって、坑道の箱から自分たちで持ち帰った物なのだと思わせた。
俺も短槍の穂先の覆いと、腰の剣を確かめた。
練習用とは重さが違う。
《返し突き》も、まだ何度でも同じようにできるわけではない。いきなり速く動かそうとせず、使える場面を見分けるところからだった。
リオが灯りの包みを持ってやってきた。
「油、入ってる。台も持った」
「重くない?」
テッサが聞く。
「今は平気。帰りは交代して」
「分かった」
今日の依頼は、風の迷宮にある石柱区画の通路確保だった。
入口回廊の先にある、鉄札向けの指定区画。最近、岩トカゲが増え、通行する者が襲われているという。
ギルドで見た図には、柱と曲がり角、引き返すための広場が記されていた。
昨日なら、ただ狭いか広いかを見ていたと思う。
今は、盾で流す場所、槍を返す幅、リオから矢を通せる角度まで気になった。
覚えた技が増えると、同じ図にも違う見方ができるらしい。
門を抜けるところで、テッサが石段を一つ下りた。
足を置き、重心を移す。
そのあとで、こちらを見て笑った。
「ちゃんと動く」
「昨日から何回確かめてるんだよ」
「ノルも、短槍を買ったあと何度も握ってたでしょ」
「……そうだったな」
リオが笑い、俺も槍の柄を握り直した。
今日は、新しい装備がある。
使ってみたい技もある。
それを確かめたら、帰り道には、また違う話ができるだろう。
テッサの脛当てが、歩くたびに小さく鳴った。
俺たちはその音を聞きながら、迷宮へ続く道へ足を向けた。




